2011年07月27日
ex.1:>見果てぬ夢(仮)
陽の光が窓一面に差し込む部屋に閉じ込められてから、一年が過ぎようとしていて、霧香にはもうそれが長いのか短いのかわからなくなってきている。一年前まではまだ、救いがあった。外を走り回ることはできたし、大好きな陽菜と笑い合うこともできた。陽子さんと話すことも。護衛と言う名の監視役がいたといっても、彼らとも話すことができたし侍女として傍にいてくれた女性たちとも何気ない日常会話をしたりできた。
それなのに――。
窓辺に座って手のひらを押し当てる。やわらかな光は温かさを伝えてきて、このまま硝子窓を通り抜ければいいのにと思う。
晴れ渡った空。記憶にある限り、この季節の風は心地よかったはず。優しく春の匂いを届けてくれる。息づく大地の熱、花の香り、生命が誕生する声も。そのなかで、草地に転がって陽菜と笑う。一緒にいるだけで、小さな幸せを沢山気づかせてくれる、唯一無二の存在。まだ、あの無邪気な笑い声を、笑顔を覚えていられることに、ほっと胸を撫で下ろす。同時に、こみ上げてくるどうしようもない想い。
「…………晴れてるのに、な」
無意識に零れていた言葉だった。
音になっていることにハッと我に返って口を手のひらで塞いだ。
恐る恐る、窓越しに見えるソファの上で本を読んでいるイチ君に視線を向ける。ゆったりとソファの上で身体を伸ばし、上半身に本を置いてめくっている姿はとてもくつろいでいるように見える。
家庭教師としての時間だけじゃなく、自分の時間が空いているらしいときにも彼はこの部屋に来て、暇潰しに本を読んでいる。零君も同じ。30分でも、一時間でも。一日のうちで、二人が重なり合うときはほとんどない。
話し相手のつもりでいても、二人に言いたいのは『外に出して』とだけで、そんな気はさらさらない二人に、次第に話しかけることさえ億劫になっていた。黙っていても、あえて話しかけてこないし、話をしたければ気まぐれに声をかけてくる。霧香から話しかけないのは、意地もあって――。
沈黙の中で、イチ君の本をめくる音だけが鳴っていて、零れ落ちた独り言は響いたはずなのに、イチ君はまるで聞こえなかったように何の反応も示さない。
そのことに安堵して、同時に怒りがわきあがってくる。
(聞こえてなかったはずないのに!)
外を焦がれる言葉は最初からなかったことにするつもりらしい。
イチ君の見え透いた意図に気づいて、何かがこみ上げてくる。
窓に押し当てていた手を支えにして勢いよく立ち上がり、ソファの上で本を読んでいるイチ君に向かう。目の前に立って、声をかけるより先に本を振り払った。英字の並ぶ分厚いそれが、ばさりと音を立てて絨毯の上に落ちる。
「どうしたの?」
その行動を見透かしていたように、驚くでも怒るでもなく、イチ君は姿勢をほんの少し動かして背もたれに背中を預けて見上げてくる。その顔は癇癪を起こした子どもをあやすような、苦笑気味の表情で、膨れ上がっている怒りに油を注ぐ。
「かまってほしいならそう言ってくんないと。考え事してるみたいだったから、我慢して放っておいたのに」
「っ、違うでしょ! 放っておいてくれるなら最初から放っておいてよ! 一年も閉じ込めて、イチ君も零君も何考えてるの?!」
戯言を耳にしているように、イチ君は肩を竦めて受け流してしまう。
「うんうん、意外に長いよね、一年って。もっとも、霧ちゃんは一生此処にいるんだから、時間を気にするだけムダになるよ」
さらりと告げられた内容に、愕然となる。
(――っ、一生?!)
顔から一気に血の気が引くのを感じた。
鏡を見れば真っ青になっているに違いない。身体からも力が抜けそうになる。足元が覚束なくなって、崩れ落ちる前にイチ君に手をつかまれ、そのままソファに座らせられる。
「……どうして?」
「君が僕と零君以外の人間に気を移すことが嫌だから、かな」
曖昧な口調で真実を隠そうとしていることに気づきながら、それでも縋るように言う。
「だったらっ、二人しか見ないって約束する! 他の誰かと話しもしないって、約束するから、外に出して!」
必死の想いで言い募ると、イチ君は苦笑を零した。
「それは魅力的な約束だけど、霧ちゃんだけの問題でもないんだよね。僕たちは霧ちゃんを他の誰かに見せることも避けたいと思ってるんだよ。誰かが霧ちゃんに視線を向けたら、躊躇わず目を抉り出して殺してる」
やわらかい雰囲気を纏いながら告げられた言葉は、鋭いナイフのように心を突き刺す。いつもからかうような光を浮かべている青い瞳が剣呑に煌めいているのを見つけて、喉が鳴る。静かに漂う彼の殺気は気配を察することができる霧香にはそれが本気だと悟らせてしまう。
張りつめるような緊張感が支配する部屋の中で、イチ君はにっこりと微笑む。
「今日は後で零くんも顔を出せるって言ってたし、そのときは運動ルームで身体を動かせるよ。それまで、チェスゲームでもして遊んでようか」
決められているスケジュールに霧香が拒否したところで二人が耳を貸すことはない。
(――それに、たぶん。)
更に言い募ったときには、お仕置きが与えられる。
結局は従うしかなくて。
(今は――今だけ、なんだから。)
じっと視線を注いでくるイチ君から目を逸らして窓から入り込んでいる陽の光に目を細める。
まだ、諦めない。
表情に出ないように、心に強く言い聞かせた。
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- by 羽月ゆう
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