ForestLond

ある思い出の森の中
 歩いても、歩いても。
 どこにも辿りつけなくて。
 帰ろうとしても、どうやってきたのかさえわからなかった。

 目の前は見渡す限り続く、砂の広場。右を見ても、左を向いても。精一杯背伸びして、先を眺めても、視界に移るのは延々と砂。
 胸の中を燻っていた悲しい想いがまた、涙と一緒にこみあげてくるのがわかった。

「……ふぇっ、」

 どうしたらいいかわからないよ。

 ごしごしと、目をこすっても涙は止まらない。
 足も痛くなって、地面に崩れるようにしゃがみこんだ。

「アールゥー」

 たったひとつの名前。
 嗚咽を零す代わりに、呼んでみる。

 だけど、返事はなくて。
 なんだか悔しくなった。悔しくて、悔しくて。

 ――― 寂しくて。

「アールゥー!!」

 さっきより少しだけ、声を大きくして呼んでみる。
 返るのは、熱を伴う太陽の光だけ。

 汗ばんだ手の平をギュッ、と握り締めた。俯くと、頬に新しく雫が伝っていくのを感じる。

「…………アールゥ」
 まるで、それだけしか言葉を知らないように。

 唐突に影に覆われた。驚いて、顔をあげると呼び続けていた名前の主。自分より、少しだけ背の高い少年に迷うことなく抱きついた。

「アールゥ!!!!」

 ぎゅっ、としがみつく手をはずされて、抱き上げられる。
 同じ目線になった顔には困ったような表情が浮かんでいた。

「アルセリア、勝手に出歩くと危険だって言っただろう?」

 呆れたような口調で言われる。
 それがアルセリアには怒られているように聞こえて、会えた瞬間に引っ込んでいた涙がまたせり上がってきた。

「だって、アールゥに会いたかったんだもん。アールゥと離れてるなんて嫌なんだもん」

 今にも零れ落ちてきそうな涙と、必死に自分の気持ちを口にするアルセリアに胸の奥が温かく包まれていくのを感じながら、アルベルトは苦笑を浮かべる。

「俺もアルセリアと離れてるのは寂しいよ。でも仕方がないんだ」
「どうしてぇ?」

 更にアルセリアの瞳が潤む。号泣しそうだ、と判断して、アルベルトはけれど、どうせ理由を話しても、今の小さな彼女には理解できないだろうとも思った。だから、以前から心に決めていたことだけを伝える。

「そうだな。アルセリアがきちんと俺の名前を呼べるようになったら、そのとき。必ず迎えにいくよ」

 アルセリアの表情が驚きに染まる。
 同時に涙も消えていた。

「ほんとに?」
「ああ。俺がアルセリアとの約束を破ったことがあるか?」

 ううん、と。激しくアルセリアが頭を横に振る。
 アルベルトはほっと息をついて、手の平をぽんっと小さな頭の上にのせた。

「それまで、もう勝手に出歩かないと約束してくれ。精霊たちに聞いたときは心臓が止まるかと思った」

 今もまだ、焦りが胸の中に燻っている。
 体温を奪うほどの熱が広がる砂漠にアルセリアが飛び出してきていると聞いたときの焦燥と、不安。――― そしてそこまで彼女を追い詰めてしまった自分に対する罪の意識。

「うん…。でもね、アーシャ…ううん。アーセリーアはね、一人ぼっちが寂しかったの。一人ぼっちは嫌なの」

 ぎゅっ、と。アルベルトの首に抱きついて、今にも泣き出しそうな声で言う。
 泣かないのは、アルベルトが困るだけだとわかっているからだ。

「だけど、あそこには ――― 」

 言いかけてふと、アルベルトは思い出した。泣くのを我慢して小刻みに震えるアルセリアの背中を優しく撫でる。安心させるように。

「そうだったな。わかったよ、アルセリア」

 そう頷いて、アルベルトは抱きつくアルセリアの手を優しく外して、顔を合わせた。
 アルセリアと見つめ合う。

「?」

 不思議そうな表情をするアルセリアに笑みを零して、前髪をそっと払うとその額に口づけた。

「アールゥ??!」

 一瞬だけのそれに、アルセリアが目を丸くして驚いたように声をあげる。
 悪戯っぽく片目を瞑って言う。

「これで多少の精霊術が使える。ってことはだ」
「精霊とお話しできるってこと?!」

 アルセリアの表情がパッと明るくなる。思わずアルベルトは苦笑を零した。
 精霊に嫉妬しそうだな、と。
 最もアルセリアの笑顔が見られるのなら自分の感情は後回しだ。

 そう言い聞かせて、アルベルトは「さて、と。」とアルセリアを抱えなおした。

「これで迎えに来るまで、大人しく待ってるんだぞ?」
 覗き込むようにアルセリアの顔を見ると、笑顔満面でアルセリアは頷いた。

「アールゥ?」

 不意に名前を呼ばれる。ふわり、と頬に柔らかい感触があたった。

「アルセリア?」

 驚いて動きが止まった。
 にっこりと、アルセリアが微笑む。

「早くちゃんと名前、呼べるように練習するからね。待っててね」

「 ―――― ああ」

 嬉しくなって自然とアルベルトは笑みを零していた。

 そのときには胸の中にあるアルセリアへの想いを言葉にして届けよう。
 君が名前を呼ぶそこに込められる想いと、同じであることを祈りながら。願いながら。

「送ろう」

 そう短く告げて、アルベルトは宝物のようにアルセリアを抱き締めて空間を渡った。