ForestLond

ある独りの森の中
 ―――――― 行ってらっしゃい。

 アルセリアは部屋の中にあるお気に入りのクリーム色に染められた柔らかいソファの上で寝そべり、身体を仰向けに天井を見るとはなしに眺めていた。
 そっと自らの唇に人差し指で触れる。

『行ってらっしゃい』

 唇だけで紡ぐ。
 ようやく告げることができた言葉。
 頬に熱いものが伝わる。
 しん、と静まり返った屋敷がアルベルトがいたときと違って、別世界のように思えた。

 それでもいつもは森の中を散歩したり、屋敷の中で地下室に眠っている本に書かれてる研究で実験したり、アルベルトがいるときにはできないことをして気を紛らわせていた。
 だけど、どうしても今回は何もする気にはなれなかった。

 まだ。
 ―――― まだアルベルトが出掛けてから数時間。

「なんでアルベルトは私みたいな泣き虫を好きになったのかなー?」
 我侭だし。強情だし。
 寂しがりやだし。意地っ張りだし。
「……嘘つきだし」

 本当は「私はだいじょうぶ」、なんて嘘。
 「行ってきて」、なんて嘘。

「大丈夫なんかじゃないよ。行ってきてって言うのも ―― 本当は行かないでって言いたかったの」

 アルセリアの瞳からは次々と涙が流れていく。
 天井がぼやけて歪む。

「アルベルト…………」
 脳裏に浮かぶ姿。
 もっと鮮明に思い出したくて、心に刻みたくて、アルセリアは瞼を閉じた。

 その瞬間。

 ふと、顔にあたる柔らかいものに気づいた。
 驚いて目を開ける。
 ひらひらと ――――― 。

 ――――― ひらひら、と。
 ピンク、ブルー。パープル。……。
 淡い色とりどりの花が天井から、まるでシャワーのように。
 アルセリアに降り注いでいた。
 ソファから身体を起こして、アルセリアは降ってくる花を手の平で受け止める。

 途端。
 花は空気に溶け込むように消えていった。

『 ―――― アルセリア』

 消える瞬間、優しい声が響く。
 聞き間違えようのない声。いつも包んでくれるように、低く ―― 優しく。
(アルベルト ―――― )
 またアルセリアの広げた手にふわり、と。一輪花が乗る。

『泣くなよ、アルセリア ――― 』

 次々と舞い降りてくる花。

 すぐ帰ってくるから。
 大人しく待ってるんだぞ ――― 。

 自然とアルセリアの表情に笑顔が浮かぶ。
「……こういうキザなこと、苦手だって言ってたのに」

 いつだったか、恋を描いた古い本に書いてあった。
 主人公がヒロインに花束をプレゼントして跪いて、プロポーズをするという場面。
 アルベルトは眉を顰めて、苦笑しながら言った。
『気持ちはわかるが、俺にはこんなキザなことはできないよ』

 だけど。

「わかってる? これだって十分、気障だよ」
 さっきまで悲しくて寂しくて。
 苦しくて、流してた涙。
 でも今は ――― 、嬉しくて。幸せで。あふれてくる涙。

 帰ってきたら、伝えよう。
 『お帰り』と一緒に ――――― 、「愛してる」って。