広がる森を窓から眺めながら、手の平をぴったりと硝子につける。ひやりとした感触に、体の熱が移っていくみたいでほっと息をついた。
「アルセリア!」
ばんっと激しく扉が開くと同時に厳しい声で呼ばれる名前に、振り返らなくてもその姿が窓に映り、部屋の空気が震えて相当に怒っていることが伝わってくる。それでも振り返らなかった。
「なにしてるんだっ。風邪をひいてるのにベットから抜け出すなんてどうかしてる!」
ツカツカと床も抜けそうな勢いで歩み寄ってくる。このままだとその勢いでアルベルト自身に火がついてしまうんじゃないかと思った。ぐいっと肩を掴まれて振り向かされる。
「アルベルトの怒りんぼう」
拗ねるようにそう言ったが返事はなくて、代わりにふわりと身体が浮いた。
「 ――― え?」
抱き上げられたことに気づいたときには、傍にあったベットの上に降ろされていた。問答無用で布団を掛けられる。アルベルトは端に座って、深く溜息をつくと片手で自分の顔を覆った。
「……なんでもいいから、どんな我侭を言ってもいい。風邪をさっさと治すことに集中してくれないか」
苦しげに言われた言葉に、ごくりと唾を飲み込む。
ベットの中からそっと手伸ばし、アルベルトの手をどかすと、いつも強い光を宿している瞳が不安に揺れているのを見つけた。それはひどく珍しくて、思わず訊いてしまう。
「どうしたの?」
「二度もおまえを失いたくない」
その言葉にはっと息を詰める。
(二度 ――― 。)
召喚の力を封じるときに強引にアルベルトの手に剣を持たせて自分の胸に突き刺した。この世界を ―― なによりも彼を守りたくて、あのときは必死だった。ひとり残されるアルベルトの気持ちを考えなかったわけじゃないけれど、思ったよりもあのときのことが彼の心の傷になってしまったと知って胸がぎゅっと痛んだ。
「アルベルト」
名前を呼ぶと、頬に触れている手を掴まれた。そのまま強い力で握り締められる。まるで縋っているかのように。
ひやりと冷たいアルベルトの手に自分の熱が移っていく。
「私を信じてる?」
そう問いかけると、アルベルトは迷うように瞳を揺らし、それを隠すように目蓋を下ろした。フッと苦笑して再び開いた目には、悲しげな光が浮かんで見える。
「さあ、どうだか。自分でもわからない。アルセリアは勝手なことばかりして、いつも俺に心配をかけるだろう。信じられるだけの基盤がない」
からかうような口調だけど、それが本音だとアルセリアにはわかった。
その言葉にほんの少し傷ついて、意地悪っと拗ねる。だけど心の奥ではアルベルトは信じてくれていると知っているし、それはアルセリアも同じ。例えどんなときでも、二人が互いを愛しているということは信じている。心の傷が生み出した不安がそれを揺らしてしまうことがあったとしても。
「じゃあ、アルベルトは大人しくて従順な私がいいの?」
ムッとなって言い返した言葉に、一瞬考えるような間をおいて、アルベルトは苦笑を零した。
「……そんなアルセリアは想像できないな」
そう呟いて、肩を竦めるアルベルトに笑顔を返す。
「ねっ。だったら、アルベルトはこの私を信じるしかないの。たとえ、なにがあっても、二度とアルベルトの傍を離れることはないって。私とアルベルトはこの国のひとたちが作った森の中でずっと、幸せに暮らしていくんだって」
「約束できるか?」
「アルベルトが信じてくれるなら」
悪戯っぽく言って返すと、アルベルトは視線を窓の外に向けた。
広がる森の木々は風に揺られ、葉っぱが擦りあう音が聞こえてくる。まるで、大丈夫だと森全体が応援してくれているかのように。
ふっとアルベルトが笑う気配が伝わってきた。森に向けていた視線が再び向けられる。不安の色はすっかり消えて、強く、優しい光が煌いていた。
「アルセリアには、かなわない」
言外に降参だと告げる言葉ににっこりと笑う。困ったように笑って、アルベルトは伸ばした手でぽんぽんっと頭を叩いた。
「とりあえず、早く風邪を治してくれ」
その手を取って、悪戯っぽく笑みを浮かべる。ひやりとした手から伝わってくる、優しい気持ちを感じながら、さっき確信を得たばかりの事実を伝えることにした。微熱が下がらずに、風邪だとアルベルトは勘違いしたけれど。
「 ―― 心配性なお父さんを持つと、大変ね」
大きい手のひらをお腹にあてて。
滅多に見ることができない、驚いた顔は一生忘れない。