ForestLond

ある王子と姫の森の中
「……王子ぃ、本当にやるんですかぁー?」

 今にも泣き出しそうな ―― 否。すでに目の端に涙を浮かべてうるうると弱々しい声を後ろに佇む青年にかけた。

「ムタ兄貴。諦めろ」
 ぽんっ、と肩を叩いて、隣にいた少年が青年の代わりに答える。

「でも、殺されますよぉ〜」
「安心するんだ、ムタ。骨は拾ってあげるから」

 今度は王子と呼ばれた青年がにっこりと微笑みを浮かべて応じた。

「…………酷いですぅ」

 それでも彼に拒否権はない。
 仕えるべき国では些か和気合い合い主義とはいえ、上の命令は絶対である。乳兄弟とはいえ、自分はしがない宮廷魔法使いその7。ほとんど王子の付き人と化しているのが実情で、その王子に逆らえるわけがない。
 渋々と彼は結界解呪を唱えだした。

『我が前に立ち塞がりし壁なる結び目を解きたまへ ―――― 』

 人が使える黒魔法の結界解呪。
 力が大きければ大きいほど強い結界を壊すことが出来る呪文だが、三人の前に立ち塞がっている結界にはなんの影響を及ぼすことも出来なかった。

 最も、この結界は魔法使いのトップクラスが挑んでも壊れることがなかったもの。

 所詮は宮廷魔法使いその7。
 魔法に関しては王子の方がまだ使える。ときに略称の「ムタ」ではなく「ヘタ」とか「ムダ」と呼ばれる彼でどうしようもないことくらいは十分すぎるほどわかっていた。

 問題はこの結界を解くことではない。黒魔法の波動をこの森にけしかけたという事実がほしいだけだった。

「……またおまえらか」

 呆れたような声が三人に掛かる。
 声のする方を追えば、アルベルトが木の幹に身体を預けてシラけた視線を向けていた。

「久しぶりだね、アルベルト」
 王子が待ってましたとばかりに軽く手を上げて挨拶をした。

「なにを考えてるんだ、さっさと帰れ」

 アルセリアにはけして聞かせたことなどないだろう冷たい口調でアルベルトは言う。
 けれど、かまわず王子は口を開く。

「そう邪険にしないでくれ。アルセリアに会わせてくれたら大人しく帰るよ」
「会う必要などなかろう?」

「もちろん、あるさ。僕はアルセリアに恋してる。恋をしてる以上、会いたいという気持ちは当然のものだからね」

 ぴくり、とアルベルトの片眉がつりあがる。
 不快 ―― というよりも、うさんくさそうな感じで青年を見据えた。

「おまえがアルセリアのなにを知ってる? 妄想を抱くのは自由だが、勝手にアルセリアを巻き込むな」

「巻き込んでるのはあんただろう。勝手な欲望でアルセリアを独り占めにして……」

 鋭い視線を王子は向けられて、ハッと息を呑んだ。

 思わずそれだけで、殺されてしまうような感覚が突き抜けた。アルベルトを包む威厳。だが、それは数瞬のことだった。

 すぐにアルベルトはふっ、と。口元に笑みを浮かべた。
 嘲笑するかのように ―――― 。

「偉大なる王子様は森に閉じ込められてるお姫様を救い出す。たいした物語だな。だが、アルセリアは別に閉じ込められてるわけじゃない。彼女がここにいるのは自分の意思だ」

 ぐっ、と王子は言葉に詰まった。

 アルベルトはもう用は済んだとばかりに踵を返し、森へと戻る。その背中に、王子の突き刺さるような視線が当ったが、彼は振り返ることはなかった。


 ここにいるのは自分の意思だ。
 先ほど自らが口にした言葉を思い浮かべて、アルベルトは苦い想いがこみ上げてくるのを感じた。

(本当に、そうだろうか ――― ?)

 ときにかられる疑問。
 アルベルトは両手を見つめてそれを握り締めた。
 幾度 ―― 繰り返し繰り返しそんな疑問を抱いたところで今更アルセリアを手放せるわけがない。確かに森に住んでるのは彼女の意思だ。

 けれど…、お姫様を閉じ込めているのはこの腕かもしれないな。
 自嘲気味に彼は笑う。

「愛する人にだったら、閉じ込められるのもきっとひとつの幸せよ」

 ぎゅっ、と背中から抱きつかれて、アルベルトは我に返った。

「……聞いてたのか?」
「だって、難しい顔して急に出て行くんだもん。気にならないわけないでしょ?」

 そうして、急に立ち止まって自分の腕を呆然と眺めて。何を考えてるのかなんてお見通しなんだから。
 拗ねるように言うアルセリアに苦笑が零れる。

「それにね!」

 つい、と。腕が外れて、アルセリアが前に回りこむ。

「私は閉じ込められるような性格してないよ? だから、やっぱりアルベルトの腕の中にいるのも私の意志なんだからね!」

 諭すような物言いで、にっこりと微笑む。

 それはそうだ、と頷きながら。
 ふと優しい風が二人を包み込むように吹いた。

「もう夏も終わりだな」

 しみじみと呟くと、アルセリアも風を感じるように目を閉じて、それから不意に手を伸ばしてきた。

「かえろっ、私の王子様」

 悪戯っぽく笑うアルセリアに、「お姫様の仰せのままに…」と返しながらその手を握る。


 森の中を楽しそうに笑う姫君と王子を柔らかくなりつつある日差しが包み込んでいた。