さやさやと風に揺れる木々の葉の音を聞きながら、アルベルトは目を閉じた。とん、と樹に寄り掛かる。
その手には一枚の紙が握られていた。
(気が進まないな……。)
くしゃり、と手の中の紙を握りつぶす。深いため息がもれた。
今、情緒不安定なアルセリアを一人にはできない。それは迷うべくもないアルベルトの心。だけど、与えられた役割をきちんと果たしていかなければ、負担がかかるのはアルセリアだ。
風が木々を揺らす。ざわめく木々に応じるように、アルベルトは「わかってるさ」と頷いた。
手の中で握り潰した紙がボッ、と音を立てて燃え上がる。一瞬で灰と化した。
けれど心にかかる重みは、それとは違って消えないまま残る。
「我ながら、情けない」
呟いて、ダークブラウンの髪をかきあげた。苛立つ心を抑えるように。
ふと、アルセリアの気配を感じ取って、アルベルトは手の平をはたくと先ほどまで表していた苛立ちを微塵も感じさせないように表情を隠した。
「アルセリア?」
振り向いて、いつものように名前を呼ぶ。
「お茶の用意ができたから呼びに来たんだけど、どうしたの?」
開口一番に問いかけられて、アルベルトは内心焦ったけれど、ただ驚きだけを顔に出して聞いた。
「どうしたって、何がだ?」
不意にアルセリアが眉を顰める。
「珍しく苛立ってるから」
「俺が?」
「そう、アルベルトが」
繰り返して言うアルセリアの瞳には心配していることが一目でわかるほど真剣な光が浮かんでいた。
「 ―――― 敵わないな、アルセリアには」
一息ついて、アルベルトは降参するように軽く両手を挙げて言う。
「アルベルトのことは本人にも負けるつもりないもの。とぼけようったってムダなんだから」
嬉しそうにアルセリアは笑った。
その勝ち誇ったような笑みを見せる姿が愛しくて、迷わず抱き寄せる。
唐突な行動に、アルセリアから抗議の声が上がった。
「ちょっ、アルベルト?! 抱き締めて誤魔化そうとしてもダメだからね! ちゃんと理由をっ、」
「いいから、しばらくこのままでいてくれ」
遮るように言われて、ズルイ、とアルセリアは言いそうになった。
滅多に我侭を言わないアルベルトのお願いを、断れるわけがないから。それでも受け止めることには慣れてなくて、だから譲れない一歩を口にする。
「これで誤魔化したら、―――― 2時間は口聞かない」
その言葉に、思わずアルベルトは噴き出す。
「2時間?」
「し、仕方ないでしょ! それくらいが私の限界なんだからっ!」
腕の中で、アルセリアが真っ赤になっていることは簡単にアルベルトには想像できた。
顔を見たいという思いもあったけれど、それ以上に今は腕の中に閉じ込めておきたくて。更にぎゅっと抱き締める。
「……そうだな。俺はきっとそれさえも耐え切れないから、誤魔化したりはしないよ」
耳元で囁いて。
すると、アルセリアの腕が背中に回った。抱き締め返される。
「だけど今は俺が、アルセリアの傍にいたいと思ってるということを尊重すると約束してくれないか?」
ぴくり、とアルセリアの身体の震えが伝わってきた。
沈黙が落ちる。
「……やっぱりアルベルトはずるい」
先に沈黙を破って、拗ねるようにアルセリアが言う。
「いま離れるのは不安なんだ。森もそう言ってる。精霊たちの声が聞こえるだろう?」
「精霊たちはいつだって、アルベルトの良いように言うのよ」
ありえない、とアルベルトは小さく肩を竦める。
「でも、そういうことにしといてあげる」
クスクスと、嬉しそうな笑い声を零しながらアルセリアが言う。
安堵に胸を撫で下ろして、アルベルトは演技じみた言葉で返事をした。
「有難き、幸せ。どうか今しばらくは傍にいて離れることなきよう。いや、永遠に、か」
楽しそうにアルセリアが笑う。ふと、アルセリアは小さく真剣な口調で感謝した。
「アルベルト、ありがとう」
それに応じるかのように、アルベルトは少しだけ身を離して、アルセリアの顎を持ち上げると、優しく唇に口づけた。
そんな二人を守るかのように、さやさやと風が吹いた。