01:満たされない心
 そろそろ帰らないと、叱られる。
 窓から入り込んでくる日差しの色を見ながらそう思った。
 今の立場ではたった数分の不在でも、執務に遅れが出てくるとあらゆる関係者に苦情を言われてしまう。むしろ、誰にもなにも言わずにいなくなるなど言語道断だと責められて、下手をすれば執務室から出ることすら禁止されてしまうことになる。そんな息が詰まることにはなりたくない。だけど、同時に仕方ないとも感じる自分がいる。視線を動かして、隣で安心しきったように寝入る彼を見る。起こしたくなかった。いつもは闇にとけこむような髪をしているのに、やわらかい日差しを受けて、色が淡くなっている。時折、開け放したままにした窓から入り込んでくる風がさらりと彼の短い髪を揺らしていく。自信満々で余裕に満ちた煌きを放つ黒い瞳も、今はゆったりと閉じられたままだった。
 起きている時もしみじみ思うけれど、キレイな顔をしていると思う。甘い雰囲気はなく、優しいわけでもなく、怜悧な顔と、物事を斜めに見るような性格なのに、昔から女性にはもてていた。どれだけの女を落せるか、そう挑発するように笑って言う男。女遊びが激しいのに、女性は男と付き合い、本気になる。確かに頭も良くて回転が速いから話していて面白い。話題が尽きることはない。神界で生き字引と呼ばれる老師と会話が成立するくらいに広く深い知識を持っている。だからといって、彼と付き合う女性達がそんなことで本気になるとは思えない。神界の女性達は顔、頭、器量のすべてにおいて、ずば抜けている男達を見て育っているのだから。そう思うと、益々わからなかった。
(彼に本気になる女性たちがわからないのか。……それとも。)
 それとも、好きになるという気持ち自体がわからないのか。まだ手探りの状態でもがいている私にはわからないことだと、溜息をついた。
「……ユーファ?」
 思わず零してしまった溜息を聞き取ったのか、閉じられていた瞼が上がり、黒い瞳が見える。同時に上掛けからむきだしの腕が伸びてきて胸の中に引き寄せられ、抱き締められた。お互い裸の身体がぴたりと触れ合う。
「私、そろそろ行くね。書類が溜まってる頃だから」
 見上げて言うと、苦笑する声が聞こえてきた。
「俺とベットにいるっていうのに、仕事の話をするのはおまえだけだ」
「わからないんだもの」
 黙っていることに罪悪感を覚えて、正直にそう口に出していた。そっと髪を撫でられて、先を促される。
「これでよかったのかって……」
 呟いてしまえば、その言葉は重石になってずしりと胸に抱えることになった。実際に身体を重ねている最中も何度も頭の中を過ぎった言葉。何度も、何度も。最後まで、そして今も。答えは出ない。髪を撫でる手は一定のリズムを保っていて、気持ちよさに段々と眠くなってくる。もう時間がない。ダメなのに。それでも初めての経験で身体はだるく、焦る気持ちとは裏腹にもう少しこうしていたいと思ってもいて、意識はそう引き摺られていく。
「おまえは俺のものだ。そうだろう?」
 囁くようにかけられる言葉は傲慢なのに、甘く耳から入り込んで身体の中に浸透していくようで。
 否定するだけの気持ちはわきあがってこない。同時に胸にこみあげてくる切なさにぎゅっと手の平を握り締める。
(だけど、私はあなたを愛していない ――― 。)
 声に出して伝えることはできないけれど、それは理解していない自分自身の真実のような気がする。言い訳がたくさん浮かぶ。寂しかった。誰かに甘えたかった。ただの、好奇心。好きになれたら、と思う。むしろ、大好きだからかもしれない。それは愛とは違っていて。
「私にはわからない」
 髪を撫でる手を離せないと感じながらも、そうだと頷けないことが苦しくて、そう答えるだけが精一杯だった。彼自身、いつも強い光を秘めている目が迷うように揺れていたことに気づきもしないで。

 天神界に住まう神々の中心部となる統神殿(とうしんでん)は大きくは四つの建物に分けられている。すべてを司る神帝が執務を行なう主殿、次期神帝が暮らし、学び、執務を行なう西殿、神帝縁の者たちが住まう東殿。他の神々たちが執務を行なう正殿。
 次期神帝として西殿に暮らすユーファは、大きな柱の影に身体を潜ませながら、斜め前方に見える自分の執務室に続く扉を見て、うっと呻いた。すぐに柱に隠れる。
「紫水(しすい)……。扉の前で待ち伏せなんて、しつこい」
 溜息混じりに呟いた声は自然とうんざりしたものになってしまった。さっきまで延々と師である老師から説教を受けた。更に神帝にまで呼ばれて、これから半年の期間は外出禁止を命じられた。そのうえ、自由時間は弟にあたるファズライの監視つきになって、最早どうにでもなれと投げ出していたのに。もうひとつ、補佐官に任命されている紫水の存在を忘れていた。いや、忘れていたかった。だけど、現実は堂々と扉の前に存在している。あれは、どうみても待っていた。扉に寄りかかって腕を組んで目を閉じてはいるけれど、不機嫌な空気を纏っていることは隠そうともしていない。
 甘い蜂蜜色の髪と男にしては優しい顔つき、見た瞬間に目が離せなくなる美貌は、それが多い天神界においても美の女神と崇められているヴィーナにも劣らないと言われ、どちらが上かという話まである。執務着である軽装であっても、彼が姿を見せただけですべての者たちが見惚れてしまう立ち姿に、今は逃げ出したい気持ちになった。しかも、その両側には書類と思われる紙が彼の背丈半分は積まれていて、これでこのまま踵を返して逃げ出したら最後、誤魔化している彼の願いを持ち出され、叶えさせるに決まってる。

 それはできない。それだけは絶対に。

「 ――― 仕方ないか」
 覚悟を決めて、扉の前まで空間を渡った。
「あと三分で出て来なかったら、そこの柱まで会いにいこうと思ってたんだ」
 扉の前に姿を見せた瞬間、中性的な美しさをもつ顔がにっこりと微笑み、蒼い目が開いて紫水が肩を竦めた。
「気配消してたのにわかったの?」
「読む必要はないよ。行動パターンで把握してるから」
 返ってきた言葉にがっくりと肩を落とす。行動パターン。それについては呆れられたり、苦笑されながらいろんなところで窘められてしまう。プライベートになると途端に単純になる、と。純粋すぎると言われることはまだマシだと最近思うほど。
「執務時間が一時間遅れるのはかまわないと思うけど、気配を消していたのはどうしてかな?」
 優しい物言いの中に、剣呑な響きがある。答えるまで許さないという意思を感じ取って、見つめてくる深い蒼に染まる瞳から視線を逸らし、床に積まれている書類に落とした。
「他の神々が気配をすっかり消してしまった君を追えないのはわかる。能力においては君は現神帝も凌ぐほどだからね。だけど、<誓言>である彼に見つけられないはずがない。そして、君がいなくなったらちゃんと連れ戻してくるか、神帝に報告することが役目だろう。それが共に姿を消したとなると、問題だね」
「紫水!」
 咎めるように名前を呼ぶ。
 いつだってそうだ。紫水と話すと正論だけど、追い詰められているように感じてしまう。段々と息苦しくなって、呼吸が止められてしまうような、感覚。怖くなって拒絶するように呼んでしまって、はっと我に返った。顔を上げて見ても、彼は変わらずに甘い顔に穏やかな表情を浮かべている。だけど、見つめあう瞳からは痛いほどに伝わってくる。

 <誓言>への憧れ。強い、望み。

「……仕事に戻ろう」
 沈黙を破って、先に降参するのはいつも紫水。今は言いたいことを諦めるように溜息を零して、彼は積まれている書類の表面をぽんっと触る。すぐにそれらは消えて、恐らく執務室の中に移動した。扉を開けて中に入る紫水の背中を見ながら、罪悪感が再びわきあがってくる。
(あの背中を抱き締めることができたら。)
 少しは、二人の間に流れる重さを優しいものへ変えることができるだろうか。素直に心に抱えているものを吐露できれば或いは ―― 。そんなこと、できないのに。できないから、またひとつ重りを増やしてしまった。
「ユーファ様?」
 部屋の中から訝るように呼ばれて、今行くと返事だけをする。
 いっそ、ここじゃないどこかへ行けてしまえたらいいのにといつも思う。そう思いながら、今日の分の仕事を片付けるべく、紫水の後に続いて足を踏み進めた。

 ――― 逃げないか。
 躊躇うように言われた言葉に顔を上げる。相変わらず、彼の腕は私の身体に回されていて、少しでも離れることを許さないかのようにぴったりと身体を触れ合わせる。心もこんなふうに寄り添えたら、ほんの少しくらいは甘い気持ちがもてるかもしれないのにと残念に思った。
「ユーファ? 聞いてるのか?」
「どこに逃げるの?」
 怪訝そうに見下ろしてくる、取り込まされてしまいそうな暗い瞳から逸らして、ほっそりと見える身体とは裏腹に厚い胸板に顔をうずめて聞き返す。
 剣を扱うことにおいては天神界で並ぶ者はいない。この世界でそうなら、誰も彼には敵わない。だからこそ、彼 ―― 闇神になるはずだった、ザナンは私の最初の<誓言>に選ばれた。神帝となるべき者の最初の<誓言>は、神帝会議で他の神々によって決められる。本人達でさえ、その決定は断れず、そうはいってもお互いが受け入れないと成り立たないから無理矢理決められたわけでもない。そのときは、こんな関係をザナンと結ぶことになるとは思わなかった。
 私は剣を習っていて、あらゆるところに自由に出掛ける彼の話は知識の深さも相まって話は面白く、親友のように感じていた。或いは、尊敬できる身近な存在として。だから<誓言>と決められたときは、嬉しかった。それをザナンも受け入れたと知ったときは、もっと。
 変わらない関係だと思っていたのに ―― こうなってしまったのがどうしてなのか、今は思い出せなかった。なんとなく。―― 本当になんとなくで、ただわかるのは彼を愛しているからじゃない。それだけは真実だった。愛がわからなくても、ザナンへの気持ちには<誓言>としての気持ちしかない。それなのに、抱き締めようとするこの腕を拒むことができなかった。彼にとって女性と関係をもつことは遊びでしかない。そう理解していても、複雑な気持ちになる。遊びなら、身体の関係をもつことが許されない<誓言>である自分とそうなる必要はないのに。遊びにしては、危険すぎる。危険なことほど首を突っ込みたくなる彼の性分を知らないわけじゃないから、余計にわからなくなる。
「逃げるって言うのは相応しくないか。少し休みもらって、どこかの星でふたりっきりの時間をもたねぇか? 仕事の合間の時間なんて短すぎる。おまえを抱くにしても、気持ちを通わせるにしても」
「紫水が私たちのことを疑ってるからだめ。許してもらえ ―― 」
 最後まで言わないうちに、唇を深く塞がれる。呼吸さえ奪いつくすような、深く熱い口づけ。酔いしれる前に、胸を押して離れた。
「ザナン!」
「あいつの名前を出すな。それに許してもらおうとは思ってねぇよ。俺は自分のしたいようにするし、おまえは俺のものだから拒否することはそれこそ許さない」
「私は私のものよ!」
 射抜いてくる強い視線を受け止めて、否定する。強い光が彼の瞳に浮かんで、消えた。それを誤魔化すように苦笑して、髪を撫でてくる。
「ああ。言い方が悪かった。だけど、どこかに行こう。今それだけは譲りたくない」
 気持ちがこもっていない謝罪に、それが伝わらないわけないのにと苦い気持ちがこみあげてくる。<誓言>としての絆は互いの気持ちも存在もどんなものより身近になる。わからないわけないのに、と胸の内でもう一度呟いた。
「……明後日。ファズライの誕生祝いがあるから。その次の日の神帝会議のあとなら」
「どのくらいだ?」
「星回りするって名目で、一週間くらいはなんとかなるけど。それじゃあ、ダメ?」
一週間、そう呟いて、ザナンはふっと笑みを浮かべた。
「いいさ。それだけあれば、気持ちの整理もつくだろ」
「どういう意味?」
 ザナンの言葉に引っ掛かりを覚えて首を傾げると、にやりと意地の悪い笑みを向けられた。漆黒の瞳が面白そうに煌く。<誓言>で、互いの存在への繋がりは感じていたとしても、ザナンの思惑を察することは難しい。自分にとって不利なことにはならないと、信じられるだけだ。
 ふと、神帝に言われた言葉を思い出す。<誓言>の存在がひとりだけというのは、次期神帝としての示しがつかないと言われた。神々に慕われる存在であるべき者の信頼すべきがひとりなど、と。しかも、<誓言>への願書をほとんどの神々―を初め様々な種族長たちが出しているにも関わらず。そのすべてを読んだし、ユーファ自身も実際に知っている者もいる。だけど、ザナンのように引きずり込めないと感じた。永遠を、自分に誓わせるなど。それは傲慢だと、感じずにはいられない。
「ユーファー」
 のんびりとした口調で呼ばれて、はっと我に返るとザナンがじっと見つめてきていた。慌てて、笑みを浮かべようとして失敗する。くしゃりと顔が歪んで、眦が熱くなるのがわかった。
「何も心配いらないから、もう泣くなって」
 頭を温かな胸に引き寄せられる。
 他の者たちには常に一線をひいて、突き放す彼がどうして自分にはこんなに優しいんだろうと、胸が痛む。わからない。抱き締めてくれるのが、<誓言>だからか。それとも、違う何かがあるのか。
「ごめんね、ザナン……」
 ただ、謝るしかできなかった。彼が求めているものと、自分が求めているものはきっと、違う。だけど、このまま永遠に一緒にいたら、或いはその気持ちが重なる日がくるかもしれない。そんな願いを胸の奥にそっと秘めた。

 抜け出したい、と思って咄嗟に気配を消した。ある程度の役目は果たしたし、私が気配を消すのはいつものことだから、そう大きな騒ぎにもならないはず。そう思って、気配を消したあとは東殿にあるパーティー用の建物から抜け出した。
(そういえば、ザナンも姿がなかったような ―― 。)
 もともと彼だってこういうところは嫌いだ。社交的であれど、自分の勝手気ままな振る舞いを押し付けようとする頭の固い連中がいるところは苦手としていた。ユーファがいるから、<誓言>になり、彼女が出席する以上は最初はついててくれるけれど、すぐに姿を消す。何かあれば真っ先に駆けつけてくれることはわかっているから、それでいい。身体を重ねても変わらない態度に、安心する気持ちとわずかに締め付けられるような胸の痛みを感じていた。
 不意に何かの気配と風に流されてくる声を聞き取って、足を止める。周囲を見回して、少し先の柱の影にひとりの女性がいることに気づいた。男性とふたり。男性は背中を向けていたけれど、気配とその黒い髪で誰かはすぐにわかった。女性の長い、金の髪がさらりと風に揺れる。抱き締められているために、顔はわからなかった。咄嗟に側にあった柱に隠れる。
「ザナン様ともあろうお方がこのようなところでさぼっていらしていいんですの?」
 女性が呼んだ名前に、どきんっと胸が高鳴った。動揺してはいけないと、気配を消すことに集中する。立ち去ろうかと思ったけれど、足が動かなかった。まるで地面に縫い止められてしまったように。
「かまわねぇって。第一、この天神界であいつに何かをしようって奴がいるわけねーし」
「確かにそうですわね。ユーファ様は我々、神々の宝ですから」
 肯定する女性の言葉に、息苦しさを覚える。苦い想いが胸に広がった。
「そうそう。だから俺がいつまでもひっついて、あのお子様の相手してる必要は本当はねぇってわけ」

 ――― お子様。

 鋭い棘が胸に突き刺さったみたいに、痛みが走る。
(そんなふうに思っていたなんて ――― 。)
 無意識に右手で胸を押さえていた。

「そんな言い方なさるなんて……」
「神帝に逆らうのが面倒で<誓言>になったんだぜ。お子様にいつも従うってのは疲れるの。あんたの身体で癒してくれよ」
 くすくすと愉しげに笑う声が聞こえてきて、不快になる。それ以上聞いていたら動揺して、気配を掴まれそうな気がして急いで、適当に空間を渡った。
 たとえ<誓言>としての役目からくるものでも、想ってくれる心は本物だと信じていた。面倒。疲れる。そんなふうに感じていたなんて。
(やっぱり ―― 。)
 彼にとって、私と身体を重ねるのは遊びだったんだ。次期神帝を抱くという、遊び。或いは、暇潰し。<誓言>関係でそれをするというスリル。そう思い知った途端に吐き気を覚えた。自分だって、愛があったわけじゃない。だけど、 ―― 少なくともそんないい加減な気持ちで。
「……っ、くっ」
 ――― 泣いてはだめ。  ぎゅっと強く目蓋を閉じて、言い聞かせる。
 涙を流し、悲しみに飲まれたら、<誓言>である彼には伝わる。感情を曝け出すわけにはいかない。少なくとも、今は。爪が食い込むほど強く、手の平を握り締める。

「ユーファ様?」

   はっと顔を上げると、そこには驚いたように蒼い目を見開いている紫水がいた。
「紫水? どうして、ここに?」
「ここにって、ここは俺の神殿だよ」
 甘い顔が苦く笑う。その言葉に慌てて周囲を見回した。
 滝が流れ、床を水が覆い、透明で神秘に溢れたその場所は、神水殿(しんすいでん)。西殿に最も近い位置にあり、確かにそこは補佐官である紫水に与えられている処だった。水浴でもしていたのか、薄衣を着た紫水の全身は濡れている。夜でも煌く蜂蜜色の髪から、ぽたりと水が滴り落ちて身体に流れる様子が色気を含んでいて、目が離せなくなる。見つめていると、くすりと甘い笑みを浮かべられた。
「俺に見惚れてる?」
「まっ、まさか!」
 慌てて首を振って、視線を逸らす。見上げると、満月があってその光の柔らかさに目を細める。ぴちゃりと水がはねる音がして、視線を戻すと紫水が仰向けで水面に浮かんでいた。薄衣は透けないけれど、ぴったりと身体に張り付いていて、彼の甘く優しい顔つきとは違い筋肉質な胸板がはっきりとわかる。
「ファズライ様の生誕祭を抜け出してきたの?」
「役目は果たしたもの。いつまでも付き合っていられない」
 肩を竦める。誕生祝もふたりだけのときに渡したし、そのときにおめでとう、と伝えた。パーティで見せてくれる笑顔より、ふたりだけのときにくれるファズライの笑顔が嬉しい。主役が彼である以上、ずっと傍にいるわけにもいかないのに、あの場に居続ける意味がない。息が詰まるだけ。
「紫水は出席しなかったの? 仮にも、補佐官が主人の弟の生誕祭に」
 義務はあるはずだったのに、勿論、そんなものに縛り付けるつもりはないけれど。なによりも責任を重んじる彼らしくないと疑問に思う。
「ユーファ様の一番傍にいられないのに、見ている側にいるつもりはないよ」
 ザナンと一緒にいるところは見たくない、とそれは彼の<誓言>への願書を断ってからずっと言われていることだった。だから、公式の場でも必要にかられない限り出席しない。相反しているふたりに溜息をつきたくなることもある。ザナンのことを思い出して、ずきんと胸が痛んだ。
「紫水は唯一神になれるのよ。どうして<誓言>に拘るの?」
 光神や闇神のように、希望さえ出し、神帝会議で承認されれば、誰もに尊敬を抱かれる唯一神になれる。<誓言>は、永遠に誓った神の臣下でしかない。補佐的役割の地位しかない。その先、どんなに地位や権力が欲しくなっても、手に入れることができなくなる。
 水がはねる音がして、気がついたときには紫水が目の前に立っていた。蒼い目にじっと見下ろされる。不安定に瞳を揺らす自分が写っていて、目蓋を下ろす。頬に、そっと彼の指が触れる。まるで宝物に触れるように優しく触れてくる指先に、胸が高鳴った。
「俺が欲しいのは、君との永遠だ。他のなにもいらない。君が ―― 君だけが欲しいんだ」
 大切だと言葉だけじゃなくて、触れている指先から彼の想いがまっすぐに伝わってくる。胸に刺さっている棘をゆっくりと溶かすように、それは甘くて。その甘さに浸ってしまいたいのに、すべてを信じることはできないと首を振る。
「<誓言>の関係では愛は交わせない。他の存在なら、或いは愛し合えるかもしれないのに、どうして<誓言>に拘るの?! 私が欲しいなら、<誓言>は可能性はゼロになるのよ!」
「 ―― 君の傍に。最も傍にいられるのは、<誓言>としてだけだ。俺はそれがわかっている」
 頬を両手に包まれる。触れている手の平から熱が伝わってきて、胸を焦がしていく。蒼い瞳をじっと見つめていると、深まって紫に揺らめいていることに気づいた。それは、紫水が何よりも本気だという証。
「君が俺を男として愛することはないよ。俺にはそれはわかっている。だからせめて、俺は<誓言>として、君との永遠が欲しいんだ。それさえも許されないのなら、俺は ―― 」
 苦しげに吐き出された本音がぎゅっと胸を締め付ける。痛いほどに伝わってくる紫水の真剣な想いが、傷ついた気持ちを癒していくのを感じた。
( ――― 受け入れたい。)
 この想いを。彼の気持ちを。
 もうそこから逃げ出すのは卑怯な気がして、彼の頬に手を伸ばす。触れた頬は水に濡れているにも関わらず、温かくて ―― 涙が零れる。

「あなたを私の<誓言>として認めます」

 自然と零れ落ちた言葉。そう発した途端、強く腕をひかれて抱き締められた。ありがとう、と耳元で囁かれる。その声は喜びに満ちていて、ほんの少し ―― 。

 満たされなかった心に、なにかが零れ落ちたような気がした。

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