04:歪み始めた道
 今朝の神帝会議で星回りの結果と新しく<誓言>に加わる三名を報告して、いくつかの書類を神帝に提出した。元々、神帝に付く<誓言>は過去最大で五十名、少なくて十名で、むしろ多いほど神帝としての立場の尊大さでもあるから、ユーファが選んだ<誓言>を反対する者はいなかった。ただ、十分に不満そうな空気は流れていたけれど、それはいつも通り、にっこり笑ってもっともらしい口上を述べることで適当に対処した。

「最近、星神のところに入り浸っているそうだが……」
 報告書を手渡すと、神帝は読んでいた書類から顔をあげて、疑惑が入り混じった視線を向けてきた。幸いにも今、この執務室には神帝とユーファしかおらず、動揺を捉えるものはいなかった。あくまでいつも通りを装って笑みを浮かべる。
「統制という意味では星神も似た役目でしょう? 彼の話はとても勉強になりますよ」
「なるほど。……しかし、星神の元へ行くときに<誓言>を置いていってるのはなぜだ?」
 思わず眉を顰めそうになって、背中に回していた手を握り締めることで、どうにか堪える。時々、神帝とのやり取りは狸の化かし合いになっている気がしていた。距離を感じるのは、役目のせいばかりだろうか。ふと思って、神帝の顔をじっと見つめてしまった。
「ユーファ?」
 訝るように名前を呼ばれて、はっと我に返る。
「星神はあまり社交的とは言えません。ただでさえ押しかけて迷惑をかけているのに、大勢では会ってもらえそうにないと思ったんです」
 私の言葉に、神帝は顎に手をあて考え込んだ。
「確かに ―― 今の星神はそうだな。仕事熱心で自分の領域からあまり出ない非社交的存在だ。私も困っているところもある」
 真面目なのだろうか、と神帝の言葉を聞いてふと、疑問に思った。仕事熱心イコール、真面目だとは思えないような気がした。どちらかというと、星神の仕事に対する想いは、情熱というよりも、執着という言葉が当て嵌まる。星に抱く、それは何か危険なものが含まれているようにも時々感じていた。わかってはいても、彼を好きだと思う気持ちは募るばかりで、自分でもコントロールできずにいた。
「次の神帝であるそなたが、きちんと星神を受け止めてくれるなら、それはいいことだと思う。しかし、あまり周囲を不安にするような行為は差し控えるように」
 釘を刺すように厳しい顔つきで言いながらも、その目は優しい。信頼してくれていることがわかるだけに、胸が痛んだ。わかりました、と頭を下げて執務室を後にする。
 頷いたものの、またすぐに星神のもとに行きたくなった。顔が見たい。あの声を聞きたい。優しく名前を呼んで欲しい。移動しようか、と空間を開きかけたとき、視界にザナンの姿を捉えた。すぐに空間を閉じて、何もなかったように彼のもとに歩み寄った。
「どうしたの?」
 最近はいつもそう。不機嫌を纏っているザナンに、不安が募る。他の<誓言>を連れてきたとき、お世話を頼もうとしたけれど、適任ではないと判断してそれはシスイに頼んだ。シスイは彼らを<誓言>にしたとき一緒にいたこともあって、すんなりと請け負ってくれた。今頃は、天神界での規則を頭に叩き込まれている頃かもしれない。想像して、少しおかしくなった。<誓言>のひとりである、狼(ロウ)はそれに辟易してどこかへ逃げ出しているかも。燐(リン)は真剣に取り組んでいるだろうけど、容量が多すぎてパニックになっているかもしれない。琥珀(コハク)は、飛龍族特有と言われている無限大の記憶力があるから、要領よく覚えるというよりも、丸ごとすべて暗記してしまうような気がする。
 その様子を思い浮かべていたけれど、ザナンの声に打ち消された。

「話がある。他のやつらがいないところに行こうぜ」
 ついてこいよ、と返事も聞かずに空間を開いて先に入り込んでいった。ついていくことにわずかな躊躇いはあるけれど、このままにしておくわけにもいかず、後に続いて空間を渡った。

( ――― どこまで行くつもり?)
 空間を抜け出さずに、ひたすら歩いているザナンの背中を見ながら不安に駆られる。こんなふうに関係を複雑にするつもりはなかったのに。そう思ったところで、自分が犯した行為に取り返しはつかない。ザナンを傷つけてしまったのかもしれない。だけど、まさかそんなわけないと否定する。ザナンは確かに言った。お子様に付き合っているだけだと。本気じゃなかった。 ――― 仮に、本気だったとしても、どうしようもない。私は、もう。本気で星神が好きだと気づいたから。好きになってしまったから。

『ユーファ』

 不意に胸の中に沁み込んでいる優しく、甘い声が聞こえた気がして、足を止めた。まるで、それ以上進んではダメだと制止するみたいに。息を呑んで、周囲を見回す。此処に今いるはずがないのに。

「どうした?」
 怪訝そうな顔でザナンが振り向いた。その目を見た途端、背筋に寒気が走った。わけもなく焦燥に駆られる。いつものようなからかい混じりの光は浮かんでいない。感情の色が読み取れる藍色の瞳は深淵を思わせるほどの闇を湛えていた。
「もっ、もうここで十分でしょ?」
 <誓言>を怖いと思うはずがない。守り守られるべき存在を、心が通じ合う者にそんな感情を抱くはずがない。まして、ずっと<誓言>だった、彼を。そうは思うのに、足が竦んで動けなくなった。それに気づいたように、苦笑を浮かべてザナンが歩み寄ってくる。
「何でそんな怖がってるんだ? 星回りが終わってから―― いや。途中から変だったな。急にヴィーナのもとに潜んだかと思えば、やたら星神のところにひとりで向かう」
 目の前に立ったザナンの視線に貫かれて、無意識に手の平を握り締めていた。
「おまえが<誓言>を増やしたのは、俺とふたりになる時間が息苦しくなったからだろ?」
「違うっ!」
 思いがけない問いかけに、反射的に答えていた。どうしてそんなことを言い出すのかわからない。第一、そんなことが理由で彼らを<誓言>として認めたなんて思われるのは嫌だ。心から思った。彼らを<誓言>にしたいと。望んで、奇跡的にも望んでもらえた。
「真剣な気持ちじゃないと<誓言>は結べないっ。わかってるでしょ!」
「相変わらず、自分を過小評価しすぎだな。いや、わかってないのか……。どんな理由でも機会があったら、そこにつけ込むさ。おまえの<誓言>になれるんだったら、利用されようが望むんだ。たとえ、使い捨てだろうが」
「……使い捨てって、私はそんなこと!」
 まるで、ザナンの言葉ひとつひとつが胸を切り刻んでいくみたいに、段々と息苦しくなってくる。確かに今までも言葉は厳しいものがあったけれど、それはあくまで私が甘えないように、愚かにならないよう、突き放して、自分の目で真実を掴み取らせるためであって、奥底には間違えようもなく感じ取ることができる温かさと優しさがあった。見守ってくれるその眼差しを感じていられた。

 それなのに、いつからだろう。彼との関係が変わってから?

 ――― 歪み始めた気がする。変わらないと。<誓言>だから永遠だと思っていたのに、何かが少しずつ、歪み始めてしまった。

「ユーファ」
 ひたりと黒い目が剣呑な光を宿す。さっきまでの憤りを含んだ声を発していたときとは裏腹に、静かな口調で名前を呼ばれて、恐怖が胸の中に宿る。怖い。けれど、それは、ザナンに対してのものじゃない。これから彼が告げようとしている言葉に対してのものだと気づいて、耳を塞いだ。
「いや。やだ。聞きたくない」
 拒絶の言葉を吐き出して、後ろに下がる。けれど、それを許してくれるほど彼は優しくはなくて、追い詰めてくると、耳を塞いでる手を取って、強引にはずさせた。
「俺は、おまえが欲しい」
 全身が凍りついたように動かなくなる。
 ひたりと見据えてくる瞳は、これまでのどんなときよりも真剣な光を湛えていて、いつものからかいを含んだ笑みは欠片も浮かんでいない。わかっていても、それ以上は聞きたくなくて、唇を開く。
「……なに、言ってるの? あなたは<誓言>なのよ?」
「ああ、わかってる」
「だったら、冗談は止めて。<誓言>は永遠に降りることのできない、神聖なもの。その関係がある限り、私があなたのものになることは ―――」
 言葉を遮るように、ザナンの唇に塞がれた。
 ( ――― いやっ!)
 脳裏に浮かんだ姿。そして、触れ合う唇の熱の違いを感じて、咄嗟に胸を押しのけ、全身で拒絶する。気がついたら、手を振り上げていた。空間に、乾いた音が鳴り響く。
 パンッ、と甲高い音に、我に返った。呆然と、赤くなった頬を歪めるザナンを見つめる。これまで、彼のどんなことも受け入れてきたのに、拒絶したことが自分で信じられなかった。
「次期神帝としてのプレッシャーを俺に依存することで耐えてたおまえが……初めてだな。俺を拒絶するのは」
 苦々しく吐き出された言葉に一瞬、息が止まった。
 心の底に押し隠していたことを、見透かされているとは思わなかった。知られているなんて ―― 。
「他の<誓言>を手に入れたからか? それとも ―― 」
 彼の目が探るようにスッと、細まる。射抜くような視線に、動揺を悟られないよう、あくまで睨み返す。
 星神のことを知られたら、ザナンは間違いなく彼を消滅させてしまう。<誓言>であるザナンと唯一神である星神に権力差はあっても、彼はそれさえも無効化する<能力>を持っている。私が傍にいる限り、その<能力>を行使することはないと約束してくれたけど、その絆を危うくする可能性をもつ者が現われたとなれば、躊躇いなく奮うはず。星神を失うことは考えられない。だからこそ、絶対に本音を掴まれるわけにはいかなかった。

「……そうか、わかった」
 無言の攻防は、不意に零されたザナンの言葉で打ち切られた。彼は肩を竦めて、視線を逸らすようにくるりと踵を返す。
「ザナン?」
 様子を変えた彼の背中に、恐る恐る呼びかける。
 ザナンは、頭上を仰ぎ、暫く考え込むように沈黙した。背中は誰をも拒むような、孤独な空気を纏っている。その間が怖くなって、彼の背中に手を伸ばしかけた。
「ユーファ」
 かけられた呼び声に、ハッと手を止める。例えば、からかったりしてふざけるときでも、真剣なときでも、どんなに切羽詰ったときだって、ザナンが私の名前を口にするときには、優しさが滲んでいた。そうとわからないフリをすることもできないほどに、心がこもっていた。それなのに、今はなんの感情も込められていない。咎めるような冷たささえ、なくて、胸が苦しくなる。
「俺は暫くおまえから距離を置く。だから、何があっても俺を呼ぶな」
「っ、そんなことっ!」
「<誓言>の絆は断ち切れないが、お互い呼び合わなきゃ、距離は置ける」
 ふっ、と息をつくと、ザナンは振り返った。
 漆黒に染まる瞳は、感情ひとつ浮かんでいない。淡々と告げる内容は、まるで自分にとってなんでもないことのように。私の心は引き裂かれそうなくらい悲鳴をあげてるのに ――― 。
「……どうして?」
 思わずそう問いかけたけど、二人ともその理由はわかっている。ザナンは受け入れろといい、私はそれを拒んで ―― けれど、離れることだけは認めたくない。どうすればいいのかわからなくて、身体中の力が抜けたように、その場に膝を突く。スッと身体をかがめてきたザナンの手が、そっと顎を持ち上げた。見下ろしてくる彼の顔は厳しい表情を浮かべていて、これが現実だと突きつけてくる。
「いいか。これからおまえが俺を呼ぶたび、おまえの<誓言>をひとり消滅させる」
 告げられた内容に、ハッと息を呑む。
「なんでっ!」
「それくらい本気だってことをわからせるためさ。そうしておまえの傍から誰一人<誓言>がいなくなったら、また俺が戻ってやってもいい」
 それが嫌なら、俺の名を呼ぶな、と繰り返して、不敵な笑みを見せると彼は背を伸ばした。まっすぐ立って、もう一度呆然と見上げている私と目を合わせる。
「……いやっ。いかないで」
「俺はいつまでも茶番を続けるつもりはないんだ」
 茶番という言葉が胸を突き刺す。そんなつもりない。彼と<誓言>を結んだのはあくまで真剣な気持ちからで、ふざけた想いは欠片もなかった。重ねてきた二人の時間は、茶番で片付けられるようなものじゃないはずなのに。
 彼の言葉を拒絶したくて、首を振る。
「でもっ、いやっ!」
「このままだったら、お前を手に入れられねぇ」
「これから先っ、私がザナンのものになることは絶対ないっ。だからっ」
 ―― だから、<誓言>としてなら。お互い、傍にあることを許せるのに。
「どうしたって、欲しいんだから仕方ないだろ」
 ザナンの瞳が切なく揺れる。
 (どうして、今更 ―― 。)
 私を子どもだと、切り捨てたのはザナンじゃない。確かに彼が言うように、子どもだった。愛がどんなものかわからなかった。<誓言>への気持ちとの違いがわからなかった。だけど、今は身に沁みてる。どんなに星神に惹かれているか、彼を愛してるか。そして、その気持ちとは違うけど、どれだけ<誓言>が私にとって必要なものか、十分にわかってる。わかった。だから<誓言>として彼に傍にいて欲しい。それなのに。
「絶対、なんてーのはねぇよ。俺は諦めねぇ」
「いやっ、行かないでっ、お願いだから傍にいてっ!」
 我侭だとわかっていても、引き止める。
 だけど、ザナンは何も言わず、踵を返して私の言葉を振り払い、何事もなかったように空間を渡っていった。

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