ふわふわと浮かぶ光。
その存在に、世羅は目を見開いて咄嗟に身構えた。
「なんでっ?!」
[……安心しなさい。と言うのも変ですが、あなたたちのおかげで力に固執する私は消えました……]
先ほどまでとは違う。打って変わって優しい雰囲気と響きをもつ声を放つ光に、世羅の警戒心が薄れる。
「どういう意味……?」
問いかけると、光は感情の色を落とし、まるでため息を吐き出すように言う。
[力に執着するあまりにその意識がもうひとりの、私を作り出したのです。ただ、力を望み。管理することへ執着し、自らを神だと固執する別の意識を]
その言葉を理解した途端、世羅は驚いた表情を浮かべる。
「それならアナタは……!」
[いいえ。最早、私の力も残っていません。このまま、消滅するでしょう]
世羅が言おうとした言葉を遮って、光が言った。
まるで、彼女が呼ぼうとした名前がふさわしくないとでもいうように。優しい声音で。
[ほんの少しだけ。最後に貴女に残っている力を分けてください。もう加護とはいえ、力を使えなくなってしまうけれど……、聖を救うために]
光が放つ言葉がゆっくりと世羅の中に染み込んでくる。
最後?
―――― 聖を救うため?
力なんていらない。
ずっと、ずっと求めていたのは「聖」だから。
セラは大きく頷いた。笑顔で。
「もちろんっ!」
その言葉を受けて、一瞬。光が煌いた。それはまるで世羅の返事に優しく微笑むように。
[ただ、世羅。誤解だけはしないで下さい。私も、力に固執していた私であったものもまた、この世界を ―― 生み出された命の全てを愛していたのだということを。私たちは守る方法が違っただけです。力で管理し、守ろうとした]
でも、と。
光はゆっくりと世羅に近寄り、包み込んでいく。
[それぞれの世界の、それぞれの命の守り方を。忘れないで下さい。愛するものを守りたいという想い。それは誰も変わらないのだということ]
包み込まれるそのぬくもりに、どこか懐かしさを感じて世羅は頷き、頬に伝う涙を感じた。
[大切にしてください。命を、愛を。それを得ることができたという奇跡を]
その言葉を最後に、光は次第に薄れていく。
[行きなさい、セラ……。貴女の道を ―― 。神や天使としてでもなく、自らの選んだ道を信じて。塔の崩壊ももう抑え切れません。急いで。聖とは必ず会えますよ]
「……はい」
世羅は涙を拭って、頷くと踵を返した。
まるで「とんっ」と背中を押されるような感覚を覚えて、走り出す。
世羅の姿が見えなくなると、光も存在を失っていった。
[ルシフェル。アナタの「可能性」は見事なものでしたよ]
そんな小さな呟きだけが、ガラガラと天井が崩れ落ちる部屋の中に残った。
◆――◆
…………どっちなのっ?!
世羅は戸惑っていた。
入ってきたときは一瞬だったのに、部屋を出て暫らく廊下を進んだ先で、廊下が左右に分かれていた。
出口がわからない。
けれど、急がないと……!
「世羅ちゃん、こっちだっ!」
「ル……怜先輩!」
世羅は不意に目の前に現れた彼の姿に、驚き目を見張った。
「ばかっ! ボケっとしてる場合かっ!! 急げ!」
怒鳴りつける彼に慌てて頷いて、世羅は彼が指す方向へと進んだ。
「…………愛してるぜ」
彼女の背中を見送りながら、笑みを浮かべてそう呟いた怜の姿は崩れ落ちる瓦礫の中へ溶け込むように消えていった。
ようやく外へ続く扉を見つけて、世羅は走る勢いのまま開け放った。
光が目の中に飛び込んでくる。
世羅が外に足を踏み出した瞬間、塔が大きな音を立てて崩れ落ちた。
慌てて振り向くと、最早そこには、瓦礫と化した塔があるだけ。
世羅は呆然とその様子を見つめる。
「世羅ちゃんっ!」
頭上から声がして見上げると、青い空から純白の翼を広げながら、心配そうな表情で降りてくるラファエルとミカエルの姿があった。
ふたりは世羅の傍に降り立つ。
「先輩は?!」
「先輩? ああ、ルシファー? いや、見てないけど?」
ラファエルの答えに、世羅が愕然となった。
あとをついてきてると思っていたのに。
「言わなかったが、気配は消えてたぜ。神と対峙する前から」
ミカエルが苦々しい顔つきで言う。
(気配が……、消えてた?)
世羅は信じられないものを見るような目で彼を見つめた。
「おそらく、な」
その瞳を受けて、ミカエルは頷いた。
「……嘘。嘘よっ! だっ、だって……、なんでっ?!」
ルシファーの。怜の顔が脳裏を過ぎる。
いつだって、守って。傍にいてくれた。誰よりも近くて、遠かった、大切な家族だった。
そんな言葉だと「バカなこと言うなよ」って笑われそうだけど。でも……。
「せ……先輩……ばかぁっ!!!!!」
世羅はそう叫んで、泣き喚いた。
ラファエルとミカエルは複雑な表情で見つめていた。
下手に慰めることも。
言葉をかけることも出来ない。
あんたは、これでよかったのか?
ミカエルは今はもういない兄に、空へ向かって問いかけた。
『いいに決まってるだろ。彼女が生きて幸せだと笑う。それだけが俺の全てさ』
そんな答えが返ってくるのが、ミカエルにはなんとなくわかっていた。
(ホント、最後までカッコ付けだぜ ――― 兄貴。)
ルシファーが堕天使になってから、二度と呼ぶことのなかった呼び方を、
ミカエルは想いとともに空へ向けて放った。
「…………世羅?」
瓦礫に向かってうずくまり、泣きじゃくる彼女の背後から、ひとりの青年が呼びかけた。
世羅が振り向くと、そこにいたのは。
「聖っ!!!」
間違えようもないその姿に。
ずっと焦がれていた彼に、世羅は躊躇うことなく抱きついた。
薄い茶色のさらさらな髪も。暖かいぬくもりを伝えてくれる肌も。
世羅は確かめるように、彼の背中に回した手に力をこめる。
強く強く、抱き締め合って ―――。
「世羅……。ありがとう、君が救ってくれたんだ」
「帰ってきてくれて、嬉しい。おかえり、聖」
涙に濡れている顔で、それでも笑顔を浮かべる彼女に、聖はその耳元でささやいた。
「ただいま……」
もう二度と離さない、とでもいうように世羅を強く抱きしめて、
もう二度と離れない、とでもいうように聖を強く抱きしめて。
二人は誓いのキスを交わした。
END.....