―――― 守りたいものがあるの。


戦争がどんなものか、
経験したことがない私にはわからない。

だけど、たくさんの本を読んできたから、知っている。
それがどれだけ、誰かの、誰かにとっての ――― とても大切な命を奪ってきたものかを。
私たちの幸せがその上に成り立っているのだということを。

わかっているとまではいえないけれど……。
それでも、知っていることだってある。

 「……たとえ、意に沿わないことだとしても。それに何の関係があるっていうの?」

 「姫……っ!」

感情は表に出さずに、ただそれだけが真実とでもいうように冷たい口調で問いかける。
目の前に立つ彼 ―― 兄は焦った顔で悲痛な声を零す。

 (そんな顔をさせたかったわけではないのに……。)

言い切ってしまえば、国王になるには無能な人だった。
亡くなった前国王のたった一人の息子として、とても甘やかされて育った彼が行う
政の手腕はどれをとっても、国民のためになるものとはいえなかった。
それ故に国民たちは重税を取り立てられるようになり、飢えていくことを余儀なくされる。
国から逃げ、だけど捕まってしまえば厳罰が待っている。

ただ ―― 「死」を待つだけの現実に民たちから非難の声が上がっていることに、どうして
この人は気づかないのだろう。

それも、当然といえばそうなのかもしれない。
甘い汁を吸う貴族たちは国王である彼をうまく操り、目を、耳を塞いでしまうのだから。

そうして、自ら考えることを放棄してしまったこの無能な王は、始めてしまう。

――― 戦争を。

作物さえ育たなくなったこの地を放棄し、他の豊かな地を求めて。
なにより、支配を望んで。
貴族たちの望むままに。何の疑問も、思うわけではなく。

 「本気で言って……」
困惑したような彼の声に、我に返る。
戸惑う兄の目をまっすぐ見ながら、頷いた。

 「ええ。だって、お兄様は戦争を始めようとしているのよ?」
 「それとこれとは別だろう!」

カッとしたように真っ赤な顔で怒鳴る。
それを見ながら、ため息が零れた。

 「……同じです」

同じなの、お兄様。
本を読むのが嫌いだったから、知らないかもしれないけれど。
それでも ――― 想像はできるはず。

 「この国は、私たちが生まれる前からたくさんの ―― 誰かにとっての大切な命を
 犠牲にして存在してるの。
 それなのに私たちがまた命を犠牲にして、その上で生きていけるなどと思えないわ」

生きるために。
国が成り立つまでに。国の平和を存続させるために。
たくさんの命を奪ってきた。

―――― だけど、いちばん。
支配のために。自分たちのためだけに、他の、――― 大切な命を奪うなんて。
いちばん、醜い行為でしかない。

それを行う、お兄様を止めるためなら。
意に沿わないことだとしても、仕方ないじゃない。

 「無理だ……。お前を、殺せるわけがないだろう?!」
 「なぜ? たくさんの命を奪うのよ。私一人の命くらい……っ!」
 「民などの命とお前の命を比べるなっ!」

 (ああ ―― ……神様。どうしてこの人を国王になど生まれさせてきたのですか。)

導いていく人ならば、もっと。
国と一緒に歩いていく人なら、もっと。
ふさわしい人がいて、
別の誰かでもよかったのに。

 「民の命と私の命は比べるべくもないわ。王なら……国の王なら、わかるはず!」
民のために命を捧げるの。
――― でも、それは全て。そう、全てお兄様のためでもある。

 「だから、お願い。戦争を始めるのなら、私を初めに殺しなさい!」

まっすぐ見つめて言う。

薄い青色の目は怯えたようにびくりと揺れる。
逸らさずに、兄の握る剣を見て、笑った。柄にかかる手は小刻みに震えている。

 「……できないのなら。戦争なんてやめて下さい。もっと、国民のためになることを」
お願い、と。ふわり、と抱きしめた。

幼い頃、よく寂しがりで怖がりの兄をこうして、抱き締めてあげていた。
そんな彼でも大好きだよ、と笑っていつも、守ろうとしてくれたから。
だから、どんなに他の者たちにこの兄を馬鹿にされようとも、妹としてとても大好きだった。


――― とても、大好きだった。


鈍い音が聞こえて、身体を離そうとして強く抱き締められた。
 「…お、お兄様……?」
鋭い痛みが身体を支配していく。

 「おまえだけはわかってくれると思っていたのに……」
耳元で囁かれる言葉。
その意味を問いかけようとして ――― でも、意識が急に途切れた。

身体を貫く剣をゆっくりと抜き取る。
ぬるりとした血の感触が、更に悪夢を呼び寄せるかのようだった。
命を失って、がくりと力の抜けた身体を服が血に汚れることも気にならずに、
抱き止めた。

大好きだった。――― とても。

いつも弱い自分の背中を叩いて、温かく見守って、ぬくもりをくれた少女。
妹としてではなく、いつのまにかとても愛する女性となっていた。

この国が戦争で滅びてしまえば、その想いも昇華されると思ったのに。
戦争を始めた王として断罪されるか。それとも、最も愛する少女に憎まれるか。
その、どちらかで。

だが、許してはくれなかった。
戦争を始めるなら、殺せと言う少女のまっすぐとした姿にどうすればいいのかわからなかった。

こうする以外には ――― もう。
愚かな自分には他の方法など ――― なにひとつ。

 「……おまえなんて、大ッ嫌いだ!」

叫んで吐き捨てて、もう動かない少女の身体を強く抱き締めた。