貴女は卑怯だ……。 美しい花々に囲まれて、少女は眠りについていた。 花のようだと例えられた美貌はそのままに。月の光と歌われたたゆやかな金の髪も、 1度だけ触れたことのある柔らかい唇も。 そのままで ――― ただ。 優しい光を灯していた青い瞳だけが、もう二度と開かれることはない。 貴女は卑怯だ……。 少女の傍らに立つ青年は自らの拳を握り締める。 強く ―― 強く。 爪のせいか、拳からは赤い血が零れ落ちていく。 ぽた、ぽた、、、と。 それは、まるで ――― 青年の涙のように。 そんなに戦いたいのですか。 毅然とした態度で、まっすぐ向けられる目に青年は一瞬、呑まれそうになった。 慌てて落としそうになった書類を自然の動作で抱え直して、笑みを作る。 「突然、どうかされましたか……?」 「誤魔化さないで下さい」 返した言葉は一蹴される。 見つめてくる緑玉の瞳は逸らすことを許さなかった。 それでも、青年は笑顔を浮かべたまま首を傾ける。 「なにか誤解でもされているんですか?」 キッと、少女の目に睨まれた。 「ふざけないでっ。貴方は…、隣国に戦争をふっかけたのよ? お兄様を巻き込んでおいて知らないフリが 通ると思ってるの?!」 自分の思惑をあっさりと見破る少女の目に、内心は驚きながらそれでも面には出さずに、 肩を竦めるだけで素知らぬ顔をする。 「何を仰ってるのかわかりません。戦争をお決めになったのは、この国の王 ―― 貴女のお兄様ですよ。 私が、などとは恐れ多いことです」 「あくまで知らないフリをする気ね。私は……貴方なんて認めないわっ! 戦争なんて絶対に許さないっ!」 睨みつけてそう吐き捨てると、少女は踵を返して走り去った。 嵐が通った後の静けさが、青年を包む。 風がふわり、と黒髪を揺らしていく。 「……この世のどこにも、絶対などという言葉はありませんよ」 ふっと息をついて、呟いたその声は感情がこもっていない。 通り過ぎた風を追いかけるように、どこを見るわけでもない視線を向けている目は 闇をなお、暗くする。 「私利私欲で、最初に戦争を始めたのは誰だと思ってるんですか。囲った壁で守られて、 実際に傷ついてる国民を守ろうともしないというのに、理想論だけはお高いことで」 恐らく、あの少女はこの壁の向こうを見たことがないだろう。 飢餓 ―― 。そしてほんの少し、そう。あの少女が口にする朝食のおかず一品の代金。それがあれば 救える病で亡くなる子どもたち。 頭の中に刻みついている光景は、消えたことなど一度もない。 まるで青年を責めるように。 できることがあったのに、しようとしなかった自分への戒めであるかのように。 「理想論を述べるなら、同じところまで堕ちて来ていただかないと……」 この壁を壊し。 現実を ――― と願う。 だが、なによりも青年の心にあるのは目的とは違った思惑。 「貴女はこの僕を笑いますか?」 お金さえあれば、治るはずの病。 稼いだはずのお金は全て、他の子ども達に回されて、 彼女は「だいじょうぶ」そう微笑んで、耐えていた。 その結果、彼女はもう二度と目覚めることはなくなってしまった。 あのときの絶望を。 ――― 後悔を。 例えることなど、できはしない。 だけど、生きることを諦めてしまったあの女性を。 確かに今も、憎んでいる。 「これは賭けなんですよ」 この壁を壊して、現実を突きつけられたこの囲いの中で守られていた人々がどう動くか。 諦めずに前を見つめることができていたら、この賭けは負け。 でも、……もしも。逃げることがあったなら。 じっと手の平を見つめれば、傷の跡がある。 痛みは今も続いていて、あのときの気持ちを忘れたことなどない。 「現実の中で生きますか? 理想の中でその命を終わらせますか?」 目を閉じれば、まっすぐと見てくる翠の瞳が浮かんで。 彼女にはなかったその、命の強さを。羨ましく思えば、自然と笑みが零れる。 「……がっかりさせないで下さいね」 まだ、始まったばかりなのだから。 |