雪が…、真っ白い雪が降る頃に。
『僕は戻ってくるよ』

貴方はそう言って、私に背を向けた。
 「いつまでだって、待ってる!」
離れていく貴方の後ろ姿に叫んだ。


ラギソア国の領域にある小さな街ソアージュは、隣国ソ・ルアン王国との境目にあり、
戦争が絶えない両国間の標的となっていた。
一三年にも及ぶ戦いは、平和条約が取り交わされたことで終わりを告げたが、
前線となったソアージュは無残な瓦礫の街と化していた。
戦争終了後ということもあって、両国に残された資金もほとんどなく、
街は今だ鮮明に戦争の傷跡を残している。
死体は無数に転がっていて、腐敗しているものもあり、建てられていた家も、
形として残っているものはひとつとしてなかった。
充満する血と焼け焦げた匂い。

 「…………っ!」
その光景を一目見て女は、息を飲んだ。
これが街なの?
これが前線だったというの?
女の目にうつるのはどこを見ても<死>ばかりで<生>はなかった。
愕然となる。

『僕は戻ってくるよ』

まだ少年の声が頭の中に響いてる。
3年前まで、手紙を交わしていた。
元気だと。前線にいるけれど、ソ・ルアン王国の攻撃はとるにたらず、
街は守られているから大丈夫だ、と。
 「嘘つき……」
女の瞳に涙が浮かぶ。
 「お嬢様、もうよろしいでしょうか?」
傍に控えていた侍女が言う。
おそらく瞳に浮かぶ涙を恐ろしさゆえ。と判断したのだろう。
片手に持っていた絹のハンカチで涙をそっと拭きながら、首を横に振る。
 「ですが、ご結婚を控えている方がこのような所…、」
 「わかっているわ。でも、私は確かめたいの」
なにを、とは言わずに「は?」と首を傾ける侍女をおいて、女は
無人の街の中を足早に歩き出した。

幼なじみだった。
年が近いこともあってよく一緒に遊んだ。
ふたりの想いが愛に変わるのにそう時間はかからなくて。
たとえ召使いの息子と主の娘だったとしても。
お互い、真剣だった。

 「自分の力で、君を幸せにしたいんだ……」
戦争に行って手柄をたてれば、身分がもらえる。
そうすれば、伯爵様も結婚を認めて下さるよ。
意志の強さを瞳に宿して、彼は言った。

親の承認なんかいらない…。
駆け落ちでもいい!

そう言って、貴方が戦争に行くのを引き止めながら、
心の奥底では虫も殺せないような貴方が、人を殺しに行くことを選んだ。
それほどに愛してくれている、と喜んでいた。

その想いを「罪」とするなら、これは「罰」?

女はなにかに導かれるように、こびりつくような錆びた血の臭いの中を
進んで行く。

 「…………」

ふと、声が聞こえたような気がした。
息を飲み、覗うように周囲を見まわせば、視線の先になにかしら光るものを見つける。
 「……?」
恐る恐る近づいてみると、それはペンダントだった。
女はかがんで、ペンダントを手に取る。
金に染められているそれに、見覚えがあった。蓋は、薔薇の刻印がある。
慌てて、それを開けると。
パサッ、、と一枚の小さな紙切れが落ちた。
それを拾って、女はペンダントの中に小さく納まっている一枚の写真に
涙が溢れてくるのを感じた。
そこに写っていたのは、幼い頃の自分。
お守りに、と彼にあげたもの。
赤い染みがついているそれに、絶望さえ感じる。
女は手にしていた小さな紙を思い出して、震える手でそれを広げた。

 「 ―――― ッ!!!」

紙に書かれてある文字に、息が詰まった。
赤黒い。染みのような文字で……。
途切れ途切れのそれは、最後の力で書いたものなのかもしれない。
 「ばかよ…っ!」
貴方を忘れて…。私のせいで死んだ貴方を忘れて、
結婚しようとする私に……。

逃げてしまえばよかったのに。
私のことなんて、諦めて。どこか遠いところへ ――――

 <幸せに…。愛してる>

たったふたつの言葉。
<君の幸せを願ってる。愛してるから。>

いつも手紙の最後に書かれてあった言葉。

涙が止まらない……。

 「 ―――― お嬢様?」
不意に背後から声をかけられて、女は慌てて手にしていたペンダントを
ポケットの中へと隠した。
涙を拭って、振り向く。
 「私、決めた!」
 「は?」
いきなりの言葉に、侍女は困惑する。
 「戦争で死んでいった人たちのために祈りたいの! だから、結婚はしない。
  ここに教会を建ててシスターになるわ!」
きっと反対されるだろう。
困難も立ち塞がるかもしれない。

でも、平気 ――――

ここには貴方がいるから。
死ぬまで私を想ってくれていた貴方がいるから ――― 。
私の幸せは貴方の傍にいること。
だから、見守っていてね。

 「お嬢様! そんなこと…!」
許されるわけありません!

そんな言葉を背中に浴びながら、女は歩いて行く。
ふと。
彼女を守るかのように、包み込むかのように。
白い雪が降り始める。

『僕は戻ってくるよ』

白い…。真っ白い雪が降る頃に……。







あとがき