■ 君は懺悔し、静かに誓う(後編) ■
望んだものは、いつもこの手からすり落ちていく。
憧れて羨んで。諦めて忘れたくて、それができないなら、
せめて守ろうと勝手に決める。
守ってほしいと望まれたわけじゃない。
望みを聞けば、一緒にいたいだけ。と彼女は笑って言う。
でもそれは私の望みじゃない。
確かに一緒にはいたいけど、それは自分でも守れるべき対象があるのだと、
優越感に浸っていたいから。
我侭で勝手で、いい加減。
その結果として案外、不必要なものだけが纏わりつく。
歪んだ愛情。吐き出される欲望。一方的な信頼感。
まるで正常なものがないように。
それでも過去はまだマシな方だったけど。
今はもう。彼女の存在に、
縋りつきたい気分。
「……リランが探してるらしいわよ?」
幼い頃から付き合いの深い女性が、扉の前で腕組みをしていた。
この界隈を取り仕切る娼館のトップ。情報通で、頭が切れて稀に見ない美人。彼女に逆らえば、けしてこの世界で生きていけない。
「…………」
ソファに寝そべってぴくりとも身動きをしないまま、目を閉じているとふわり、と彼女の香水が漂ってくる。きつくはなく。それでいて彼女に似合う華やかな香。その香りと気配でソファーの前で顔を覗き込むようにしているのが想像できた。
「珍しいわね、貴女がリランの名前に反応しないなんて」
驚きが含まれた口調に、やはり沈黙を返す。
そんな態度に慣れている彼女は、溜息をひとつつくと向かい側にある一人掛けのソファに腰を下ろした。
「喧嘩でもしたの?」
あり得ないとわかっていて、それでも常と違う姿に問われる。
「その方がマシ」
目を閉じたまま、短く口にする。
自分で改めて声に出して、本当にその方がよかっただろうに、と心が頷く。
やっと返ってきた言葉に、「それなら、なに?」と促す気配を彼女は送ってきた。
「会ったら、泣いて縋りつきそうだから」
淡々と吐かれる言葉とは裏腹な内容に、彼女が息を呑む音が聞こえる。
恐らく敏感な彼女は今、相当に自分が落ちた気分にいることに気づいただろう。そんな姿を自分も見せたくはないけれど、彼女しか入ってこれないこの空間で処理をしないと後々、最悪なことを引き起こしかねない。それぐらいなら、無理に人の心に入ることをしない。というよりは、人というものに長けている彼女ならいいか、とここにいることを選んだ。そのことも悟ったのか、少し拗ねたように、彼女は口を開いた。
「 ――― 都合がいいわよね」
「嫌なら出て行くけど?」
そんな気配を微塵もさせないで言う。答えはわかりきっているから。
それでも素直に否、と言うには、決まっている問いをわざわざ口にされた抵抗があるのか、肩を竦める。
「コーヒーしかださないわよ」
それに苦笑いが浮かぶ。
「アルコールは身体に悪いのよ? それも成長期に呑むなんて言語道断! 身体が腐るわ!」
「……リランに見つかってたのね」
口調の違いに誰の言葉かわかったらしい彼女も苦笑いを見せる。
「とりあえず止めた」
「正解ね。私が言っても聞かなかったくせに!」
「今日は随分ひねてるね。なにかトラブル?」
自分が落ち込んでいるのと同じくらい珍しく絡まれてるのに気づいて、ようやく目を開けて視線を向ける。
「……貴女の落ち込みが浮上したら相談に乗ってもらうわ」
「永遠にしないと思うよ。こればっかりは」
「そうね、リランに会いたくないなんてよっぽどでしょ?」
リランの存在がどんなに大きいかなんてとっくに知られている。この国。いや、地球上の人間全ての命と引き換えにしてもかけがえのないもの。
そう思って、彼女の怒った顔が浮かんだ。「勝手に引き換えにしないで!」と、誰かの命と比べるのは、絶対に喜ばない人間だから。
「会いたくないわけじゃない。ただ……、今は、会ったら泣いて縋りつきそうで」
「理由を聞いても?」
「聖母、マリア様。どうかこの穢れた身をお清め下さい。お許し下さい」
とても似合わない言葉を吐く。だが、どこかで通じてるところがあったらしい。
彼女は頷いた。
「 ――― 統帥ね」
その短い一言に、怒りが含まれている。それでも気づかないフリをして彼女に言った。
「いっそ、娼婦になろうかな?」
「そうね。貴女ならナンバー2になれるわよ」
「ナンバー2?」
「アタリマエ! 私を抜けると思ってるの?」
かちあった視線の先で彼女の瞳が怒りに燃えてるのに気づいて、心を込めるために、もういちど瞳を閉じた。
「…………ごめん」
娼婦の誇り。苦しみ、痛み。それを知らないくせに、知り得ないくせに逃げるために「なりたい」などとは浅ましい。
そう含みがこめられているのに気づいたから。
「いいわ、ぜんぶ統帥のせいってことにしとくから」
その言葉に思わず吹き出す。
リランとは別の意味で、この存在は必要だと思う。
「泣いて縋れば?」
不意に言われた言葉に驚きながら、彼女に視線を向ける。
「いいじゃない、リランはわかってくれるわよ」
「わかってほしくないからここにいるの」
「避けてても、あらぬ噂は勝手に耳に入るものよ」
「蔑まれるのには慣れてるんだけどね。涙ながらに受け入れられてもキツイ」
本音を吐き出す。
だとすれば、自分はどんな態度を望んでいるというのか。そんなことばかりが心に浮かんで、いい加減。この暗い思考に終わりを告げたかった。それを察したように、彼女は今までの軽い口調を捨てて真面目な顔になる。
「自分を殺したくなる?」
真剣な表情で言うには、おぞましい言葉だと心のどこかで笑いながら、それを考えていたのも事実で。懐にある銃を取り出して、眉間に押し当てた。
「そう……、こうやってね」
冷たい感触が肌に触れる。
「やめて!」
瞬間、抗議の声が上がって反射的に銃口を離した。
「安全装置も外してないのに、本気にしないで」
「冗談じゃないわよ! 貴女の場合、本気とジョークの境がわからないって言うのに!」
にらみつけてくる視線をちらり、と横目で見て銃を戻した。
「話をふったのはそっちのくせに」
「………悪かったわよ」
溜息に乗せて諦めたような言葉を吐かれて、居心地が悪くなりソファから身を起こした。
「トラブルは?」
本当に悪いのは自分で。けれど素直に謝る気持ちにはなれなくて、かわりに自ら首を突っ込む。
理解している彼女は、許すというかわりに言う。
「……店が2件。テロ爆発に巻き込まれたわ」
「わかった、捜査しておく」
短くそう言葉を切った。
タイミングを見計らって、扉を叩く音が聞こえた。入室の許可を彼女が与えると、一人の青年がお盆の上にコーヒーカップを乗せて運んできた。
「飲むか?」
「飲ませるために持ってきたんじゃないの?」
短く問われて、呆れたように返す。
目の前に座っている彼女と性別と線の細さ。髪の長さが違うだけで、そっくりの美しい容姿を持つ青年は、2つのカップをそれぞれテーブルの上に置いた。
「そのつもりだったんだが、表でリランが待ってるぜ。出てくるまで外で待ってるそうだ」
嫌そうに眉を顰める相手の言葉が言い終わらないうちに、立ち上がって扉に向かっていた。心はもうすでに、走り出している。焦燥感に駆られて。会いたくない、という気持ちはすでに欠片もなかった。
「この貸しは高いからな!」
そんな言葉が扉越しに聞こえたような気がした。
「なに? ユウ一番の貴方がリランが来てることを教えるなんて熱でも?」
双子の弟にからかうような視線を向けながら、目の前に差し出されたコーヒーを飲む。
彼の作るものはなんでも特別おいしい。それを口にできるのは、自分とユウだけ。ときに彼はユウの方を優先しかねない。それは自分も然りなのだが。
そんな彼はリランの存在に嫉妬していた。
「あいつあのままだと、死にかねないぜ。暗さに拍車かけてやがる。嘘でも、笑顔を見せてほしいからな」
結局は彼女の素顔をだせるのは、リランだけ。
そのことに溜息をつきながら、次に会うときは戻っていればいいけど、と願わずにはいられなかった。
救いは誰にでもあって、然るべきなのだから。
せめて、そう祈りながら。
―――――― ?
一瞬、思考がストップする。恐らく、周囲に目を向ければ何事かと視線を向けていることだろう。けれど目の前で顔を真っ赤にしている彼女にはどうやら関係のない話のようだった。
「ばか……?」
あまりにも言われなれない言葉に、思わず繰り返す。
「そうよ! ばか! ばかばかばかばか!!!!!!!!!」
……なるほど。
彼女にそう言われてしまうと、本当にそうかもしれない、と妙に納得してしまう。今まで誰にも、そんな言葉を吐かれたことがないにも関わらず。それだけ、ユウにとってリランの言葉ひとつが重かった。だけど、とりあえずその根本的なものが見えずに、話しかける。
「リラン、わかったから。私がバカだって言うのはとりあえず、その理由は?」
「ばっかじゃない?! 自分で考えれば?!」
やっぱり返って来るのは、「ばか」らしい。
本当はわかってるけれど、あまりに想像してなかった反応だけに驚きの方が大きくて、その真意を探るためにわからないふりをする。
「うーん、思い当たらないけど?」
「……じゃあ、言ってあげるわ!」
苛立ったようにリランが口火を切った。
「まず! 噂に逃げたこと! 私から逃げたこと! 暗い思考の住人になって、うだうだ考えたりしたこと! ぜーんぶよ! 全部バカな行為だって、責めてあげてるのよ!」
「すごいね。私の思考パターンもしかして把握してる?」
思わず、そんな言葉をもらしていた。
「長い付き合いですからね! でも、言ってくれないとわからないこともあるのよ?!」
その気持ちは確かにわかるね。
どこか他人事のように、肩を竦めて同意し、とりあえず歩き出す。
「ちょ、ユウ!」
慌てたようにリランがついてくる。
「言ったよね? 私がついてないときに、こんな裏通りに来ちゃダメだって。忘れた?」
「それは……っ!」
そこで初めて気づいたらしい。
周囲からの好奇心の目。当たり前だ。こんな時間にこんな場所にいれば、男に買われるために、いるのだと勘違いされかねない。まして大声を出した会話に更に興味をもたれる。
ユウはそんな周囲に殺気を送って、距離をおかせていた。歩きながら、安全な表通りに進んでいく。
「もとはといえばユウが!」
「私が?」
後ろから追いかけてくる声に返事だけを返しながら、進みはかわらない。
あんな場所はリランには似つかわないから。一刻も早く、離れてほしくて。
「 ――― どうして私を避けるの?」
不意に紡がれた言葉に、我に返る。
反射的に振り向いた。
「噂のせい? 私がそんなことでユウを蔑むとでも?」
「リラン…ッ!」
「でも! 受け入れたりもしないわよ?! 私はユウの口から聞いたことじゃなきゃ、信じないから! なによ?! そんなに私が信じられないって言うの?
―――― ばかっ!」
なにを言わせてしまったんだろう。
後悔に苛まれる。
「私は全てを許せるほど完璧な聖母様じゃないわ! 貴女が思ってるほどの人間じゃない!」
「ちがうっ!」
自分の言いたかった言葉がリランの口から滑り出て、思わず大声で否定する。
びくり、とリランの身体が震えるのがわかった。それでも眼差しはまっすぐと見つめてくる。
「……リランを信じてるよ。だけど、……」
だけど、ともう一度小さく繰り返す。
「わからなくて。どんな顔でリランに会えばいいのか。どんな表情を浮かべればいいのか」
自分の心を吐露しながら、ユウはその言葉がまるで母親に怒られる子供の言い訳のように感じられた。だけど、結局はずっとそれを悩んでいたから。どんな顔をすればいいのか、わからない ――― 。
眉根を寄せて、困惑するように瞳を揺らすユウの姿がリランには、迷子になった子供のように見えた。思わず、ぎゅっと抱き締める。
「リ、リラン……?」
思ってもいなかったリランの行動にユウは戸惑って、名前を呼ぶ。
「ユウは、ユウよ。私は信じてる。だって、知ってるもの。皆が噂するように、冷静沈着で頭の回転が速くて、最年少でZ団のリーダーになった、ユウよりも。本当は ―― 、意地っ張りで我侭で、だけど弱くて寂しがり屋で、すぐに怒ったり拗ねたりする、私の目の前に今いるユウが本当だって」
リランの言葉が胸に染み込んでいく。
胸に暖かいものが広がっていくのを感じながら、ユウはリランの髪に顔をうずめて、くすくすと笑う。
「そんなこと聞くと、本当の私ってちっちゃな子どもみたい」
「ほんと、手のかかる子どもだわ。でも、いいの。私たちはまだ子どもだもの。ただ、環境が早く大人にするだけで。甘えられるときは甘えてもいいのよ」
救われる、という言葉をユウは改めて胸に刻んだ。
頬を冷たいものが零れ落ちる。
「ユウ?」
違和感を感じて、身を離そうとするリランを強く抱き締める。泣いている所を見られたくなかった。
それに気づいて、リランは仕方なさそうに息をつくと、優しく包み込むように抱き締め返してくれた。
「落ち着いたら、ちゃんと噂の真相を話してね」
そう言われたけれど、ユウは誤魔化すことを心に決めた。
もう二度と、自分の命を奪ってしまいたいと思わないことを引き換えに。
リランが傍にいてくれる限り。