もしも願い が

 どさっ、と黒いタキシードの上着を放り投げて、そのままソファに寝そべった。

 「よかったねー。あの男のひと、プロポーズ成功して」
 浮き足立ったようにふわふわと、絨毯の上を歩きながら、嬉しそうに優が言う。

 「俺のピアノで優の歌。最高のムード。あれで成功しなきゃ、男じゃねえ」

 どうでもいい口調で、顔を腕で覆いながらくぐもった返事をする。それより、と思い出したことがあった。

 「おまえの同級生、かなり驚いた顔してたな」
 「言わないで。それについては現実逃避中」

 抑揚のない声でそう告げられた言葉に思わず噴出す。それに拗ねたのか、ばふっ、と情けない音を立てて、クッションがお腹に当たった。

 「……なーにすんだよ」
 「私、先にシャワー浴びるよー。つっかれたー」
 「それで俺がシャワー浴びてる間に、寝るつもりだろ?」

 恨めしげに言えば、返事はなかった。代わりに、かちゃり、と浴室の鍵が閉められる音だけ返って、溜息を零した。そうはいくか、と思いながらも、流石に疲れてきたのか、一気に身体が重くなるのを感じる。同時に、吐き気がこみあげてきた。
 (マジかよ。あれくらいで、俺ってばマズイのか?)
 やばいやばい、と頭の中を連呼する。スッと血の気が引いて、身体中から体温が失われていくのを感じる。

 「……っ、ゆっ、」
 呼ぼうとして、喉がひきつる。
 声が出せない。
 切羽詰った状況に、焦りが生まれる。

 だが、不意に視界に影が差した瞬間、唇を塞がれていた。ごくり、と冷たい水と一緒に苦いものが流し込まれる。

 「もう。しーつーこーい」
 名残惜しげに離れたぬくもりを追おうとする唇に、そっと手の平を置いて優が笑った。

 「風呂場に行ったかと思った……」
 「以心伝心。何だか嫌な予感したから戻ってきちゃった」
 悪戯っぽく笑う優にふっと笑顔を返す。

 「心配かけて悪い」
 「そう思うなら、今日はゆっくり眠ってね」
 「 ―― ソレとコレとは別でーす」

 即座に拒否すると、ムッと顔を顰めて、落ちていたクッションを再び投げつけてきた。

 「とにかく、せめて私がシャワー浴びてくるまでは大人しく寝ててよっ」
 「まあ、それくらいは、妥協の範囲?」

 からかうように言って、片目を瞑ると、そうして下さいッとそれでも不満そうな顔のまま再度、浴室に向かっていった。

 それを見送って、目を閉じる。

 柔らかい唇の感触を思い出しながら、あの一瞬で時が止まれば本望なのに、ともしも願いが叶うならそのたった一つの願いを叶えろよ、と誰に言うでもなく告げた。







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