裏表の世界

 窓から入り込む風に、夏ももうすぐ終わりかな、と寂しさがこみあげてきていた。

 「……あの、聞いてます?」

 不意に訝る声が聞こえて、慌てて意識を戻した。整った綺麗な顔をしている女性が細い眉を顰めている。きっちり化粧がされてあって、一目見た瞬間、大人な雰囲気に美人ということもあって、少しだけ気後れしてしまった。彼女も自分の美貌に自信を持っているらしく、言葉の端々に蔑んでくる口調があった。

 「すみません。何でしたっけ?」
 仕方がないとはわかってる。目の前の女性は大人で、自分はまだ義務教育さえ終わっていない子どもなのだから。

 「ですから……」
 深い溜息を吐き出しながら、彼女はテーブルの上に置きっ放しになっている名刺をこつんと、紅いマニュキアの塗られている指で叩いた。

 「これをカイさんに渡してほしいんです」
 「だから、それはできないってお断りしてるじゃないですか」

 自己紹介をされて三十分足らず、同じ押し問答を繰り返している。時計を見て、そろそろやばいと焦りを感じた。ちらり、とフロントに視線を向けると、ホテルマネージャーが気遣わしげな顔で見ていた。それに微笑んで、視線を戻す。

 「だったら本人を呼んでください。あなたみたいな子どもではお話にならないわ」

 苛立ちが限界に達したらしい。これまでは押し隠していた蔑みを前面に現してきた。それを感じるほどに逆に冷静になっていく。どうすれば穏便に帰ってもらえるのか。二度と来ないでもらえるのか。思案していると、不意に目の端に電話を相手に戸惑っているマネージャーの姿を捉えた。慌てて時計を見る。

 「ちょっと、聞いてるの?」

 不満げな声で聞かれても、それどころではない。マネージャーの様子を見守ってると、受話器をもったまま呆然としていた。それを見て、電話の相手が問答無用で切ったことが想像できる。その後で、非常に申し訳なさそうな視線を向けてきた。

 ( ――― やばっ!)
 あの部屋からこのロビーまで五分か。

 「あのっ、お話はまた後日。今日はお引き取りくださいっ」
 「何言ってるのよ。引き下がれるわけないでしょっ」
 急に立ち上がって頭を下げると、女性が腕を掴んできた。

 「おい、放せよ」

 低い声が背中越しに響いた。

 あちゃー、と眉を顰める。不機嫌なその声を聞きながらも、反対に女性の顔がパッと輝いた。

 「あっ、カイ君ね。初めまして、私 ―― 」
 「優」

 テーブルの上においていた名刺をとって自己紹介を始めようとした女性の言葉を遮って、名前を呼ばれる。恐る恐る振り向くと、冷たい視線とぶつかった。

 「部屋に戻るぞ」
 いつもの飄々とした口調ではなく、ぶっきらぼうな言葉遣いは機嫌低下を表している。うん、と頷いてカイの傍に足を踏み出した。手を強く繋がれて、二人で踵を返す。

 「ちょっと待って! 話を聞いてくれないっ?! 私、カイ君のピアノを聴いて」
 「気安く名前を呼ばないでくれない?」

 温度のない平坦な声。顔は微笑んでいるけれど、目はまったく笑っていなかった。それだけに恐怖が突き抜けていく。女性はびくりと顔を強張らせたまま動きを止めた。
 それを一瞥してカイは即座に足を動かした。その後を引かれながらついていく。フロントの側で待機していたマネージャーが少し顔を強張らせたまま近づいてきた。

 「申し訳 ――― 」
 「あの女の顔覚えといて。出入り禁止。また優に近づいてきたら親父に電話していいから」

 「ちょっ、カイ?!」

 謝罪の言葉を遮ってカイは一方的にそう突きつけると、「わかりました」と、返事が終わる前に通り過ぎてエレベーターに乗り込んだ。そのままどさっ、とエレベーターの壁にもたれる。

 「……横暴」
 「なんとでも」

 声に柔らかさが戻る。それにほっとしながらも、言い返そうとした言葉は再び開いたエレベーターの音に遮られた。 歩き出したカイの背中はまだ不機嫌で、それでも繋がれた手に込められている温もりに泣きたくなった。







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