言えない理由

 「ほら、事情説明してみ?」
 備え付けの紅茶をポットからカップに注ぎながら、優しい声で促された。それでも黙ったままでいると、カイが呆れたようなため息をついた。

 「起きてみればいないしさ。フロントに電話したらあの高田さんが珍しく煮え切らない口調だし、嫌な予感を覚えて行ってみれば、見たことないのに俺の名前を呼ぶヤツと会ってるし……」
 ――― まあ、推測はできるけど。
 ほら、とマグカップを渡された。隣に座り込まれて、誤魔化すためにとりあえず紅茶を飲んでみたけれど、重い沈黙に支配されて、逃げられないと諦めるしかなかった。

 「ちょっと散歩しようと思ってロビーに下りたらあの女性に捕まって、カイをスカウトしたいから連絡してくれって」
 「スカウトね……。モデル? ピアノ?」

 これまでの経験で問いかけてきているのはわかってるけど、自分で言うその態度に思わず噴出しかけてカイの真剣な表情に思い直す。軽い口調に機嫌が直ったものだと思っていたけれど、不機嫌な態度はあくまでそのままだった。

 「ピアノ……」
 ぼそりと答えると、あからさまな溜息が零れてくる。

 「いちいち相手にするなよ」
 「わかってる!」
 「そのわりに、楽しくお茶をしてたじゃねえかっ!」

 ムッとした反応に、更に機嫌の悪い口調で言われて、顔を背ける。優っ、とぐいっと向き合わされて、見つめられた。カイの灰褐色の瞳には真剣な光が宿っていて、それを見ていたら、ああ、そういうことかとカイの気持ちがわかった。

 「……起きたとき、傍にいなくて、ごめんね」

 素直に謝ると、少し拗ねたような顔でとさり、と上半身をソファにもたれさせて、テーブルの上に置いていたカップを取った。
 「わかればいーんだよ」
 カップに口をつけたまま、そんな小さな呟きが聞こえて自然と頬が緩む。

 紅茶を口に含んでいるカイに身体を傾けて、顔を近づけた。頬にそっとキスをする。唇を放して見ると、瞠目してカイは言葉を失っていた。

 「……今更、頬にちゅうでそこまで驚く?」
 見られていることが恥ずかしくなって、照れ隠しにそう言って俯いた。不意に強い力で引き寄せられた。ぎゅっ、とまるで音が出るように強く、強く抱き締められる。

 「カイ? 苦しっ……」
 「傍にいろよ。どこにも行くな。まだ、まだ ―― 俺はっ」

 苦しげに零される言葉に、胸が痛んだ。こみ上げてくる熱い想いに泣きそうになって、ぐっと堪えた。泣いたら、―― 泣いてしまったら、ダメ。ダメだから。手の平を握り締めて、カイの背中に回す。安心させるように、何度もカイの大きな背中を優しく叩いた。

 「大丈夫。 ―― 私は傍にいるよ。カイ。カイがダメだって言っても、傍にいる。約束したでしょ」

 不安なときは何度だって、何百回だって、繰り返して言う。言葉で足りないなら、抱き締める。抱き締めて足りないなら、抱いてあげる。心を込めて、そう告げると、頭の上に優しい口づけが降ってきた。
 見上げると、激しい感情を払拭した穏やかな瞳が見つめてきていることに気づいて、頬が緩む。同時に、カイの顔にも柔らかい微笑みが浮かんだ。そのまま、愛してるという、想いのこもった口づけが唇に優しく降りてきた。







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