ああーもう。わかってる、わかってるよ。
絶望的な気持ちでそう思いながら、寒さでかじかむ手に息を吹きかけた。こんな夜にサングラス。コートにマフラー。まるで怪しい人じゃんね、僕さー。どうでもいい節をつけて自分の姿を面白がってみる。現実逃避したくなる。そう思って、ふと目の前の建物に興味をもった。面白半分だ。この際、神様にでも縋ってみるか。本当は、なによりも、きっと切実なんだけど。真剣になってしまったら、どこまでも落ち込んでいきそうで、そう誤魔化してみるしかなかった。
「寒いのもいい加減、我慢の限界だし。ちょっくら避難させてもらいますか」
そう軽口にしてしまって、教会の入り口に向かう。
茶色い樫の木の扉にはまだ早いのにクリスマスのリースがかかっていた。取っ手を握って、ぐっと引っ張る。途端に、耳を疑った。
(なっ、なんだよ。これっ?!)
驚いたってもんじゃない。
外へと、流れてくる歌は、まるで。
ふわりと包み込まれて、温かさを感じたとたんに、その名残を残して消えてしまう。音に色が無い。透明で、気高く、優しい感じがするけれど、哀しい気もする。掴み取れない、音。天使が歌を唄ったら、きっとこんなふうだ、と幼い頃から想像していた、そのままの音がいま、現実に流れ込んできていた。
その音を辿っていくと、教会の隅に置いてあるパイプオルガンの前に座っている少女を見つけた。肩までまっすぐに流れている黒髪。教会のオレンジ色の明りに照らし出されているきれいな、白い肌。顔が俯いているから目の色はわからないけれど、伏せられている長い睫がみえる。ふっくらとした赤い唇。可愛らしい、それこそ天使のような顔つきだと思った。白いセーターに、濃い緑の縦じまのスカート。茶色いブーツがちらりと見える。
――― 僕の天使みっけ。
迷うことなく、だけど天使が気づいて飛んでいかないように、足音をできるだけ立てないように慎重に教会の中を進んでいく。彼女はよほど集中してるのか、目の前で広げている本に視線を落としたまま、気づかない。だけど、あと数歩の距離で、何かを感じ取ったのか、歌は途切れ、顔が上がる。
「あっ……」
ばんっ、と彼女は本を慌てたように閉じた。立ち上がって、横をすり抜けようとした彼女の腕を掴む。
「待って、その歌ッ!」
「ごめんなさいっ!」
かじかんでいた手では上手に掴むことができず、振り払われて、彼女は走り去っていった。
「……嘘だろ」
なんなんだよ、もう。
溜息が零れる。やっと、出会ったのに。やっと、巡り会えたのに。
その興奮冷めやらぬうちに、逃がしてしまって、どこの誰かもわからないなんて。絶望が押し寄せてくる。
神様。どうせ救いの手を差し伸べてくれるんならさ。もっと、希望のある ― 。
はぁ、と溜息を落として、十字架のもとに歩んでいこうとしたとき、ふと赤い背表紙の本が落ちていることに気づいた。さっきの彼女が読んでいたものだ。かがんで、取り上げる。そうして、目に入ったバーコードと学校名ににやりと頬が緩んでいくのを感じた。
文句を言ってゴメンネ、神様。今日から、信心深くなるから許して、と思いながら、教会を後にすることにした。その間も、それからもずっと、彼女の歌声は頭の中から消えることはなかった。
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