一生のお願い

 Seezはリク(本名、時村陸)と彼方(本名、葉野かなた)のユニットで、温かみがある雰囲気のリクと冷たい空気を纏ってクールがイメージ付けられている彼方の対照的な感じと、ふたりともに顔が整っていることでもファンが多かった。勿論、デビューする前からメインの歌を気に入ってくれている昔ながらのファンも大勢いる。ファン動員数では常にトップスリーに入っていた。

 久しぶりのライブだった。以前は、一年に三つくらいは当たり前のようにライブツアーをしていたけれど、最近は一回するかどうかだ。新曲やCDは出していたけれど、実際にファンの前で歌うことがつらくなっていたし、それくらい限界を覚えている。Seezのライブになるとまだ十代の若い女性客が大半を占めていることがステージ上からもわかる。彼方のソロライブのときは、わりと落ち着いた女性たちと男性が多い。それだけで、彼方の場合は歌を聞きにきていることがわかって、悔しかった。だけど、大半は自覚している。どっちかというと、歌うことよりも最近は曲を作ることが楽しい。いろんな曲を作っては、新人の子や仲良くなった歌手に曲を提供していた。だけど、歌うところを聞いたとき、どれも違和感を覚えていた。違う、僕が作ったのはこういうイメージじゃない。こんな声で歌ってもらうためじゃない。損なわれている。そんな虚しい気持ちに捕らわれ始めていた。

 「なぁ、おまえが言ってた女の子って、関係者席の右端に男と座ってた子だろ?」
 ライブが終わり、控え室に戻って休憩していると、疲れてべったりとパイプ椅子に座り込んでミネラル水の入ったペットボトルに口をつけていた彼方がにやりと笑って言った。
 「うん。そうだよ。さっき、裏から連れてきてくれるようにスタッフに頼んだんだ」
 「へー。珍しいね、気難しいおまえが一目惚れなんてさ。まあ、確かにカワイイっちゃカワイイが、芸能界で言わせてもらうとフツーじゃねえの?」
 「顔に一目惚れしたんじゃないよ」
 ムッとして言い返すと、控え室のドアを叩く音がした。きっと、彼女だ。そう期待して、どうぞと言うと、ドアが内側に開いてそこに一組の男女が居心地悪そうに立っていた。
 「やあ、いらっしゃい。まだ片づけまで時間あるからさ。入っておいでよ」
 スタッフたちがステージ上の片付けをして、移動を促されるまでには、まだ一時間の余裕があった。彼女を待つために他の関係者たちはお疲れさまと、後で打ち上げで合流することを約束して追い出している。
 手招きしながら入ってくるように促すと、彼女は一歩だけ足を進めて中に入った。その後ろから男の子が従うように ―― 後ろに立っているとはいえ、まるで守るように立っている。警戒を怠らない獣のような印象を受けた。
 「チケット有難う。お疲れさまでした。素敵でした。あの、本を返してもらえますか?」
 ぶっ、と後ろから噴出す声が聞こえて、ムッと振り返る。堪えることもせずに、彼方はそのまま大爆笑を始めた。まったく、呆れながらも、苦笑が浮かぶ。
 「その用意されたような言葉は傷つくなー。だけど、どういたしまして。有難う。素敵だって本当にそう思ってくれた? 本を返すけど、僕の話を聞いてくれる?」
 わざとらしく彼女の言葉に丁寧に返事をして、続けざまに問いかけると困惑するように眉を顰められた。まあ、とりあえず座って、と促すために手を取ろうとしたとき、強い力で手を握られた。
 「彼女の付き添いで、橘透夜といいます。今日はかっこいいライブを見せてもらって感謝しています」
 まるで庇うように出てきた男に今度は僕が眉を顰める。別に君を誘ってはいないんだけど、と思ったけれど二枚渡したのは確かで、それに彼女が誰を誘おうとかまわないはずだ。咄嗟に笑顔を浮かべて、どういたしまして、と社交辞令を返した。
 「僕はリク。ああ、そうだ。君の名前は?」
 ついでのように流れにしてしまって彼女に問いかけると、どこかほっとした顔で「篠原優」だと名乗ってくれた。
 「優ちゃんか。よろしくね」
 男に握られていた手をできる限り自然な動きではずして、彼女の前に差し出すとおずおずながらも握ってくれた。その小さく温かな手の感触に、なぜか泣きたい衝動に駆られた。初めて触れるはずなのに。
 「オレはかなただよー。葉野かなたー。よろしく、透夜くん。優ちゃん」
 せっかくの感動をようやく笑いを収めたらしい彼方が呑気な口調で邪魔をしてくれた。

 ――― で、早速なんだけど。
 そう言って、僕は本と一緒に一枚の封筒を彼女に渡した。
 「歌ってほしいんだ。これ、楽譜」
 「は?」
 唐突な言葉に間の抜けた声を出したのは、興味津々とばかりに会話に参加してきたかなただった。うるさいよ、と睨みつけるとだってさ、と不満そうに返される。
 「いりません」
 彼女は封筒を突き返してきた。本だけはしっかり片手で胸元に抱き締めて。ええっ、この楽譜。その本よりも貴重だと思うんだけどなーと心持ち肩を落としながら、突き返された封筒を受け取らずに、パンッ、と顔の前で手の平を合わせて拝むように言う。
 「お願い。歌って、頼みます。一生のお願い」
 「イヤです」
 返事は即答。あらら。可愛らしい顔とは裏腹に性格は素直じゃないみたい。だけど、恥ずかしいからという理由じゃないことはまっすぐ見つめてくる瞳でわかった。照れているだけなら、なんとでも言い包められるけど。それでも逃がすわけにはいかなくて、代わりにと提示してみる。 
 「じゃあ、これからちょっと付き合ってくれる? ライブの打ち上げがあるんだけど、ビーズってバーでさ」
 「どうして私がそんなことに付き合う必要があるんですか。本も返してもらったし、用事なんてありません。それでは、さようなら」
 きっぱりはっきり言い切って、踵を返そうとしたその腕をがしっ、と引き止める。おもいっきり眉を顰められた顔で振り向いてきた。それにかまわず、にっこりと笑顔を浮かべる。
 「まあまあ、そう言わずに。君もあとで、彼方と一緒においでね」
 そう言って、素早く彼女を肩に担いだ。おお、意外に軽いじゃん。そんなことを思っていると、案の定驚いた声をあげながら、抵抗される。
 「ちょっ、あんた。勝手に……優を放せよっ」
 つかみ掛かってこようとする少年をひらりと交わして、扉へと歩いていった。勿論、暴れる彼女に落ちると痛いよ、と釘を刺しながら。
 「大丈夫。とって喰ったりはしないから。身の安全は保障するって。彼方、ちゃんと彼を連れてきて」
 ハーイ、了解、とこの展開を楽しそうに眺めていた彼方はそう返事をした。見なくてもわかるけど、恐らく少年の肩をつかんでひらひらと手を振っていることだろう。その証拠に、少年が放せっ、とか、触るな、とか言っている声が聞こえていた。同じような言葉も肩に担がれたままの彼女が言っていたけど、どっちにしても気にすることなく、控え室を出て打ち上げがある場所まで行くことにした。







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