幼馴染最前線(2)

幼馴染とココア

「 ―― いつまで拗ねてるつもりなんだよ」

 部屋の壁に寄りかかって、マグカップに入ったココアを飲んでいたら、ドアが開くと同時にそんな不貞腐れた声をかけられた。ほんわかと立ち昇る湯気が目に沁みる。
「別に、拗ねてなんかないよ」
 本人はムッとしているつもりではあるけれど、如何せん。周囲の人間には幼い頃からなにがあっても、無表情だよね、と捉えられがちである。可愛げがない。表情がないから何をしても面白みがない。そう言われることは日常茶飯事。だから、拗ねてないよ、と答えれば例え本音じゃなくてもそうなんだと納得してもらえるはずだった。

 ―― 彼が相手じゃなければ。

「嘘つくなよ。このあっついのに熱いココアを飲むのは、おまえが不機嫌なときに限られてる」
 どさりっと、許可を求めるわけでもなく、さも当然とばかりに隣に座り込んできた。
「……飲みたかっただけ」
「あぁ? 十何年付き合ってると思ってんだ。言葉も喋れないときからだぜ? おまえの言いたいことなんて表情ひとつでわかる」
「幼馴染って厄介ね」
 溜息混じりに落して、マグカップに口をつける。こくりと喉を鳴らすと、空洞だったお腹の中が熱で満たされて、ぐるぐると渦巻いていた感情も溶けていく気がした。
「そんなに、司(つかさ)兄貴の婚約者が気に入らないのかよ?」
「まさか。いい人だよ……。優しくて、キレイで、家庭的で」
 お兄ちゃんの婚約者にしては出来すぎた人だと思う。まったくもって、勿体無い女性。私のことも本当の妹のように可愛がってくれる。気に入らないなんて、微塵も感じない。
「じゃあ、なんで拗ねてんだ?」
 追求を諦める気がないのか、再び同じ質問を口にする彼に、溜息をつく。胸の中ですべてを溶かし込んだ熱が出た。はっ、と息を吐き出して、渋々答える。
「……お兄ちゃん。家を出て行くんだって」
「そりゃあ、まぁ。結婚するんだから当然だろ。新婚なのに家に同居はなぁ……」
「ずっと……。ずっと、一緒にいてくれるって言ったのに」
 幼い子どもの我侭な言い分だとわかってる。

 無表情な私は小さい頃、誰からも ―― ときに両親からでさえ傷つけられてきた。心から嬉しいと思っても、寂しいと感じても顔にでなければ。態度に見えなければ、人は素っ気無いと決め付けて、相手にしてくれなくなる。いろんなことを感じているのはなにも変わらないのに、表現できないだけで、喜んでいないと。悲しんではいないと決めつけ、だからこそ余計に無造作に傷つけられる羽目になる。

 だけど、兄は違った。ありがとう、と一言告げる言葉に、苦しいと訴える声のすべてに耳を傾けて、いつも受け入れてくれた。どうして誰もわかってくれないんだろう、そう愚痴を零したとき、「大丈夫。俺はわかってる。わかるよ」と言ってくれた。そこにどれだけおまえの想いがこもっているか。こめられているか。
『けど、お兄ちゃんはずっと私と一緒にはいてくれない』
 学年が違う。遊び友達も違う。性別も違う。不満一杯に ― 所詮は無表情だったんだろうけれど ― 否定すれば、兄は私を慰めるように頭を撫でながら言った。
『いるよ。ずっと。おまえと一緒にいる。おまえを理解してくれる誰かができるまでずっと、一緒にいるよ』
 その言葉がどれだけ嬉しかったか。撫でてくれる手にどれほど慰められたか。―― それでも、無表情だったから、兄はあの言葉をさっさと忘れて出て行ってしまうんだろうか。

「いいじゃん。俺が司兄貴の代わりにずっと、一緒にいてやるよ」

 物思いに耽っていた矢先に、聞こえてきた言葉は幻聴かと思った。

「は?」
「司兄貴ほどってわけじゃないけど。幼馴染程度にはおまえのこと、理解してるぜ」
 だから、俺で我慢しとけ。

 突然、影に覆われて、唇に柔らかい感触が当たった。すぐに離れて、まるでその一瞬がなかったかのように、彼は位置を戻して壁によりかかる。

「ココアの味」
 呟かれた言葉に、思わずふっと、頬が緩んだ、気がした。