幼馴染最前線(3)

電話と幼馴染

 ――― もしもし。

「現在、この電話は使われておりません。番号をお確かめの上、おかけ直し下さい」

 しつこいくらいに鳴ったコール音の後、留守電にしておけばよかった、もしくは安くなるって理由で家電なんか引くんじゃなくて携帯電話一本にしておけば、居留守も容易にできたのにと後悔しながら、仕方なく。―― 本当に、仕方なく受話器を取って、耳にあてた。聞こえてきた声は、十数年間否応なく、傍で聞かされ、聞き慣らされてしまったもので、だからこそ躊躇いなく番号に不備があったときの機械音を真似て口にしてみた。

『切ったら、部屋に直接乗り込むよ?』
 受話器を置こうとしたのをまるで見透かしているみたいに、せっかく真似た機械音はさっくり無視して、宣言してくる。
 (やっぱり……。)
 受話器を取った時点で、私の負けだと思った。そうして、電話が繋がった時点で彼は勝利を確信しているところだろう。心地よい敗北感はあるものの、正直に認めるほどには素直になれなくて、うんざりした声で言う。
「……現在、私はストーカーはお断りしております。できれば、他の女性をお選びの上、実行してあげて下さい」
 ――― 他の女性にしてみれば、至極迷惑この上ないことだろうけど。
 そう思って、ふと思いなおした。顔よし、頭よし、給料よし、の昔で言えば、三高揃い踏みの彼ならば、ストーカーされてもむしろ、カモンカモンじゃないだろうか。いや、性格が腹黒なところが傷 ―― それさえも最近、ふ(変換自由)女子の間では受けがいいらしいから、問題ない。他の女性はいいけれど、私は勿論、お断り。断固として、お断り。
『遠慮しないで。俺は君専用のストーカーだから』
「結構」
『君のために、三高揃えたんだよ? 顔がいいのは遺伝だから元々。頭がいいのも親から受け継いだ回転の速さと要領の良さが関係するので、これも元々。まぁ、常に首席であるように努力はしたけど。いい給料(金)、クビのない職業(権力)、一軒家、ほらね。小さい頃、君が結婚したいと言った男の条件だったろう』
 すみません。夢のない、小学校低学年の私で。苦労したお母さんを見てきたから、つい理想の相手にそんなことを並べてみました。っていうか、顔も頭も元々いいって自慢いらないしっ!
「私はあんたのその性格が嫌で、家から逃げ出したの! 一人暮らししたの!」
 それなのに、用事があるから今日は家に戻ってきなさい、と母親の言葉に素直に従えば、今日が大安吉日だとわかるように赤い丸がカレンダーにつけてあって、訝っていればしっかりスーツを着込んだ幼馴染 ―― と口にするのも恐ろしい、男が家に現われ、いきなり跪いて『お嬢さんを下さいっ!』なんて言い出した。驚いて思考停止している間に、母親はあっさり頷き、幼い頃から見てきた貴方なら任せられるわ、と目をウルウルさせて娘を売り飛ばしていた。わざとらしすぎるっ。絶対に前もって話していたでしょっという展開に怒鳴るより先に呆れて言葉も出なかった。
 さぁ、一緒に僕の家に挨拶に ―― と、隣に連れて行こうとする、男の手をなんとか振り払って、一人暮らしのアパートの部屋まで駆け込み逃げ込み、鍵をしっかり閉めて立てこもった。明日明後日が休日でよかった。このまま、断固として立てこもって逃げ切ってみせる、そう決心したところで、電話が鳴り響いた。

『性格も元々だからどうしようもないけど、直す努力はするよ。結婚式の後で』
「何で期間限定なのよっ!」
『君を手に入れるにはこの性格が必要で、手に入れた後は、まぁ、多少の改善はしてもいいかなって思うんだ』
 まったくもって支離滅裂な言葉に、もう溜息しか出てこなかった。
「……あんたねぇ。そもそも最初が間違ってるでしょ」
 本当は口が裂けても言ってあげるつもりはなかったけれど、このままなし崩しに結婚させられたんじゃあ、流石に女が廃る。っていうか、納得できないっ。
『何が?』
 肝心なところが全くわかっていない、彼に、やっぱり頭がいいのは前言撤回しようと心に決めた。鈍感っ。
「普通は、親に話す前に本人にプロポーズするものよ!」
 私だって、夢は見る。跪くまではいかなくても、夜景のキレイなところで、素敵な言葉と共に贈られる煌く指輪。囁かれる愛の言葉に交し合う二人の気持ち ―― 。ロマンティックな思考に飛びかけた意識は、受話器越しの呆れた声に呼び戻された。
『……よく言うよ。断固として会ってくれようとしなかったくせに。それに、プロポーズならしたよ』
「えっ? いつよ?」
 慌てて記憶を掘り起こす。大学を卒業して就職してから三年間、彼に会ったことはない。会わないよう、努力していた。だから、まともな会話なんてしたことないし ―― プロポーズされた覚えなんて全く。
『僕が、金も権力も一軒家も手に入れるから、結婚してくれる?って言ったら、君は可愛らしくにっこり笑って「うん」って頷いたよ』
「は? いつの話よ、それ?」
『君の理想の相手を聞いたすぐその後で』
 思わず無言になった。
 沈黙すること、数分。受話器を持つ手が震える。すぅっと大きく息を吸い込んだ。
「そんな昔の話を持ち出すなーっ!」
 精一杯の声量で挑んだにも関わらず、受話器の向こうの相手には一ポイントのダメージも与えられなかったもよう。平然と返してきた。
『大丈夫。忘れたら困ると思って、ちゃんと録音してあるし、契約書もあるよ。破ったら、君は僕の家政婦として一生傍で手取り足取り働いてもらうことになるから』
 ちゃっかりと告げられた言葉に、思考はまともに動かなくなっていた。
 結婚して一生彼のものになるか、家政婦として、一生彼の傍にいる羽目になるか。どうする、私っ。

 がちゃんっ、と電話が切られ、ツーツーと鳴る音を聞きながら、迫り来るタイムリミットに決断するしかなくなっていた。