特に有名となる物産も、もの珍しい観光場所も、まったく存在せず、見渡す限りの広大な畑と、そびえ立つ山々に囲まれている本当に、なにひとつ特徴のない辺鄙で平凡な、村。総人口数はあえて子どもを0.5人と数え、先週までは24.5人だった。
それはどうでもいいとして、問題はそんな村の、やっぱり平凡より、小さめな一軒家の中で起こっていた。
「余は、アルフヌーフ=ラッセル・ド・ヴァンダム王子なのだぞ!」
青年は狭い部屋のキッチン兼リビングにある、これまた木で作られた手作りの椅子にふんぞり返って言った。
あまりにも、ふんぞり返りかたが凄いので、椅子が折れたりしたらどうしてくれるんだ、と胸の内では不満一杯だったが、流石に王子と名乗られた以上は言葉にするわけにもいかず、代わりに顔に浮かべて彼を見る。
「なんだ、その顔は!」
「……………………嫌そうな顔」
たっぷり間をもって口にすると、即座に王子は傷ついたような表情を浮かべる。
「なっ?!なぜっ、嫌がる必要があるんだ!」
「いきなり村に来るまではともかく、ヒトんちに来て、昨夜ようやく完成した椅子にふんぞり返られてるから」
面倒に思いながらもわざわざ説明すると、そこに含まれた当てこすりに気づいたのか、彼は自らが座っている椅子を見た。
「おお、この椅子はおまえが作ったのか! はっ?! まさかっ、私のために?!」
急に輝きだした王子の顔におもいっきり冷たい視線を注ぐ。そんなわけあるか、ばか。と思いながらも、やっぱり王子なので本音は押し込めて、正直に事実だけを口にした。
「いいえ。作ったのは王子の側近です」
「なにっ?! いつのまに! むむっ、あいつら、余を差し置いておまえに取り入ろうと ――」
「あんまり暇そうにしていたので、材料渡して作らせたんですよ」
王子の護衛があるから、と焦りながら拒否しようとしたのをだったら、王子ごとこの村への出入りを禁止にすると(実際はそんな権限は私にはないけど。)、王子に告げると脅せば、そんなことをしたら、王子に叱られる―内心、王子の突拍子のない罰に付き合わされると焦ったんだろうけど―と判断した彼らは渋々、言われるがまま日曜大工を始めてくれた。一昼夜たった今では、楽しみを覚えたのか和気藹々と工夫を凝らして様々なものを作ってくれている。数少ない村人達もこれ幸いと頼みごとをしていた。
「なるほど、なるほど。余の側近を自分のもののように使う。うむ。それはいいのだぞ!おまえは余の后になるのだ。自由に使ってもかまわぬのだ」
「お断りします」
「なっ!」
即座に拒否した言葉は王子を驚愕させたようで、何を今更、と溜息をつく。
「5歳で出会ったその瞬間にあなたから求婚されて以来、0.5秒とかからず毎回お断りしているはずです。いい加減、その耳とっかえたらどうですか?」
「ばっ、ばかもの! 耳を変えられるはずなかろう」
――反応すべきはそこなのか!
突っ込みそうになって、いやいや、これ以上脱線したら自分でも収束つかなくなるような予感に、心を落ち着かせるため、目の前に置いたお茶を啜った。流石、王子がお土産だとくれた王宮御用達のお茶だけあって、美味しい。
「第一、王宮勤めだったおまえがなぜ、このような辺鄙な村におらねばならないのだ!ここまで来るのに三日三晩かかったぞ!」
「父の故郷だと言ったでしょう。父が亡くなってこの村には薬師がいなくなり、村の者が困ってると聞いたんです。王宮に泣きついても辺鄙なところでは誰も寄り付かないと。だったら、私が来るしかないでしょう」
「おまえは王宮のっ、余のお付きの薬師だ!」
「王子の薬師だったら、なりたいものは沢山列をなしていますよ。それこそ、私じゃなくても」
辺鄙な村の薬師になる者はいなくても、王宮勤めの、それも王子付きとくればキャリアになるし、給与も高額が保障されるため、求人を出せばピンからキリまで応募してくるだろう。
この村で薬師をしたところで、給与はお礼に野菜やら親切やらを貰うだけだ。果たしてこれまで溜めた給与でどこまで無償の薬師を続けられるかはわからないが、誰もやらないのなら、それを行なう意義はある。
ふと、思考から浮上し王子を見ると、むぅっと眉を顰めて押し黙っていた。
「…………わかった」
「なにがです?」
「至急、僻地における薬師への給付金を王宮の予算から捻出するよう手配する。特典もつけて派遣するから、戻って来い」
――――単純な王子様は愛される。
思わず緩みそうになる頬を引き締めて、更に一言。
「派遣されるまで私はここにいますよ」
口先だけで丸め込まれるわけにはいかない。それに薬師の存在は一日だって欠かせない。いつ誰が病気になるかわからないから。
「わかった。一週間だ。一週間で全て整えて薬師を派遣するから戻ってこいよ!」
そう叩きつけるように言うと、王子は一秒でも惜しいとばかりに家を飛び出していった。
恋の力は偉大だなぁ、と他人事のように思う。
だけど。まだまだだ。
『すまんのぅ。薬師のおぬしに頼むのも筋違いなのはわかっておるが、王子を動かせるのはおぬしだけなのじゃ』
脳裏に国王の申し訳なさそうな顔が思い浮かぶ。
我侭な王子をどうか、叩き直して欲しいとお願いされた。王宮にこもってばかりじゃなく、自らが治めている領地をその目で見て、何かを感じ取ってほしい。書類上のものばかりでなく、民が何を求めているのか、何を欲しがっているのか王子に理解させて欲しい、と。国王となる前に。
王子が立派に認められるようになったら、そなたもまた、后として誇れるようになるであろうと、見透かすように言われた言葉。
后になるつもりが自分にあるかどうかはまだ思案中ではあるけれど。
「とりあえず――辺境地の薬師不足は解決しそうね」
懐から取り出した民からの陳述書にチェックを入れる。
さて、次は ―― 。
羅列してある王子再教育―もとい、国民の要望一覧を眺めながらふと、先刻の王子が「戻ってこい!」と真剣な顔で念押しをしていたのを思い出して、これが全て解決する頃には、私も王子を幼馴染以上に想うことができているかもしれないと、気持ちが温かくなるのを感じていた。