幼馴染最前線(7)

幼馴染と一歩前進

 ぎぃ、と屋上に続く扉を開ける。
 柵に向かって足を伸ばし、大の字になっているひとの姿を見つける。
 その見慣れた姿に、ほっと胸を撫で下ろした。

 足音に気をつけて近づいていく。
 空には、眩しいほどの太陽が輝いているのに、彼がいる場所はちょうど給水塔の陰になっていて、柔らかく吹く風が心地いい。傍まで歩み寄って見下ろすと、瞼は閉じられていた。淡い茶色の髪が風に揺れる。どんなに長い年月傍にいても見慣れることがない甘く整った顔に、無意識にため息がこぼれ落ちる。
 そのため息に我に返って、今度は意識的に彼の顔から視線を引きはがす。柵をつかんで、地上を見下ろすと、帰り始めている生徒達の姿があった。
 ――なんとなく、見ていると切なくなる。
 私も、帰ればいいんだよ。
 心のどこかにある別の自分がそう言う。
 幼馴染だからって、付き合う必要ないじゃん。余計なお世話のお節介かもしれないでしょ。
 溢れてくるのは、そんなマイナスの感情ばかり。
 溺れそうになることが怖くて、握っていた柵をぎゅっと掴む。

「……授業、終わったの?」
 まるで見計らったようにかかる声に、驚いて視線を向ける。

 声は確かに聞こえたはずなのに、彼の姿はさっきと一ミリとも違いはない。投げ出された足。横たわった身体。閉じられた目。見つめていても動かない。だけど幻聴じゃないことを知ってる。いつも通りのやり取りの始まり。

「終わったよ、とっくに」
「迎えに来てくれたんだ?」
 言葉のわりに、感情は微塵も伝わってこない。喜んでるのか、迷惑がってるのか。少しでもわかれば、違う返事もできるのに。
 とりあえず、いつものように空を見上げて、口を開く。
「一緒に、帰るかなって思って」

 あ、飛行機雲。
 一直線に描かれた雲は、無邪気に感情をぶつけ合っていた幼い頃の私たちだ。あの頃は「スキ」も「キライ」も素直に言葉にできたのに。
 ――ねっ、いっしょにかえろうよ!
 まっすぐ、手を伸ばして。にっこり笑って。
 年齢を重ねるごとに、断られることへの恐怖が大きくなった。手を振り払われたらどうしよう。
 その途端、幼馴染の関係が終わってしまいそうで。

「そうだね、帰ろうか」
 今日も変わらずに頷いてくれたことにほっと胸を撫で下ろす。
 帰ろう、と言った彼に視線を向けると空に向かって両手を伸ばしていた。いつもの合図に苦笑して、柵から手を放し傍に歩み寄る。
 その手をつかんで、引っ張り起こす。起き上がった彼の手を放そうとして、ぎゅっと握りしめられた。ドキリと、胸が高鳴る。
「……今日は手をつないで帰ろう」
 手に込められた力の強さ。伝わってくるぬくもり。すべてに幼馴染みが男の子だと思い知らされる。
「う、うん……」
 戸惑いながら頷くと、即座に彼は「間違えた」と訂正の声を上げた。
「えっ?!」
 驚いて目を見開く私に向かって、にっこりと笑顔を浮かべる。
「今日からは手をつないで帰ろう」
 たった二文字付け加えられただけの言葉。
 思わず目を瞬かせると、彼は不思議そうに首を傾けた。「だめ?」そう訊いてくる声に我に返って、ぶんぶんっと音が鳴りそうな勢いで首を左右に振る。かぁっと頬が熱くなっていくのを感じながら、「よかった」と安堵する姿に「なにが?」と問いかける。
 彼は曖昧な笑みを浮かべて私を見る。
「迎えに来てくれるたびにほっとしてたけど、その理由が怖かったんだ。単なる幼馴染みとしてか、それとも好意をもってくれてるからか。踏み出すことが不安だったよ。でも、踏み出さなきゃ進めないとも思った」
「それがさっきの言葉?」
 少しだけ呆れながら、彼も同じ想いを抱えていたんだと知って、嬉しさがこみあげてくる。
 うん、と応じて、彼は立ち上がり、私の手をしっかり握ったまま言う。
「これからは、素直に言える。一緒に帰ろうってさ」
 君の迎えを待つまでもなく、と小さく呟いた声はしっかり耳に届いて、頬が緩むのを感じる。私も彼の手を握り返して、「そうだね」と笑った。
「一緒に帰ろう!」
 素直に言えなかった言葉を元気よく口にして、幼馴染みから踏み出した関係を彼と一緒に歩き出した。