ForestLond

森を夢見る恋人たち (10)

 どんっ!

 アルベルトは拳を強く、地面に叩きつけた。
 砂埃がわきあがり、深くそこが抉られる。

 気配が残っていた。
 間違えようのない。例え微かなものでも、間違えるはずのない気配。

「……アルセリア」

 怒りと、憎悪でアルベルトの目が暗く歪む。
 彼女の名前を口にすることでしか、とても正気を保てそうになかった。きっと何があっても、アルセリアを連れ去った男を許さないだろう。
 その思いは男への殺意を、明確にさせる。

 目の前に広がる光景が、余計にアルベルトの心を冷たくしていく。
 眩しいほどだった青く若々しい木々は色を失い、枯れ果てている。
 それがまるで、今の自分に重なって。
 アルベルトの心を波立たせる。

 守ると、誓ったのに。
 ――――― 二度と手を離さないと、約束した。

 地面を叩きつけたその手を、強く握り締める。
 悔しさと、後悔と。取り巻く負の感情で、息が詰まる。
 爪が食い込んで、ポタリと赤黒い血が流れ落ちた。それでも痛みひとつ、アルベルトには感じられなかった。

 ふと、風が動く。

 アルベルトは誘われるように、光を失った瞳を向けて視線を動かす。
 淡く黒光りを放つブレスレットがあった。
 弾かれたように足を動かして、地面に落ちていたそれを拾う。ひんやりと冷たい感触が伝わる。

「これは、アルセリアがつけていた……」
 違和感を覚えたアルベルトは、すぐに術が掛けられていることに気づいた。
 ちっ、と。舌打ちが鳴る。

 罠かと一瞬過ぎったものの、その予感にすらかまっている余裕がない。すぐにブレスレットを握り締め、【解呪】と小さく唱えた。途端、黒い光が強まる。

『 鍵を。召喚士一族の地にて、待つ 』

 短い言葉が周囲に響く。
 ブレスレットを包んでいた光は消え、アルベルトはぎゅっとそれを握り締めた。
「昔を繰り返そうとでもいうのか?」
 眉を顰めるアルベルトの表情は、苦しげに歪んでいた。

 ―――― 私は幸せになって欲しいの。

 脳裏に浮かぶ、笑顔の似合う女性。
 それでも、いま思えば心からの笑顔ではなくて。
 必ずどこか切なく。寂しげな感情が混じっていたのだと思う。

 ―――― 貴方が望んでいるもの全てあげる。

 だから、約束よ。
 私の二の舞を踏ませないで。真実を隠さないで。

 貴方が望んでいるもの、全ては。

 その先に、あるから。

 心の奥底に置いていた過去。
 アルセリアと過ごすようになって、それさえも優しく包み込まれていたのに、押し寄せてくる感情に飲み込まれそうになる。

 けれど、手の平から伝わるブレスレットの感触が、アルベルトの意識を繋ぎとめていた。
 瞳に光が戻る。
 負の感情でいっぱいだった頭の中が、次第にすっきりとなるのを感じた。
 手に持っていたブレスレットに術をかけて、輪の大きさを変えると、自らの腕にはめる。
「二の舞などに、させない」
 そう声に出して、改めて強く誓う。
 そっとブレスレットに口付けた。


「…………ラミーア。聞いてもいいか?」
 自らの居室のソファに身体を落ち着けて、今とこれからの状況について考えていた王子は、リングル老に連絡をつけに行って戻ってきた従者にそう声をかけた。
 呆れたような表情を浮かべているゼムタとは対照的に、いつも通りの不遜な態度で、何か、と傍に控えているラミーアは促す。
 王子は先ほどテーブルに差し出されたそれを指さして、訊いた。

「これは、俺の目に間違いがないければ木彫り人形に見えるが……」
「間違いなく、木彫り人形だ」

 あっさりと返ってきた肯定の返事にゼムタは、深いため息をついた。
 要点を纏めて言うことが苦手なムタと、反対に簡潔にしか言わないラミーア。どうして自分の従者はこうも極端なのか、と思わず頭を抱えそうになる。
 もちろん、そうは言っても今更だ。心得ているゼムタは、「だから、」と続けることにした。

「どうして木彫りの人形がここにあるんだ? 第一、お前はリングル=マスターに連絡をつけに行ったんじゃなかったのか?」

 ラミーアはじっ、とテーブルの上にある木彫りの人形を見ながら、ゼムタの言葉を無視するかのように口を開いた。

「……降ってきたんだ。俺が出かけようとしたら、急に空から」

 唐突な言葉に、ゼムタは訝るように視線を木彫りの人形に向ける。
 途端、木彫りの人形から白い煙が溢れてきた。

「 ―――― ?!」
 ゼムタは目を瞠り、息を呑んだ。

 すぐに呪文の詠唱に入れるように構える。
 ラミーアもゼムタを庇うように、わずかに前に出て腰につけていた剣の柄に手をかけた。

「心配せんでいい。わしは今、そななたちが話していたリングル=マスターじゃよ」

 溢れ出す白い煙の中から、そんな声が聞こえた。
 不意に木彫りの人形は人間と同じくらいの大きさに変わり、ひとりの老人に姿を変える。

「すまんな。緊急のことと思うて、依り代を使うことにした」

 依り代、その言葉にゼムタもラミーアも警戒を解く。
 つまり本人は別の場所にいるということだ。木彫り人形に術をかけて、送りつけてきたということになる。

「わしが行くには、そこは遠すぎる。恐らく、2週間はかかるからの。コレに術をかけて、鳥に運んでもろうた」

 白い煙が消えて、すっかり姿を現した老人は丸眼鏡の奥で目を細め、笑った。
 ゼムタは冷静を取り戻すと、老人の前に歩み寄って片膝をついた。

「貴方がリングル=マスターですね。精霊使いの偉大なる長老、」

 尊敬の眼差しと口調で言うゼムタを遮って、老人は言った。

「いやいや、王子。挨拶は無用じゃ。時間が勿体無い」
 首を横に振って、老人は傍にあるソファに腰掛けた。

「あの、――― リングル=マスター長老?」

 ゼムタは立ち上がって、訝るように老人を見る。
 苦笑を零して、老人は言った。

「わしのことはリングル老と呼べばいい」
 ゼムタとラミーアにも向かい側のソファに座るよう、視線だけで促す。
「早速で悪いが、アルベルトとアルセリアのことじゃ」
 口に出された名前に、ゼムタはハッと息を呑む。
 リングル老はその姿をじっ、と見つめた。

「あの二人のために協力してもらわなければならないことがでてくるかもしれん。聞いてくれるかの?」

 あの二人のために、リングル老の言葉にすぐには答えず、ゼムタは窓の外へ視線を向けた。遠くを眇めてみれば、明るい緑を失った森がある。
 間を置いて視線を戻すと、ゼムタは口を開いた。

「二人のことはとても好きだけど、だからと言って二人のためだけにと言ったら嘘になる。僕は一応はこの国の王子だからね。動くなら、二人とこの国のためにだ」

 意思のこもった強い言葉に、リングル老は深く頷く。
 国を抱えている人間が安易に動くことは、信用することができない判断だ。
 リングル老は手にしていた杖を持ち替えて、眼差しを遠くへ投げる。

「さて、何から話せばよいのか」
 まるで、昔語りを聞かせる語り部のように、リングル老は口を開いた。

 ――――― あれはまだ、アルセリアが生まれる前の話しになる。




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