■エピローグ■
桟橋で待ち合わせをし、お屋敷までの道のりを歩いていると、不意にマックスが足を止めて、ユリーナに話しかけてきた。ユリーナも足を止めて、マックスを振り向く。
ユリーナといるときのいつもの無表情に、その青い目も感情を浮かべてはいないものの、纏う空気がわずかに落ち込んでいるように感じられる。
「僕は、アルサーヌの気持ちはわかるよ。理解できるかどうかは別としてね」
「アルサーヌの気持ち?」
「自分を捨てた人間が権力やお金を手にいれたという事実を突きつけられたときの ――」
強い衝撃に襲われて、ハッと息を呑む。
ひとり佇むマックスが、まるで置いてきぼりにされた子どものように見えた。途方に暮れて、どうすればいいのかわからず、泣きたいのにぐっと我慢している姿 ―― 慌ててユリーナはマックスの傍に駆け寄った。手を伸ばして、彼の腕に触れる。
「マックス……」
「ユリーナを傷つけたくて真相を口にしたわけじゃない。ただ、僕は……」
「大丈夫よ、わかってる」
マックスの考えていることは時々わからなくなるけれど、それでも、幼い頃からずっと、ユリーナのためを想ってくれていることだけはちゃんと伝わっている。たとえ、その方法がユリーナを怒らせるようなものであったとしても、それは器用なマックスの唯一、不器用なところなのだと、理解していた。ただ、常にユリーナを守ろうとするから、一緒に並んでいたいと思うユリーナはつい、意地を張ってしまうけれど。
――― それでも、大事なことは心が感じ取ってるし、理解している。
それをどうにか伝えたかったけれど、今のマックスには言葉では届かない気もした。それくらいいつもと同じを装っているマックスは頑なにユリーナには思えた。きっと、ユリーナを傷つけたと思って自らを責めている。
見つめてきているのに、ユリーナを見ていない、その青い目に吸い込まれるように、そっと顔を近づけ、彼の唇に口づけた。
ほんの一瞬。
すぐに自分が何をしたのか自覚して、口元に手をやる。かぁっ、と頬が熱をもつのがわかった。ばくばくと心臓がうるさいくらいに鳴り出す。
一方、マックスは目を瞬かせる。呆然と、口を開いた。
「……今のキスは、僕を慰めるため?」
改めて自分がしたことを突きつけられ、ユリーナは恐らく真っ赤になっている顔を見られなくて、マックスに背中を向けた。
「そ、そうよ。小さい頃はよく頬にしてあげたでしょ!」
「唇は、初めてだよ」
「わっ、わざわざ口にしないでいいの!」
くすり、と面白がる笑い声が聞こえた。
「知らなかった。ユリーナって、僕を愛してたんだね」
いつものマックスの口調に、ユリーナは再び勢いをつけて彼を見る。もうその姿は、普段ユリーナといるときと同じ、いつものマックスに戻っていた。さっきとは裏腹に、上機嫌な空気を滲ませていることをのぞけば ―― 。
「ちょっと! なんでそうなるのよ!」
「唇へのキスは愛し合う恋人同士のものだよ」
そう言って、マックスはユリーナを追い越し、先の道を歩き始める。
「違うわよ、……って、ちょっと、マックス! 私の話を聞きなさいよ!」
冗談じゃないわよ ―― っ!
相変わらずのユリーナの照れ隠しな声を聞き流しながら、マックスはハイデンホルムの青い空を見上げて、重苦しい溜息をついた。
・・・☆・・・
―― それで忘れモノは取り戻せたのか?
からかうような口調で問いかけてきた男に対し、レイモンドは珍しく不機嫌に見つめ返した。
「ええ。おかげさまで」
皮肉めいた返しに、男は楽しげに笑う。
豪快なそれを見て、怒っていることも馬鹿馬鹿しくなったのか、レイモンドは肩を竦めて呆れた表情で応じた。
「これで、心置きなくリベンジできますよ」
「本気っぽいな」
苦笑を零す男に当然だ、と声に出さずに思う。白い手袋で隠してはいるが、彼の職業上重要な両手には無数の引っかき傷がある。自らが忘れたモノとはいえ、取り戻すのに苦労した。その要因となった顔だけは天使のような男を思い出して、無意識に眉を顰める。
それを見た男は、椅子に深くもたれて、手を組み、それまでの余裕のある口調にほんの少し緊張感を滲ませた声で、まぁ、と口を開いた。
「そろそろ連れてきてもらわなければ、困る。俺たちも足場を固める必要があるんだ」
「それが私と彼女の ――」
「レイ、頼むよ」
言葉を最後まで言わせることなく、真剣な表情で言う男に、レイモンドは恭しく一礼をした。