第一章 精霊使い

一、依頼(1)
3月も半ば ―――
 『新城』と表札のある長く高い壁に囲まれた、大きな屋敷の門近くには、まだ春初めというのにたくさんの桜の樹が美しく咲き誇っている。その数本の桜の樹の中で、一番大きな樹の根元に座り込み、上を向いて花びらが散っていく様を見つめているひとりの少女がいた。

 花びらは、1枚として彼女に降りかかることなく風に揺られて舞い降りる。

 真っ白な雪に少しだけ朱を交えたような肌。それとは逆に闇を思わせる真っ黒い、流れるような艶やかな髪。桜を見上げる瞳は薄い茶色。その容姿はとても人とは思えないほど美しいけれど、少女を包む雰囲気は優しい。

「気温は暖かいし、桜は綺麗だし…。このまま寝ちゃおうかな、ね?」
 呟くような ―― けれど澄んだ声で、少女は言った。
 周囲には誰もいないはずなのに、彼女の脳裏には美しい女性の声が響く。

(香穂(かほ)さま……、あと少しで秋(しゅう)さまが呼びにいらっしゃいますが、よろしいんですか?)
 不意に響いた声に驚くことなく、問い掛ける。
「んー、やっと終わったの? どんな話しだった?」
(仕事の依頼です。御当主へ頼みにいらした様子でしたが……。)
 言いずらそうな口調に、香穂と呼ばれた少女は全てを察したような顔で肩をすくめた。
「お父様は出掛けてるでしょ? ……なるほど。≪裏≫の次期当主の付き人サマとしては、せっかくいらした依頼人をほっとけなかったわけだ」
(秋さまはお優しいですからね。)

 苦笑するように答える彼女の言葉は、肯定を意味している。
 予想通りのことに、思わずため息をついた香穂はクスクスと笑みを零す相手に拗ねるように言う。
「さぁーぎぃーり、おもしろがってない?」

 慌てたように、(とんでもないです!)と返されて、香穂は訝りながらも話題を変える。
「……で、その仕事の内容は?」
(それは ――― )
 言いかけた砂霧は不意に言葉を止め、笑みを含んだ声で続けた。
(もうすぐ秋さまがいらっしゃるので、ご本人からお聞きになった方がよろしいかと思いますよ?)
 そうして砂霧は、止める間もなく完璧に声と気配を消した。
「やっぱり面白がってるじゃない。 ――― まったく、いつのまにあんなに性格が悪くなったんだろう?」

 呆れたようにぶつぶつ言っていると、砂霧の言葉通り、秋が近づいてくる気配を感じた。

「香穂 ――― っ、!」

 淡い茶色の髪と光の加減で、金色にも見えるきらきらと輝く瞳。整った顔立ちに笑顔を広げるその姿は、男の子にしては白い肌のせいで、可愛らしい少女に間違えられることは多々あった。

 走り寄ってきた秋に笑みを浮かべながら、香穂は訊いた。
「お客さまは帰ったの?」
「うん、今さっきね」
 秋は頷きながら、香穂の隣に座った。そんな彼に視線を向けて、更に問いかける。
「仕事の依頼?」
「えっ、あ…ま、まぁ……」
 動揺が隠せない彼の性格は香穂の好む所だったが、仕事が絡むと話しは別で、急に彼女は不機嫌を露わにする。
「 ――― 引き受けたの?」
 わずかに口調が低くなった香穂に気づいて、それでも秋は視線をそらし頷いた。
「どっ、どっちにしろ、佳和様がいたとしても結局は香穂に任せられることになったと思うし……」
 困惑したように言う秋の姿に、香穂は一度大きなため息をつく。

 これも惚れた弱みというのだろうか。彼が引き受けてきたものを『否』、と言うことはできずに香穂は訊いた。
「で、どんな仕事なの?」
「うん、それが ――― 鹿島女子高等学校って知ってる?」
 髪をかきあげながら、秋は言い難そうな口調で香穂に問う。
「もちろん、知ってるけど。隣町の高校じゃない」
 確かそれなりに有名な進学校よね ――― 。

 香穂の言葉に頷きながら、秋は続ける。

「そこの理事長と佳和様は知り合いらしいんだ」
「それで?」
「さっきのお客さんは、その理事長からの使いの人だったんだけどね」
 そこまで聞いた時、香穂の脳裏に嫌な予感が横切ったが、そんな彼女に気づくことなく秋は話しを進めた。
「理事長は佳和様から『魔』のことを聞いて知ってるらしいんだ。もちろん、『精霊使い』のことも……。そこで最近、学校内で奇妙なことが起こってるんで調べてみてほしいって」
 脳裏をよぎった嫌な予感は見事に当たったらしい。
 香穂は一瞬、そんな依頼をもってきた理事長と引き受けてしまった秋を恨んでしまっていた。

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