第一章 精霊使い

一、依頼(2)
 新城家 ―― 「表」は世界でも片手に入るほど有名な財閥で、会社の経営に携わっている。また「裏」では全世界に散らばる「精霊使い」たちを纏めている代々の由緒正しき家柄であった。

 現、当主は今まで「表裏一体」だった新城家を、次代から「表」を長男に、「裏」を長女の「香穂」に分けて継がせようとしているが、その能力を十分に発揮している長男はともかく、仕事嫌いな香穂が跡を継ぐかどうかはまだあやふやな段階ではあった ―――― 。


「 ――― 香穂」
 何回目になるのか、繰り返し名前を呼びながら、秋は後部座席から身を乗り出して、助手席に座り沈黙を決め込んでいる香穂の顔を覗き見る。
「危ないわよ」
 香穂は一言だけ、冷たく言い捨てた。
 依頼人がいる『鹿島女子高等学校』に行くために車に乗ってから、暫らくずっと同じことを繰り返している。流石に秋は諦めたように座席にも垂れて、大きなため息をついた。
 その光景に、それまで肩を震わせながらハンドルを握っていた運転手の早見がとうとう堪えきれずに、笑いを零しながら訊いた。
「香穂さまは今まで、秋さまが引き受けられた仕事に文句を言われたことはないのに、どうして今回はそんなに嫌がっているんですか?」
「別に嫌がってるわけじゃないけど……」
 不満そうに香穂が抗議する。それでも口にすることを躊躇っていると、代わりに秋が答えた。

「先週の初めにね、香穂の祖母(おばあ)様に占われたんだ。今週は香穂に女難の相がでてるって」
 思わず噴き出しそうになった早見は、ミラー越しに助手席の香穂が睨んでいるのを見つけて、慌てて堪える。

「 ――― 確かに、あの方の占いは当たりますからね」
 それにしても、秋にではなく。香穂に、というところが面白かった。
「そう。なのにお優しい秋はよりによって、その原因となりそうな人たちが大勢いる『女子高』からの依頼を引き受けてきたのよ?」
 頬を膨らませて、拗ねるように香穂は言った。
 がくり、と秋は項垂れる。それでも、負けじと香穂に聞こえる声の大きさで、独り言のように言う。
「だけどさ。今回の依頼人は当主の親友だって言うし。それになにより、『魔』を野放しにしておくわけにはいかないし……」
 確かに、秋の言うことは間違っていない。
 正論で勝てるとは始めから思ってはいなかった。それでも拗ねるフリをしたのは、秋の落ち込んだ顔を見たかったから、というのは香穂の心の奥だけに閉まっておくことにして、諦めたように見せかけの表情を装いながら香穂は促した。

「……もう。わかったから。今回の仕事の内容を詳しく訊かせて」
 その言葉に、秋は曖昧な笑みを浮かべる。
 依頼を納得してくれたのは嬉しいが、その内容を詳しく、という言葉に引っ掛かりを覚えたようだった。

「さっき訪れてきたのは、依頼人の先触れみたいなもので。詳しいことは直接、『鹿島女子高等学校』の理事長から訊いて欲しいって。とりあえず、聞いただけだと……」

 思い出すように、秋は顎に手をかける。
「生徒が最近、授業中にぼうっとしてることが多いらしいよ」
 その言葉に、思わず香穂の気が抜ける。
「……それがどうかしたの?」
 ただ、授業に身が入らないだけなんて、よくあること。どうしてそこに『魔』が持ち上がってくるのか、香穂には全くわからなかった。そう首を傾げる香穂の同意するように秋も頷く。
「僕もそう思ったんだ。だけど、そういった雰囲気とは違うって言うんだよ。なんていうか、生きる気力が感じられないって」
 香穂は思案するように言った。

「生きる気力が……? そうね、それなら『魔』が関係してくるかもしれないけど……」

 『魔』は人間の生命力、気力などを糧としている。
 質の悪いものは、精力を。低級な妖魔や、霊魔の中には好んで人間の肉を貪るものもいる。それ以上の『魔』は食べなくても関係ないが、時折、面白半分にそれらを取り込む者たちもいた。

「あと、その異変がある生徒たちは皆、寮生らしいよ」
 寮生、と呟いて香穂は再び思案に耽った。

 ふと車が止まって、早見が二人に声をかける。

「着きましたよ」

 頷いて、香穂はシートベルトを外しながら思い出したように言った。
「そうだ。迎えはいらないけど、帰ったら夕飯はご馳走を作るように伝えてもらえる? 夜の八時頃にはお義兄(おにい)さまが本屋敷に帰ってくるらしいから」
「佳人(よしと)さまが?!」
 二人の声が重なる。
 驚いた表情を浮かべる秋と早見に香穂は小さく肩を竦めて見せた。
「お義父(とう)さまたちが、オーストラリアにある支店を見に三日前から出かけて行ったでしょ。一ヶ月は戻らないって。…で、私のことが心配だから、一週間くらいは帰るそうよ」
 驚きから立ち直った早見は苦笑を浮かべた。
「佳人さまも、香穂さまには過保護ですからね。わかりました。早速、戻って準備を整えるよう伝えておきます」
 その渋面に皺を刻んで、にっこりと優しい笑顔を浮かべた早見は秋と香穂が降りたのを確認し、ドアが閉まったのを見ると、車を発進させた。

 車の姿が見えなくなってから、香穂はようやく門へと踵を返す。
 片側の壁には『鹿島女子高等学校』と、彫られていた。その正門を二人は通り過ぎる。
 時間的に授業中だったのか、学外には誰一人として見当たらなかった。
 ひとまずほっと胸を撫で下ろし、香穂は風の精霊に『理事長室』までの案内を頼む。

「教えてくれればよかったのに……」
 ふと、後をついてきていた秋の呟きが聞こえて、香穂は不思議そうに問いかける。
「なにを?」
 そう訊きながら、本当は香穂には彼が言いたいことはわかっていた。それでも聞き返すあたり、性格が悪いと自分でも思う。
「佳人さまが帰ってくるっていうこと。僕は聞いてなかった」
「あ、そのこと」
 案の定、予測してた通りの言葉に、香穂は用意していた答えを返す。
「私もさっき思い出したの。すっかり忘れてたから」
 それでも秋の疑いの眼差しは消えなかった。香穂に限って忘れる、という言葉がどれほどそぐわないものか十分にわかっている。香穂は苦笑いが浮かぶのを堪え切れなかった。両手を挙げて、降参、と呟く。
「本当だって。私は、秋に冗談は言っても、嘘はつきません」
 すかさず、話しを聞いていたのか砂霧の声が香穂の脳裏に響いた。

(そのこと自体が嘘ですよね、香穂さまの場合。それを知らない秋さまも可哀想ではありますが……。)
(……私が言ってるのは、私が嘘をつくときは『香穂』のときじゃないってことよ)
 一瞬、沈黙が訪れる。砂霧、と声をかけようとした香穂を遮って、ため息混じりの声が返った。
(……屁理屈ですね)

 香穂もその言葉にため息をつく。自分でもわかっている。それでも言わずにはいられなかったのだから、あえて自覚させるようなことを口にしなくてもいいのに、と拗ねるような想いが湧き上がった。

「香穂、ついたみたいだよ」
 砂霧との会話から意識を戻して、香穂は目の前の『理事長室』とプレートのかかった部屋のドアを見る。こんこん、と秋は軽くドアを叩いた。
「新城家の者です」
「開いてますよ、どうぞ」
 返事はすぐにあった。秋がドアを開け、香穂に先に入るよう促す。
 失礼します、と一礼してから香穂は部屋の中に足を踏み入れた。すぐに秋も続き、静かにドアを閉める。
 部屋の中央に置いてあるソファにはふたりの男女が座っていた。

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