第三章 詩姫の罠

一、前奏(1)
 ひとりの美しい女性が鏡台の前の椅子に座って、じっと鏡を見つめていた。  闇よりもなお、漆黒に染まる瞳と足元に流れる長く艶やかな髪。唯一の、彩を見せる熟された赤い唇。鏡に映る顔は「美しい」という形容さえ忘れて、ため息が零れ落ちてしまいそうなほどの、整った顔。すらり、とした身体。人間には現しきれないほどの「美」がそこにはあった。

「……信じられない」
 ふと、ため息交じりに女性は鏡に向かって呟きを落とす。
 鏡に向いている視線だったが、その瞳はどこか遠くを見つめていた。

「なにかの間違いよ。きっと……、そう、ありえないわ」
 動揺を抑えるように、女性は自分に言い聞かせる。あり得ないわ、ともう一度呟いて、瞼を伏せる。長い睫が影を作り、女性の表情は憂いたものになった。
「理由があるのだわ。退屈が嫌いな方だもの。だから……」
 言いかけて、もうひとつの可能性を思いつく。
(それとも、ただの気紛れ?)
 どちらにしても、それならば、と思う。そう。それならば納得がいく、と。

 女性の顔に微笑みが浮かぶ。瞼を開いて、現れた漆黒の瞳には、禍々しい光が一瞬だけ煌いて消える。
「そう……、そうね。それが先、だわ」
 心を決めたかのように、女性は満足そうな笑みを広げると、立ち上がって踵を返す。鏡に背を向けて、離れる。

 その瞬間、確かにそこにあったはずの鏡も消えた。

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