――― 私も、連れて行って下さい。
自ら告げた言葉はあまりにも衝動的で、この世界に存在して初めてそんなふうに考えることなく零していた。それが解っているかのように、彼女は微笑んでゆるりと首を横に振った。
『あなたは、この天界に必要よ』
柔らかな拒絶は、事実であるだけに胸を突き刺す。
確かにその通りで、私にはこの場所で守るべきものがある。それはとても大切な使命であり、宝物であり、喪失できないもの。それでもなお、彼女のいない世界には何の意味もない。
『貴女ほど……、この天界に必要な方はいないでしょう』
知らず低くなった声に気づくことなく、彼女は寂しそうに微笑んだ。
『そう ――― でも私は行きたいの』
胸が痛んだのは、唯一その理由を知っていたからだろうか。
『首座様に聞かれたら?』
『任せるわ。どうせ、そんな簡単に見つかるような真似はしないから』
それはずっと前から、計画してきたこと。
……でも、一つだけお願いがあるの。
首を傾げて、けして彼女の願いを断ることなどできない私にそう告げた。
『なんでしょう?』
微笑み、その先を促す。
不意に彼女はその華奢な腕で私の身体を抱きしめた。
『貴女の、……天使の ――― 加護だけはもっていってもいい?』
告げられた言葉に、驚きと同時に悲しみがこみあげてくる。
彼女の身体を強く抱きしめて、やわらかな金の髪に顔をうずめながら、くぐもった声で言う。
『どうあっても、連れて行っては下さらないのですね?』
『 ―――― うん』
少し間を置いて頷くと、彼女は身を離して、クスッ、と笑みを零した。
その笑顔が胸を突き刺す。この手を離してしまえば、もう二度と見れなくなる。
『本当に後悔をしないと ―――?!』
知らず荒くなる声で問いかけようとした私の言葉が終わる前に、細い彼女の指が唇に触れる。
『わからない ――― でも、』
お願いだから聞かないで。
今にも泣きそうな顔をする彼女にため息をついて、スッと距離を取った。
手の平を広げて瞳を閉じると、そこに1枚の白い羽根が現れる。
羽根に軽いキスをして、彼女の手に握らせた。
『私が守護する水の加護を貴女へ…、永遠に』
最後に加えた言葉を驚いたような瞳で受け止めた彼女は、次には嬉しそうな笑顔を浮かべた。
『ありがとう』
微笑んだ彼女に笑顔を返して、それ以上その場所にいることができず、離れるしかなかった。別れの言葉は口にすることなく。
だから、気づかなかった。
彼女が最後に残した言葉に、
「ごめんね……」
そう泣いていたことに ―――― 。
「……どうかしてるかもね」
この世界ではたったひとりといえる親友が姿を消したあと、少女は頬を流れる涙を拭いて、自嘲するように呟いた。
後悔しないと言いきれますか ―――― ?
わからないと答えた問いかけ。
でも、本当はわかってる。この世界を離れることに、後悔はない。それだけなら、自信をもって言えた。
ただそう答えたのは、その問いかけが心の中で別のものにすりかわっていたから。
彼を愛したことを……。
後悔しないと言いきれるか。
全てを捨てよう、と言ってくれた。
全てを忘れよう、と。
それが正しいのかはわからない。
でも今の私たちには、縋るしかないから。
「なにが神の娘、よ。なにが万能よ」
少女は苛立ったように言う。
「 ――― 逃げるしかできないじゃない」
そう呟いた少女の伏せられた瞳からは、一筋の涙が零れ落ちた……。
◆―◆
男は闇を思わせる翼を広げ、ふとその瞳を空へ向けた。
続くのは彼がうんざりするほど、見慣れてしまった漆黒の世界。
もちろん、慣れてしまった世界とはいえ、そこは彼にとってけして居心地のいい場所ではなかったが。いつもなら、空を仰ぎ見る視線は無機質なもの。けれど、今 ――― 空の向こうを見つめるその瞳には明らかに感情といえるものが浮かんでいた。
「……後悔しないのか?」
呟いた言葉は、誰に聞かせるわけでもなく。
纏わり付くように吹く風に、ふんっ、と笑って嘲る。
「後悔はさせねーぜ。俺を巻き込むんだ」
意図的にしろ。
そうでないにしろ。
くっ、くっく……。
愉しそうな笑みを零して、男はその瞳にせつない光を宿らせる。
「……最後まで、踊ってやるよ」
誰へともなく呟いて。
なにかを振りきるように瞳を伏せた男は、激しく吹きつける風に紛れて、その姿を消した。
【
Index】【
Next】