「怜先輩も悪い人じゃないんだけど……」
一人ピアノ教室へ向かいながら、世羅は呟いてため息をついた。
出会ったのは中学に入ったばかりのとき。
母親が外国出身のために、世羅の髪は陽に透けると金色に見えるほど色素が薄くて、瞳も淡いブルー。無責任な人から美人といわれるスタイルは、学校で目立てば目立つほど反感を買った。成績もよく、先生受けもよければ尚更 ―――。
学校の不良と呼ばれる人たちに呼び出されるのも、たいして時間はかからなかった。
聖が風邪で休んだ日を狙って、無理矢理連れてこられたのは、体育館の裏。4人の男たちと、きつそうな視線を向けてくる女の先輩が2人。逃げられないように、世羅を囲んでいた。
「ふ〜ん、君が世羅ちゃんかぁ。可愛いねぇ〜」
舐め回すように見られて、世羅の中では不快感だけが募っていく。
「なにか用ですか?!」
弱みを見せるわけにはいかず、鞄で身体をガードしながら、キッ、と睨みつける。
「おぉ、怒った顔も可愛い!」
嬉しそうに男たちは声をあげた。
苛立ちが生まれる。
イヤ、だった ――― そんな風に見られるのが。自分を人としてではなく、まるで愛玩動物でも見るかのような瞳で。
「用がないなら、失礼します!」
「 ――― 待てって」
間を通り抜けて行こうとして、不意に強く腕を掴まれる。
ゾクリ、掴まれた腕から悪寒が走った。
「放して下さいっ!」
慌てて腕を引こうとしたが、男と女の力の差は明らかだった。
「俺の女にしてやるよ」
顎を軽く持ち上げられて、言われた言葉に目眩を覚える。
周囲からは冷やかすような声が、飛びかった。
「結構です! 私、好きな人がいますから」
「臼井(うすい)聖だろ? あんな顔だけの奴より、俺の方がキスうまいぜぇ」
下卑た笑いを繰り返す男たち。
自分のことならともかく。好きな人のことを言われて、怒りが頂点に達した。
ぎゅぅぅ ―― っ、と腕を掴んでいる男の足を思いっきり踏みつける。
「冗談じゃないわよ! 貴方、聖にキスされたことがあるっていうの?!」
「第一!」ビシッ、と不良たちに指を突きつけて、世羅は言う。
「聖は頭もいいし、スポーツも万能だし、器用なのよ! 顔だけなんて、顔も悪いあなたたちに言われたくないわ!」
「――― いてぇ…っ、この女。調子に乗りやがって!」
足を踏みつけられ、散々罵倒された男は、世羅を叩こうと腕を振り上げた。
(殴られる ――― !!!)
世羅は反射的に目を閉じた。
だが、その衝撃はいつまでたっても、襲ってこない。不思議に思って、そっと目を開けると、目の前には世羅をかばう背中が見えた。
(だれ ――― ?)
「俺は感心しねーな、女の子を殴ろうってのは」
妙に飄々とした口調で、不良の腕を掴んでいる男が言った。
「あ…浅宮(あさみや) ――― !」
男の顔を見た不良たちの顔から、血の気がひく。
「代わりに俺が相手してやろうか?」
更に剣呑な光を瞳に宿している彼に、不良たちは真っ青な顔で慌てたように首を横に振る。
「い、いえ…け……結構です!!!!」
そう言って、一目散に走り去って行った。
彼らが走って行った方を呆れたように見ていた男は、ふと世羅に視線を向けて、笑顔を浮かべる。
「やれやれ、世羅ちゃん。相変わらず威勢が強いねぇ」
いかにも知り合いであるような口ぶりに、世羅はきょとんとした表情で彼を見つめる。
黒い髪と瞳をもつ顔は、聖の隣に並んでも見劣りしないほど整っていて、一度でも会ったら忘れられないような強烈な印象がある。それにも関わらず、どんなにその顔を見つめても、会った記憶はない。
「あ、あの…、どこかで会ったことあります?」
そう世羅が訊くと、彼は一瞬だけ呆けたような顔をしたが、すぐにがばっ、と抱きついて来た。
「いきなりナンパされるなんて、怜ちゃん照れちゃう!」
「きゃぁあぁ!!!!」
―――― パンッ!!
頬を叩く音が澄んだ空に響いた。
紅葉の跡が残る頬をさすりながら、「浅宮 怜(あさみや れい)」と彼は名乗った。
「ひでーな。せっかく助けてあげたのに……」
「いきなり抱きつくからでしょう!?」
ナンパして来たのはそっちだぜ、などとぼやかれて、世羅はもういちど手を振り上げた。
「いかにも会ったことがあるかのよーな言い方するからです!」
「わー、タンマ、タンマ。ほんっとキレるのはぇーな」
今度はその腕を捕まえて、怜は苦笑するように言った。ムッ、とした世羅の手を握ったまま、彼はにっこりと笑う。
「確かに初対面だけど、同じ学校だから噂は聞いてるぜ。美男美女のカップルはどこにいても注目の的だろ?」
彼の手を振り払って、世羅はそっぽを向いた。
「とにかく、助けてくれて有難うございました! ――― 失礼します!」
一気にそう言って、スタスタ、と校舎の方へと足を向ける。だが、その背中にかけられた言葉に世羅はぴたりと歩くのを止めた。
「けどせっかくの彼氏も、こんなときに休むなんて役立たずだね」
世羅は振り向いて、もういちど彼の傍まで行く。
「あんな奴捨てて、俺に乗り換えない?」
けれど怜は返事を聞く変わりに、結局は二つの頬に紅葉の跡を作ることになった。
ポツ、ポツ……。
降り出した雨の雫に、世羅は空を見上げる。
(ヤダ……、傘持って来てないのに ―――!)
鞄で頭をガードしながら、ピアノ教室まで急ぐ。
が ――― 、
不意に強く腕を掴まれた。
「え……?!」
「よぉ、世羅ちゃん。今日はボディガードはいねぇのかい?」
世羅が気づいた時には、数人の不良たちに囲まれていた。
「……っ、あんたたち! 中学の!」
世羅は人気のない路地裏に引きずられ、逃げ道を塞がれていた。
「覚えててくれるなんて、嬉しいねぇ。寂しかったんだぜぇ、」
あいもかわらず、下卑た笑いを繰り出すリーダー格の男に、嫌悪が生まれる。周囲を囲む男たちの冷やかすような声。
これからなにが起きるのか、世羅には十分予測できた。
冗談じゃない。
「どいてよ! 私、行かなきゃならないんだからっ!」
壁に両腕をついて、逃げ道を塞ぐ男を押し退けようとするが、逆に腕を取られる。
「……放して!」
「そうつれなくするンなって、ここで俺たちといいコトしよ?」
耳元で囁かれる卑猥な言葉に、ゾクリと背筋に悪寒が走った。
(イヤだ、イヤだ……イヤだ!!!)
助けて ――― 聖っ!
「冗談じゃないわよっ! はな、して!」
急に押し倒されて、数人の不良たちに抑えつけられる恐怖に、世羅はもがく。
「おい、俺たちにも回せよぉ?」
「 ―――― まあ待てって。俺が十分楽しんだらな。ちゃんと抑えとけよ?」
足と両腕 ――、拘束されて。世羅は暴れて逃れる術を失う。
「イヤ、離れてよっ!! ヤダ、聖!」
身体を欲望に満たされた男たちに触れられて、世羅はそれでも必死に抵抗する。
逃れたくて……。
「もう観念しなって、一緒に楽しもーぜ」
欲にうわずった声で囁かれる言葉に、世羅は絶望に支配されていく。
ポタ……、ポタ。
ふと、自分が襲われていることを忘れて顔の上に降り注ぐ雨の雫に目を奪われた。
ヤサシイ ――― コレハ。コレハ ―― ナニ?
……、
貴女ノ、……天使ノ加護ダケハ、モッテイッテモイイ?
――― 貴女へ……、永遠二。
ぴたりとおさまった抵抗に、不良たちは諦めたのか、と世羅のスカートの下に手を入れた。
途端。
「イヤァ ―――― 聖っ!!!!!!」
我に返った世羅があげる悲鳴。
それに呼応するかのように、なにかが不良たちを突き飛ばした。
「――― わぁっ、な、なんだ??」
転がり倒された男たちは、起き上がり不意の衝撃に首を傾げながら、世羅に視線を向ける。すると、そこには見たこともない膜に包まれた少女の姿があった。
「な、なんだよ、これ??!」
透明なそれは、雨の匂いを纏っていた。
ピシャッ、
世羅を包む膜を、まるで守るかのように水が波立つ。
なぜかそれに言い知れない恐怖を覚えて、不良たちは息を飲んだ。
「あーあ、遅かったか」
緊張に包まれたその場に、妙に間の延びた声がかかる。
―― ハッ?!
不良たちが振り向いた先には、怜が壁に寄りかかり立っていた。
「あ、浅宮っ?!」
驚く不良たちをかいくぐるように、スタスタと歩きながら、怜は膜に包まれている世羅の傍に向かう。
「テメェの仕業か?!」
そう言いながら怜を囲む不良たちに、彼は呆れたように息をつくと、雨に濡れた髪を鬱陶しそうにかきあげた。
次の瞬間、怜の瞳に剣呑な光が浮かぶ。
「さっさと失せな ―― 今はお前らの相手をしてやる暇がない。が、また世羅にちょっかいをかけたら次は命がないと思えよ?」
「な、なんだと?!」
威勢だけは良いものの、いつもとは違う。怜を包む雰囲気に侵されて、他の不良たちはとっくに逃げ出していた。
「聞こえなかったか?」
鋭い視線が彼を射抜く。
一瞬で凍り付くような恐怖に支配されて、とうとう男も悲鳴をあげながら逃げていった。
怜はすぐに意識を世羅へと戻した。
水の膜に包まれている彼女を見て、思わず苦笑をもらす。
「自業自得だな、そんなもん持ってくるからだぜ?」
その言葉を非難するかのように、ピシャ、と水が怜に向かって威嚇する。
ハイハイ、と軽く手をあげ肩をすくめる素振りを見せながら、世羅へと歩み寄った。
「気づかれてないことを祈ってろ」
怜の言葉とともに水は静まり、世羅の周囲から膜も消える。
気を失っている彼女を見つめる視線は、優しくて。
「ほんっと、馬鹿だな。お前は」
言葉とは裏腹に、愛しそうな余韻を含んだ声で告げると、怜は彼女を抱き上げた。
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