手の平から感じ取れる、力の残滓。
それは守護天使のみに与えられた、水を統べる純粋な力 ――。
「 ――― 間違いないな」
細い路地裏で、アスファルトに手をついていたひとりの青年がふと呟いた。
黒いローブを羽織り、すっぽりとフードをかぶった青年の顔は見えない。だが発せられた声の音は、澄んでいて、世界のどの楽器にも勝るといえるほど、美しいものだった。
「やっと見つけた」
気の遠くなるくらい、探して。
探し続けて。
思い描くのは少女の面影。
「これは神の意志なんだよ。だから、君はもう ――― 逃げられない」
「誰が逃げられないんだって?」
青年の声に覆い被さるように、別の声が重なった。
ハッ、と息を呑む。振り向いた先にいたのは、深い闇を纏いながら、なおその闇よりも暗い色をした髪と瞳を持つ、少年。
少女の気配を追いかけることに集中していて、油断していた。それにしても、話しかけてくるまで気配を掴ませなかった存在がいるなどとっ。
強い衝撃が青年を襲う。
「お前は誰だ!?」
驚く青年に、クスリ、と笑みを漏らして彼はからかうように言う。
「さぁーて。俺が誰かなんて、お前ならすぐわかるだろう?」
(お前なら……?)
気配すら気づかせなかった。そんなことがこの自分にできるのは ――― !?
黒い髪と瞳は思い当たった人物に、間違えようもなく。
「まさか?!」
「お前も案外しつこいねぇ。いー加減、あきらめろって」
肩を竦めて言われた言葉に確信を得た青年は、自らを取り戻して、冷静になると苦笑をもらした。
「なるほど。見つからなかったわけだ。お前が守っていたのか?」
その言葉に不敵な笑みを浮かべたまま、黒を纏う少年は肩を竦めた。
「まあ、そんなよーなもんかな。わかったら、さっさと帰りな」
「それはできない相談だ。これは神の意志なんだからね」
まるで悪い冗談を聞いたかのように、青年の言葉を彼は鼻で笑った。
「はん。なーにが神の意志だ。初めっからお前が企んでいたことだろうが! あいつは自分の事は自分で決められる。お前の筋書きなんか必要ないっ!」
今度は青年がその言葉に苦笑を零す。そっと、被っていたフードを払い落とした。
さらり、と暗闇のなか ―― 光煌く金糸の髪が現われた。そうして見惚れずにはいられないほどの美形。少年が闇を纏うなら、青年は光を纏っている。そんな雰囲気が二人にはあった。
「それは間違いだよ。彼女が私を受け入れたんだ。だからこそ、神の祝福も受けることができた。筋書きとは、いい加減なことを言わないで欲しいね」
髪の色と同じ、金の瞳には愉悦に含んだ光が浮かんでいる。
「じゃあ、なんであいつはお前の元から逃げ出した?」
「少し、誤解があっただけ。それだけだよ」
フッ、と微笑んで青年は言った。だが少年は今にも射殺しそうな視線で彼を睨みつける。
「おやおや、怖いね。いつからそんなに誰かと関わることをよしとするようになったんだ?」
先ほど相手がしたように肩を竦めて、今度は青年がからかうように言った。
ふと、少年は漆黒の髪をかきあげる。刺すような視線はそのままで ―― 。
「お前もいつからそんなに執着心が強くなったんだ? しつこい男は嫌われるぜ?」
青年の綺麗な顔が苦虫を潰したような表情になる。それに嘲るような笑みを浮かべて、少年は続けた。
「ともかくこの世界にはお前の出番はない。さっさと神のお膝元へ戻ってママゴトでもしてな!」
「……堕ちたね。神をそこまで愚弄するなんて。もとは同じであったものが!」
青年の顔に怒りと苛立ちが浮かぶ。
「今の俺には、あいつこそが全てだ!」
集めていた力を少年は言葉とともに、青年へ放った。
光と闇がぶつかり合う ―――― 。
がしゃんっ!!!!!
「世羅?!」
激しい音が鳴り響いて、テレビを見ていた聖は慌てて台所にいる世羅のもとに向かった。
「あっ…」
割れている皿を見て、困ったような顔をしていた世羅は、駆けつけてきた聖に「だいじょーぶ!」と笑みを返す。
「ちょっと手がすべって……。ごめんね、すぐ片付けるから」
「いいよ。俺がする。美味しい世羅の手料理を食べさせてもらったしね」
心配ないと、軽く片目を瞑って言ってから、聖はしゃがんで割れた皿を片付け始めた。世羅はその言葉に甘えて、ありがと ―― と言ってからゴミ袋を取り出した。
「気をつけてね」
心配そうな表情をしている世羅に、笑みを浮かべて聖は言う。
「ヘイキ、ヘイキ。俺は皿片付ける天才だから」
その言葉に世羅は苦笑した。
「やっぱり……、聖ってば。最近、怜先輩に似てきたんじゃない?」
言われて、聖はきょとんとしたような表情をしていたが、すぐ嫌そうに眉をひそめる。皿をゴミ袋に入れながら、真面目な口調で答えた。
「……気をつける」
クスクス、と笑みを零しながら、世羅は掃除機を取りに物置に向かう。
ふと、手首が気になった。
痛いほどつかまれた痣は、もう消えていて。
だけど、なぜか皿を洗っていた時に瞬間、鋭い痛みが走った。
「なんでも ――― ないわよね?」
ひとりそう呟くと、世羅は掃除機を持って、聖のところへ戻って行った。
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