第二節. 目覚めし者たち(2)
 ほしいのは、万能の力か。
 それとも、彼女自身か ―――― 。
 いつしかふたつの選択肢が心を乱すようになった。迷い、悩んでいる最中、辿り着いた答えは両方をその手にすること。
 連れ戻せばどちらも手に入る。万能の力も、彼女の全ても。だからこそ深く考える必要はない。ただ、取り戻せばいい。

 煌くネオンを見下ろしながら、青年は軽蔑するような笑みを浮かべていた。

 間違って作り出された世界。
 与えられた地を蝕み、己の欲望に支配され、自ら滅びの道に進み始めていることにも気づかない愚かな奴ら。たとえ気づいても、どうかする力も持っていない下等な生物たちの住処。

「君がいる場所には似つかわしくない。我が儘は、もう終わりだよ」
 時間は十分与えたはずだ。意図的ではないけれど、見つけ出す間にもう自由は堪能しただろう。これ以上、この誤った世界に身を置いて魂が穢れてしまうのは避けたい。早々に連れ戻し、これまでの間で穢れた部分を浄化させる必要があった。
「 ―――― ッ!!!!」
 不意に右腕に痛みが走る。
 訝ってそこに手をやると、治したはずの傷からぬるりとした感触が流れているのに気づいた。
 治癒したはずなのに……。

「堕天使になっても、力はかわらずか……。まったく兄弟そろって邪魔な奴らだね」
 だが、相手は自分よりも傷を受けているだろう。
 しばらくは余計な介入はできないはずだ。そう。そして、こちらには手駒がある。

「 ――― 首座サマ。接触してきた男女を発見致しました」
 ふと、青年の背後から声がする。

「男女?」
 ピクリ、と秀麗な眉が動く。
(やはり……、一緒だったか。)
 青年は深くため息をついた。
 だが、すぐになにか面白いことでも思いついたようにクスリ、と笑った。
「それなりのお仕置きは覚悟してもらわないとね」
 それから連れ戻って、神の元で婚儀を行うのも悪くない。

「首座サマ?」
 一人呟く声に、探るような声がかかる。

「メイフェル ――― といったね?」
「あ、はっ、はい!!」

 敬愛してやまない首座に名前を呼ばれたことに、彼は慌てて返事をする。その表情には、嬉しさが隠しきれない様子で浮かんでいた。

「他の部下は頼りない。だからこそ、君に一緒に来てもらったんだが……。私の役に立ってもらえるね?」
 それは問い、というよりは、確認。『否』と言えないことがわかっていての ―――― 。
 だが、メイフェルと呼ばれた彼は青年の思惑には気づかずに笑顔で頷いた。

「もちろんです!」
 それを聞くと同時に、青年の背中から、白い……。真っ白い羽根が現れた。
「ありがとう」
 そう言った青年の顔には、酷薄な笑みが浮かんでいた。



 暗闇が支配する細い路地に、数人の少年たちが倒れていた。
「……ぐはっ、」
 またひとりの少年がコンクリートに叩きつけられる。息を整える間もなく腹を足で踏みつけられた。
「て、てめぇ…!」
「威勢がいいのは結構だね。そうでないと飼いならす意味がない」
 少年を踏みつける青年はくすくす、と楽しそうな笑みを零しながら言う。ぐっ、と力が込められる。少年は蚊の鳴くような悲鳴しか上げられなかった。

「ああ、いい鳴き声だ。虫けらには相応しいな。とは言っても、勘違いしないで欲しいんだけどね」
 青年はひとり、楽しそうに言葉を紡ぐ。
「私は君たちに感謝してるんだよ。おかげで彼女を見つけることができた」

 彼女 ――― ?
 彼が答えにたどりつく前に、青年は嬉しそうに続けた。

「だから、ご褒美を用意したよ」
 そう言って、不意に右腕を動かした。
 なにもなかったそこに、金の杯が現れる。青年はそれに口付けた。杯をわずかに傾け、中身をほんの少し口に含む。

「ふむ。これがなにかわかるかい? 天使の羽根をむしりとったあとにその背中から流れ出る純粋な血さ。まして、私に強い忠誠を誓っていた者のだからね。最高の味わいだよ」

 天使?
 羽根をむしりとる?
 わけがわからない。だが、震えが止まらないほどの恐怖を少年は感じていた。

 そんな少年になおも青年は言う。

「これを飲むと、君たちは身も心も私に捧げたくなる。ちょっとした余興だ。思う存分、私の役に立ってくれたまえ」
「ぐぁ…っ!!!」

 青年は、少年の腹を踏みつけていた足に力を加え、彼が悲鳴を上げた瞬間。杯を傾けた。
 数滴が彼の口の中に入り込む。

 青年はそれを愉しそうに眺めていた。



◆――◆


"ハジメマシテ、"

 そう言って優しい微笑みとともに手を差し伸べてくれた。
 あれは誰だったろう。

『私は君を育てるよう、神から遣わされたものだよ』
『……カミ?』
 首を傾げると、彼はそっと私をその腕で抱き上げて答えてくれた。
『君を生みだした御方だ。とてもね。偉大な方なんだ』
 瞳に宿る尊敬の光が、幼いながらもわかった。
 そうして、私に向けられる優しい眼差しに、とてもくすぐったい想いを抱いたことも。

『私の名はアレクシエル。仲良くしよう』
 そうだった。あのときの私には、彼だけが全てだった。

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