第二節.巡りし者たち(2)
 セラ様がどこにいるのか……。
 ウリエルは手にしているカップを心持ち軽く上げてそう呟くと、淹れたての紅茶を口に含んだ。

「わからないんですか?!」

 テーブルを挟んで正面に座っている聖は、身体を乗り出して真剣な眼差しを向けて訊く。
 その表情には少なからずとも、苛立ちが見えた。
 けれど、対照的にウリエルはのんびりとした口調で答える。

「わかりませんねぇ。知っていれば、すでにお連れしていますよ」

 にっこりと微笑まれて、聖はその言葉が真実か嘘か見抜くことはできなかった。
 不満そうに口を噤む。
 それを横目で見ながら、彼の隣に座っていたラジエルが言った。

「上級クラスの天使たちは気配を消すことができる。ガブリエル様の加護を受けているセラ様も同様に。そうなると、この広い天上球で見つけることは難しい話しですね」

 彼は肩を竦めて、ウリエルが淹れてくれた紅茶をおいしそうに飲んだ。

 聖は悔しそうに唇をかみ締める。
 それでも俺は ――― 世羅に会いたい。
 傍にいって、守ってやりたい。この腕に抱き締めたいんだ。

 そんな聖の想いに気づくことなく、ウリエルはラジエルの言葉に頷いた。

「それにまして、セラ様本人が天界に戻って来ていることを知られたくないと思っていれば、尚更……、探すのは困難ですねぇ」

「方法がないわけじゃないぜ?」

 テーブルに座っていた彼らとは違う声が響いた。

「先輩っ!」

 扉に寄りかかっている見知った顔を見つけて、聖は椅子から立ち上がった。ルシファーは軽く手を上げ、それに応じる。

「よぉ。みんなでお茶会なんて、優雅だねぇ」

 皮肉混じりの言葉に、ウリエルは落ち着き払った態度で紅茶を口に含むと、ゆっくり飲み込んでから言った。

「……貴方を待っていたんですよ。ずいぶん、ゆっくりでしたね?」
「まぁな。俺も忙しい身なんだ」

 どこかぶっきらぼうに答えて、ルシファーは空いていた椅子を引くと乱暴に腰掛け、足を組んだ。

「ミカエル様に殺されてたんじゃなかったのか……」
 聞こえよがしにそう呟いて、ラジエルはカップに口をつけた。

 途端、中に入っていた紅茶の液体が「パシャッ!」と、音を立てて跳ね上がり、彼の顔にかかった。

「うわっ!」

「口の利き方に気を付けな。おぼっちゃま」

 ふんっ、と鼻で笑って、ルシファーはそっぽを向いた。

「おやめなさい、二人とも。そんな子供じみたことをしている場合ではないでしょう?」

 今にも射殺してしまいそうな視線をルシファーに向けているラジエルを優しい口調で。けれど有無を言わせない威厳を持って、ウリエルは諌めた。

「そうだっ、先輩! 方法って?!」

 我に返ったようにルシファーが口にした言葉を思い出して、聖が聞いた。

「ん? ああ……、あいつはガブリエルを救うために天界に戻ったんだ。それならガブリエルを探し出せば、姿を見せるだろ?」

「単純」

 ラジエルが横を向いて、口を尖らしぼそりと言った。「ラジィー君」、とウリエルは注意してルシファーの提案に頷いた。

「恐らく、その方法が手っ取り早いでしょうね」
「でも、行方不明のガブリエル様をどうやって探し出すんです?」

 すかさずラジエルが尋ねる。
 だが、なんでもないような口調でウリエルが言った。

「彼女は自分の城にいるでしょう。行方不明のガブリエルに代わって、バービエルが彼女の領域を治めてるとはいえ、長い間の主の不在は領域になんらかの破綻が起きます。それがないということは ―――― 」

「そーだな。城のどこかに監禁されてる、っつーことだ」

 ルシファーは後をついで答えながら、椅子から立ち上がる。
 とたん、ウリエルが厳しい声で彼の名前を呼んだ。

「ルシファー、話しがあります」

 面倒臭そうにルシファーは彼の方に視線を向けたが、ウリエルが珍しくも真剣な雰囲気を放っていることに気づいた。

「ふたりでか?」
「ええ。あちらの部屋に行きましょう。ラジィー君と、聖君はここで待っていて下さい」

 そう言うと、彼らに背を向けて部屋を出て行く。
 ルシファーは「あとでな」と、心配そうな表情で見ていた聖に告げると、ウリエルの後をついて行った。




 パタン、と扉を閉める音が響いた後、ウリエルは振り向き様に訊いた。

「貴方は聖君に対して、どれだけのことを知っているんですか?」

 その言葉に、ルシファーは一瞬ぎくりと身を強張らせたがすぐに平然とした口調で聞き返した。

「どういう意味だ?」
「質問の内容を変えましょう。聖君は人間ではありませんね」

 サングラスで見えない瞳が煌いたように、ルシファーには思えた。

「……さすがだな」

 肩を竦めて、面白そうに彼は言う。

「瞳が見えない天使様には嘘や誤魔化しは通じないってか。その通りだよ」

 ルシファーは降参したように答えて、ウリエルに近づくとその瞳にかかっているサングラスを取った。
 色のない瞳は、なにもうつさないことを意味していて。

「そうですね。確かに瞳が見えなくなって、いろんなものが見えるようになりました」
 クスリ、と自嘲気味に笑ってウリエルはルシファーの手からサングラスを取り返し、また同じようにかけた。

「私のことはそれこそどうでもいいでしょう。私にはあの聖、という方が不吉なものに思えてなりません」
 わずかに震える声で、ウリエルが言った。

「不吉なもの? あいつが? お前も言うねぇ」

 クッ、クッ。と、ルシファーはウリエルの言葉をセラの恋人に対する嫉妬だと思って、可笑しそうに笑った。

「人間ではない、ということにかわりはないでしょう。そうして、天使でも魔族でもありませんね?」

「……ウリエル」

 ルシファーは視線を逸らしてスッ、と目蓋を閉じる。ウリエルは次に彼が口を開くのを黙って待った。
 気まずい空気を振り払うように目を開けると、漆黒の瞳でまっすぐとウリエルを見据える。

「詮索しても無駄だぜ?」

 皮肉めいた口調で告げるルシファーからそれ以上聞くことを無理だと感じたのか、かわりにウリエルはため息をついた。

「まあ、このことは置いときましょう。それより、どうするんです?」

 不意に話しをかえられたルシファーは聞かれた言葉の意味がわからず、眉を顰める。

「ガブリエルのことですよ。乗り込むのはいいとしても、聖君もお連れするつもりですか?」
「それは無理だろうな」

 肩を竦めてすぐに応えると、ルシファーは続けて言った。

「バービエルは上級天使じゃない。とはいえ、人間の気配くらい気づくだろう。あいつを連れてくとなにかと不便になるんだよ」

 バービエルに気づかれたら、セラに会う前に追い出される。
 ウリエルは彼が次の言葉を口にする前に頷いた。

「わかりました。もうしばらくお預かりしましょう」

 それを聞いてルシファーはにやり、と意地の悪い笑みを見せた。
 その気配を察したのか、ウリエルは首を傾ける。

「ずいぶん、物分りがよくなったじゃねぇか」

 からかうような言葉に、ウリエルは真剣な表情でこたえた。

「不本意ですが、セラ様がここにいらっしゃって下さるのなら、私はどんなことでもしますよ」

「そんなにあいつに会いたいのか?」

 呆れたように問われて、ウリエルは寂しそうに笑った。
 まるで自嘲するように。

「嫌われていても、ですか。私たち天使は、いえ。少なくとも私にとって想いを過去にするということは難しいんです」

 ルシファーはなにも言えなかった。

 ウリエルの言葉が知らず、自らに重なる。
 感傷的になるなど、自分らしくない。
 それでも、そのために動いているというのは、どうしようもない事実だった。

「ルシファー?」

 不意に黙った彼を訝るようにウリエルが呼ぶ。

「あ、ああ。なんでもない。それより……」
「聖君には黙って行かれたほうがいいと思いますよ。会えば絶対に連れて行け、と言われるでしょうからね」

 心得ているようにウリエルが言った。

 相変わらず察しがいい奴。
 そう思いながら、ルシファーは「そうだな」と頷いた。

「次に会うときは、セラ様同伴でお願いしますよ」

 くすり、とウリエルは笑みを浮かべた。

 一瞬、嫌そうな顔をしたが、すぐにふんっ、と鼻で笑うとルシファーは一言。

「約束はできねぇぜ」
 そう告げて、姿を消した。




「行ったんですか?」
 ルシファーと入れ違いに、扉が開いてラジエルが姿を見せた。

「立ち聞きはあまりお勧めできませんよ。ラジィー君?」
「ベッ、別にぼ、僕は……そんなつもりは……」

 慌てて否定しようとする彼に、苦笑を浮かべてウリエルは言った。

「冗談ですよ。聖君に急かされて私たちを呼びに来たんでしょう?」

 すると、バツが悪そうにラジエルは俯く。

「勝手にウリエル様の城を歩かせるわけにはいかないと思って、僕が呼んでくるって言ったんですよ」

「賢明な判断ですね」

 そう言うとウリエルは不意に白い封筒を宙から取り出して、ラジエルに差し出した。

「ついでといってはなんですが、これを首座に届けてきてくれませんか?」

 その封筒を不満そうにじっ、と見つめるラジエルに気づいて、ウリエルはそれをひらひらとさせながら、更に言う。

「貴方が首座を苦手なのは知っていますが、お願いします」

 ラジエルは頷く代わりにため息をついた。
 おもむろに封筒を受け取ると、「行って来ます」ぼそり、と呟いて部屋を出て行った。

 ひとり残ったウリエルはサングラスを軽く押し上げて、かけなおす。

「さてと。聖君をどうやって説得しましょうかね」
 言葉とは裏腹に、その口調はどこか楽しそうだった。

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