第二節.巡りし者たち(3)
 ふぅ……。
 ラファエルは胸に手を当てて、大きく深呼吸を繰り返した。

 この扉の先に、セラちゃんがいる。
 そう思うだけで、心拍数が上がっていく。

 緊張して、まるで初恋をしている少年のようになってしまう様を情けない、と嘲笑う自分がいるのを感じるが、それでもいつものように感情をコントロールすることはできなかった。

 仕方がない、ラファエルが覚悟を決め、思いきって扉を開けようとした途端、不意に内側から引かれる。

「ラファエル! いー加減にしろよ?!」

 同時に苛立ちを露わにした怒鳴り声が、ラファエルの耳に飛び込んできた。

「ミカちゃん……?」

 突然のことでさすがにラファエルも戸惑いを隠しきれないまま、目の前で眉を吊り上げて赤い瞳を怒りに燃え上がらせている親友の名前を口にする。

 けれど、ミカエルはそんな彼にはお構いなしとばかりに、不機嫌な表情で続けた。

「気配でわかんだから、さっさと入ってこいよ! 扉の前で5分ももじもじしてんじゃねぇ!」

「……悪かったね。別に僕は……」

 口の悪いミカエルには慣れているものの、自分のことを言われたラファエルはわずかにムッ、とした表情で弁解しようとしたが、別の声に遮られた。

「ラフィー君!!!!!」

 呼ばれてラファエルが視線を向けると、そこには薄いブラウンの髪と淡いブルーの瞳を持つ少女が嬉しそうに駆け寄ってくる姿があった。

 見知らぬ少女 ――― だが「ラフィー君」という独特の呼び方は間違えようもなくセラのもの。

 この天上球で彼をそう呼べるのは、彼女しかいない。

 目を見開いて、ラファエルは彼女を見つめた。

「ほんとに……セラちゃん?」

「あは。そうだけど、そんなに見違えちゃった?」

 じっ、と見つめられて、セラは照れたように笑った。

 気配は隠しているけれど、こんなに近くにいればわかる。
 ガブリエルの加護こそあるものの、それは、明らかに人間のものだ。
 姿も、以前とはまったく変わっている。だがラファエルには、彼女の笑顔や仕草。ころころと変わる表情が、あの頃の面影と重なる。

「かわらない。姿が変わっても、セラちゃんはかわらないよ。しいていえば、」

 光にかざせば金色とも見間違う髪を一房、手にとってラファエルは蕩けるような笑みを浮かべた。

「もっと、可愛くなった」

 その笑顔はミカエルに、(ここに女官でもいたら、全滅だな)と思わせるほど、甘いものだった。

「ありがとう、ラフィー君も変わってないね。ミカちゃんが言った通り」

 嬉しそうな笑顔を浮かべて、セラは言った。

 ほんの少しでも照れてくれることを期待したラファエルは、がっくりと肩を落としたが、すぐに彼女の後ろにいるミカエルに「なにを言ったんだ?!」と疑惑に満ちた視線をこっそりとむける。

 ミカエルは瞳をあらぬほうに向けて、気づかないフリをしていた。

「そだ。ねぇ、ラフィー君! 来たばっかりで悪いんだけど、なにか情報あった?!」

 セラは切羽詰った表情で問い詰める。
 不意に間近に迫った彼女の顔に、ラファエルは言葉を失った。

 抱き締めたい。

 そんな想いが浮かぶ。
 理性と感情が揺らぐ中で、ラファエルは思わず彼女の肩を掴んだ。

「……ラフィー君?」

 突然の行動にわけがわからず、セラは首を傾ける。
 その表情で、ラファエルは理性がパチン、と音を立てて弾けたような気がした。

 彼女の顎を軽く持ち上げ、素早く唇を重ねようとした瞬間。

「オメーの理性は、5秒ともたねぇのか?! この女ったらし!!!」

 セラを押し退けて、あっぷになったのは怒りに満ちたミカエルの顔だった。

「…………ミカちゃん」

 邪魔をされたラファエルは、しかし別段がっかりした風を見せることなく彼を呼ぶ。

「あん?」
「嫉妬してるなら素直にそう言えばいいんだよ。僕はキスなら別にミカちゃんでも……」
 今度はミカエルの肩を掴む。

「な! なにいってんだ??! おい、ラファエル! 離せっ?!」

 ゆっくりと落ちてくるラファエルの顔に、ミカエルは慌てふためき、真っ青になって叫んだ。

「は・な・せ――――――!!!!」

 必死になって抵抗するミカエルの耳に、くすくすと笑い声が聞こえる。

「セラ! お前も笑ってないで、こいつを何とかしろよ?!」

「そこまで嫌がられると、繊細な僕の心は非常に傷つくんだけどね……」

 パッ、とミカエルを放してラファエルは笑みを堪えながら真剣な表情で言った。
 自由になったミカエルは慌てて彼から離れる。

「オマエが繊細な心なんか持ってるわけねーだろが! からかってんじゃねぇよ!」

 呆れたように、それでも今だ警戒心を解くことなくミカエルは言う。

「セラちゃんに余計なことを吹き込んだお返しだよ。まあ、ちょっとは本気だったけど」

 クスリ、と笑って、ウィンクをミカエルに投げかける。
 一気に寒気に襲われたミカエルは激しく首を横に振った。

「じょーだんじゃねぇぞ! ―― ったく!」

 呆れたようにそっぽを向いた。
 そこには笑いを抑えようとしているセラがいて、ミカエルはムッ、となって言った。

「いつまで笑ってんだよ?!」
「だっ、だって……。ほんと、ふたりとも変わらないんだもん!」

 涙目を拭きながら、セラは言う。

 懐かしい気持ちに捕らわれる。
 どんなに時間が流れても、このふたりだけはかわらないままで。それがなぜか、彼女には嬉しかった。

「でも、ラフィー君……。話し誤魔化そうとしてるでしょ?」

 ふと、セラは真面目な顔になって言った。
 まっすぐとした視線を向けられて数秒。ラファエルは観念したように肩をすくめる。

「別にね、誤魔化そうとしたわけじゃないよ。僕はいつでも本気」
「ラフィー君っ!!」

 ラファエルの言葉を遮って、セラはきつい視線を送る。
 見れば、ミカエルも厳しい顔つきで彼を見ていた。

「わかった、わかりましたよ。感動の再会はここまでにしとくって。情報ね。ちゃーんともってきたよ」
 降参するように軽く両手を上げて言うと、ラファエルは近くにあった椅子に座った。足を組み、深刻な口調で話し出した。
「ガブリエルの居場所についてだけど、どうやら彼女の城にある地下が怪しいね」
「地下?」

 彼女の城の内部を思い浮かべながら、セラは聞き返す。

「バービエルが治めるようになってから、地下は出入り禁止になって結界が張られたらしいからね。まず間違いないと思うよ」
 ラファエルは頷いて、そう付け加えた。けれど、それを聞いたミカエルが眉を顰める。
「ずいぶん、いかにもってトコにいるんだな。罠じゃねぇのか?」

 地下を出入り禁止にした上に、結界を張っているなど。ガブリエルはここに居ます、って宣伝してるようなものだ。
 そんなことをあのバービエルやアレクシエルがするだろうか。

 ラファエルも確かにミカエルと同じことを思った。
 だが、他に彼女が隠されているような場所もなく、情報もない。それなら判断は彼女自身に任せよう、そう考えた。

「セラちゃん、どうする? 罠かもしれないけど、行く?」

 ラファエルの問いに、セラは俯いた。
 罠かもしれない ――― ?
 それはアレクシエルがガブリエルのことを口にした時からわかってた。それでも助けるために来たのだから。

「行く ―― 行ってくるわ」

「ガブリエルを救い出せれば、彼女を監禁していた罪でバービエルとアレクシエルに責を問えるかもしれないよ」

 ラファエルの言葉に、ミカエルが反応する。

「おい! ンなことになったら天界が揺れるぜ?!」
「いいんじゃないの? 案外それで、狂った歯車を元に戻せるかもしれないしね」

 どこか楽しそうに言うラファエルに呆れたような表情で、ミカエルは「それもそーかもな」とばかりに肩を竦めた。

 そんな彼らをよそに、セラは決意のこもった瞳で言う。

「私、ひとりで行くね。ラフィー君たちには迷惑かけられない」

 ラファエルはにっこりと笑った。

「結果的にはひとりで行った方がいいと思うけど、迷惑うんぬんなら気にしないでいいよ。僕は僕の意志でしてるんだから」

 オレもだ、とミカエルが頷く。

 セラは嬉しそうに笑顔を浮かべた。

「ま、まあ、僕達も一緒に行ったら明らかにばれるからね。外からフォロー入れとくよ。それと ――― 」

 ラファエルは彼女の笑顔に動揺しながら、そう言うとポケットから小さな入れ物を取り出し、そこから一粒の白いカプセルを手の平に出した。

「なに、それ?」
「セラちゃんの気配を完璧に消す薬。効用は1時間くらい、かな」

 そっとセラの手に渡す。
 ありがとう、彼女はそう言って受け取り、一気に飲んだ。

「……これでいい?」

 効果はすぐに現れる。
 わずかに感じ取れたセラの人間としての気配も、ガブリエルの加護の気配も消えてしまった。

「完璧。さて、ガブリエルの城まで送るよ」

 ラファエルは彼女の額に触れて、指先に力をこめる。

「ガブリエルを頼んだぜ?」

 ふと、ミカエルが言った。セラはうん、と頷いた。
 その瞬間、ラファエルの指先から力が放出して光がセラを包み込んだ。

「 ――― 気をつけて」

 ラファエルがそう言うと同時に、光とともにセラの姿は消えてしまった。


 セラの姿がなくなると、ミカエルは安堵に息をついたラファエルに声をかける。

「これから、どうする?」

 振り向いて、彼はくすっ、と笑みを零した。

「ミカちゃんらしからぬ言葉だね。いつも言ってるじゃない。なるよーになるんだって」

 からかうような口調に、ミカエルはそっぽを向く。

「オレは考えることが苦手だからな」
「僕はね、ミカちゃんさえ傍にいてくれればどうなってもいいと思ってるから」

 視線を向ければラファエルがわりと真面目な表情をしているのを見つけて、ミカエルは心底嫌そうな顔をした。

「なに寒気がするようなこと言ってンだよ?!」

 ふふん。とラファエルは得意げに笑う。

「僕の相手はミカちゃんじゃないとつとまらないって言ってるんだよ」
「 ――― っ、勝手に言ってろ!」

 吐き捨てるように言うと、ミカエルは部屋を出て行く。
 ラファエルも楽しそうに笑いながら、彼の後を追いかけていった。




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