第二節.巡りし者たち(4)
 ―――― 私も連れて行ってください。
 天界をあとにする時、そう言っていた彼女の姿を思い出す。

 気高く、優しい。水の守護天使、ガブリエル。
 親友だった。
 振り払った手に、彼女はそれでも守護することを約束してくれた。

 ガブリエルを連れて行かなかったことを後悔するつもりはないけれど……。

 セラは手の平にある白い羽根をそっと、握る。
 絶対に助けるから。

 もう一度、そう心に決めると、セラは目の前にあるガブリエルの城を見据えた。
 昔は開放されていた正門も今は厳しそうな警備兵がついている。

 (バービエルの私兵……?)

 少なくとも、セラは彼らを見たことがなかった。
 正門から離れている柱から様子を覗う。
 ガブリエルの城は開放されている代わりに、入れるのはこの正門しかない。
 ラフィー君。外からフォローするって言ってたけど……。

「貴女がラファエル様の言ってらした方?」

 不意に背後からセラに声がかかった。
 慌てて身構える。

「だれ…っ?!」

 アレクシエルかバービエルの部下に見つかったのかと思った。
 けれど、予想に反してそこにいたのは女官の姿をしたひとりの女性だった。

「ふーん。顔はまあまあね。スタイルも ―― 平均ってところかしら?」

 じろじろと、セラの上から下まで見ると一人そう言ってパッ、と歩き出した。

「あ、あの……?」

「さっさとついてらっしゃいな。女官見習いなんでしょ? ラファエル様からの紹介だっていうから、この私がしっかり面倒見て差し上げるわ」

 戸惑うセラに彼女は得意げに笑って言った。

 ……女官見習い?ラフィー君からの紹介?
 セラは彼女の言葉を繰り返す。

 (そういうこと……!)
 閃くと、セラは急いで彼女のあとを追った。


 女官見習いとして城に入り込むことができたセラは、次々と言い渡される仕事の合間をぬって、地下室へ続く階段に辿り着いた。

 階段を下りきると長い廊下があり、その先にひとつ部屋がある。

 そこにはガブリエルの育てた花が多種多様に咲き乱れていて、その光景は、彼女の優しさ、美しさ。気高さが溢れていて、見るだけで心が和んだ。

 (そーいえば、よく隠れたりしてたっけ。)

 勉強が嫌で逃げ出したり……。
 ひとりになりたいとき、こっそり来てみたり……。
 そんなときでもガブリエルは私を見つけて、優しく包んでくれた。

 目蓋を閉じれば、彼女の笑顔が浮かぶ。

 懐かしい想いに捕らわれて ―――― ふと、廊下を歩いていたセラは妙な気配を感じて、足を止めた。

 結界……か。

 ラファエルの言葉が脳裏をよぎる。
 地下は出入り禁止になって、結界が張られている、と。

 気配はとりあえず、ラフィー君の薬で消えてると思うけど。結界にも効力があるかはわからない。
 けれど、セラには迷っている時間がなかった。

 なるよーになれ、よ。

 そう覚悟して、結界の中に足を踏み入れようとした途端、いきなり背後から左腕を強く掴まれた。

「 ―――― !」

 咄嗟に振り払おうとしたが、つかんできた手はピクリとも動かない。

「離し…っ、ルシファー?!」
「まったく。相変わらず無茶する奴だぜ、お前は」

 見上げた視線の先に、ルシファーを見つけてセラは目を瞠った。

「なっ、なんで……、ここに?」

 思わず口から出た言葉に、ルシファーは呆れた表情で答える。

「探しに来たに決まってるだろーが。いきなりいなくなったと思ったら、こんな所でいったいお前はなにをしてるわけ?」

「な、なにって、ガブリエルを……」

 彼の口調にムッとしながら言う。
 そんなセラに明らかに聞こえるような大きなため息をついて、ルシファーは結界を顎で示す。

「あれがあるってわかっててか?」

 セラは小さく頷く。

「結界には気づいたけど、でも! ラフィー君からもらった薬で気配も消したし。もしかしたら、結界も気づかれないで通れるかなって」

「ラファエルの薬?」

 彼女の言葉に引っ掛かって、ルシファーは改めてセラを見る。

「ああ、なるほど。ここを張っててよかったぜ。気配を追ってたら、アウトだったな」

 ぼそり、と彼は呟いた。
 だが ―― と、続ける。

「どっちにしてもあの結界には、役立たずの代物だ」
「どういう意味?」
 セラは視線を結界に戻して、訊ねる。
「わからねぇのか? あれは偽物の結界で、気配があろうがなかろうが反応しねぇってことだ」

 その言葉にセラは息を呑んだ。
 驚きながらも、結界を隅々まで見る。

 確かにルシファーの言う通り、結界の形には作られているものの、動いてる感じはしなかった。

 それなら、迷う必要もない。
 セラは一気に駆け出した。

「おい! 待て、セラっ!!!」
 ルシファーは慌てて彼女の後を追った。
 (あのばか!)
 思わず舌打ちする。
 偽物の結界など、妙なものが張られている以上、その先に罠があるかもしれないってことくらい、わかりそうなものだが。
 どうやら今の彼女には考えるという回路が切れているらしい。

「ガブリエルっ!!」

 ばんっ、と大きな音を立てて、セラは走ってきた勢いのまま扉を開いた。

『セラ様……』

 扉を開けた瞬間、彼女はフッ、と優しい笑みを浮かべて迎えてくれるガブリエルを目にしたような気がした。

 だが、実際にセラを迎えたのはつん、とした異様な匂い。

「なに……これ……?」

 目の前に広がる光景に、セラは唖然とした。

「枯れ花の腐った臭い、か。たまらねぇな」

 追いついてきたルシファーは苦笑いを浮かべる。

 鮮やかに色づいていた花たちは全て、腐蝕していた。セラは愕然としながら、その中に佇むひとりの女性を見つけた。

「ガブリエルっ!」

 薄いブルーの髪は長くウェーブがかかっていて、髪よりは濃い色をした瞳。ほっそりとした肢体は「美」が兼ね揃えられている。

 セラが探していた姿……。

 でもそこには想像していたような彼女の優しい笑顔はなかった。

「……ガブリエル?」

 恐る恐る呼びかける。近寄ろうとして、ルシファーに止められた。

「待て、様子が変だぜ?」
「セラよ! ガブリエル!! 戻ってきたんだよ?!」

 ルシファーを振りきって、セラは彼女のもとに駆け寄ろうとした。

「待てって!」

 離れようとした彼女の腕を反射的につかんで制止する。
 セラは振り向いて、ルシファーを睨み付けた。

「離して! ガブリエルの傍に行くだけよ!」
「だからそれが……」

 罠かもしれねぇだろう!
 そう口にしようとした彼の言葉は遮られた。

「セラ様……?」

 ハッ、と声のした方を向けば、ガブリエルがぼんやりとしている目をセラに向けていた。
 その瞳に生気は見られない。けれど、セラは嬉しそうに言った。

「そう……、セラよ! ガブリエル! わかるの?!」

「セラ様……」

 ガブリエルは繰り返し、彼女の名前を呟いた。
 不意にふわり、と笑顔を浮かべる。

 懐かしいその優しさに溢れた表情にセラがホッ、とした途端。
 突然、ガブリエルの手に剣が現れた。

「おい、セラ!」

 剣を構えると、彼女は瞳を閉じて呪文を紡ぎはじめる。
 その言葉を聞いたセラとルシファーは顔から血の気が引くのを感じた。

「本気か?! いくらなんでもその術はマズイだろ!」
「ガブリエル、やめて!! ここでそれを使ったら……!」

 しかし、二人の制止は届かなかった。

「セラっ!」

 呪文が終わる前に、ルシファーは彼女を腕の中に抱き寄せた。

「離してっ! 私はガブリエルをっ!!!」
「だめだ! 跳ぶぞ!」

 ガブリエルのもとに行こうと暴れる彼女を抑えつけて、ルシファーは言うよりも早く、空間を移動する。

 一瞬後に、呪文を終えたガブリエルの手にしている剣から、彼女の瞳と同じ色の光が溢れ出す。
 それは次第に大きくなり、彼女の城を……、領域全体を包み込んで爆発した。

「いやぁ ―――――― っ!!!!!」

 爆発の気配と、多くの命の消滅を感じたセラは空間の狭間で絶叫する。
 ルシファーはそんな彼女を強く抱きしめた。

「セラっ、大丈夫だ! あの術はガブリエル本人には効かない。彼女は生きてる!」

「でも……、でも!!!」

 あの爆発で領域にいただろう大勢の天使たちが、犠牲になったはず。
 命を大切に想っていたガブリエルが。誰よりも優しかった彼女が、領域を破壊してたくさんの命を奪った。

 その現実が信じられない……。

「ガブリエルは……正気じゃなかった……」

 彼女の表情を思い出して、セラは呟く。

「ああ、アレクシエルに操られてたんだろう。お前が現れたら、彼女が術を使うように罠を仕掛けてたんだ」

「なんのために?! なんでわざわざ領域を! 城を破壊しなきゃならなかったのよ?! 私を……捕まえるだけなら、そんなの……必要ないじゃない!」

 瞳を涙で濡らしながら、ルシファーの腕の中でセラは叫んだ。

 ――――― 必要があったんだろ。

 言葉にはせずに、泣きじゃくる彼女を抱き締めた腕に力を入れて、彼は心で思った。
 視線を宙に向ける。

 アレクシエル……。おまえはそこまで狂っちまったのか?


 問いかけるルシファーに応えるものはいなかった。



Index】【Next