第一節. 捕らわれし者たち(5)
 身体の中を突き抜ける恐怖。
 思い出したくない過去が心を支配する。

『セラは、私のものだよ ――――』

 アレクシエルの言った言葉が脳裏に浮かぶ。

 何度も何度も……、気が狂うくらい否定してきた事実。
 なにを思い出したとしても、あのことだけは忘れていたかった……。
 こみあげてくるものを感じているセラの頭にぽんっ、と手が置かれた。

「……大丈夫か?」
 ルシファーの気遣うような声。
「うん、へいき」
 それだけを何とか返して、セラは裁判へと意識を戻した。

 ルシファーは真っ青な彼女を横目に見て、聞かれないようため息をつく。
 無理をしているのは明らかだった。

「罪深き天使、ガブリエルをここへ ―――― 」

 アレクシエルの声が響く。
 その言葉と同時に、奥の扉が開いて衛兵二人に腕を取られたガブリエルが姿を見せた。

「!」

 現れた彼女の姿にアレクシエルと数人の衛兵以外、全てが息を呑む。

 ぐったりと力なく、うつろな瞳は生気もない。立つ気力も奪われているのか、ずるずると引きづられている。
 これがあの、美しさと気高さ。優しさを兼ねそろえていた水の守護天使の姿なのだろうか、と誰もが自分の目を疑った。

 (……どうして、ガブリエルがこんな目に!)

 悔しさにセラは掌を強く握り締める。
 今すぐ助けたい衝動を必死に抑えていた。

「セラちゃん……。頼むから考えて動いてくれよ」
「ああ。今向かったら、アレクシエルの思うツボだぜ」

 珍しくルシファーとミカエルが同じ意見を口にする。
 わかってる、と答える代わりに、セラは頷いた。

 アレクシエルの前に連れられたガブリエルは跪かされた。両手、両足には枷がつけられている。ちゃりん、と重たそうな鎖が鳴った。

「さて、ガブリエル。貴女は守護天使という立場にありながら、領域を無責任にも放り出して行方をくらませていたばかりか、後任の代理についたバービエルに嫉妬し、あげくは領域の破壊に及んだ。それに間違いはないか?」

 アレクシエルの言葉に、けれどガブリエルはただうつろに視線を彷徨わせるだけだった。

 自分がどこにいるのか、なにが起こっているのか……。
 わかってはいないのだろう。

 けれど、周囲の者たちには、ガブリエルが自らの罪深さに項垂れているだけのように見えた。

 もちろん、セラたちを除いて ―――― 。

「その所為で、たくさんの同胞たちが命を失った。お前を慕っていた者たちもだ!」
 叱り付けるように、アレクシエルが言った。

 怒りに震えている彼に、天使たちは自らの感情を重ねる。
 失った者には、恋人もいた。友達もいた。家族もいたのだ。
 非難がガブリエルに集中する。
 軽蔑と侮蔑。憎悪を浴びせられる彼女の姿に、セラは今にも泣きそうな声で呟いた。

「ちがう……。ガブリエルの所為じゃないのに……っ」
 責任があるとすれば、私……。

 そんな想いを読み取って、ルシファーは口を開いた。

「それこそ間違いだ。ガブリエルは操られてた。責任があるとすれば、彼女を操り、罠を仕掛けた方だ」

 彼の視線はまっすぐとアレクシエルの方を見ていた。

 その瞳には何の感情も浮かんでいない。含む感情を表せば、気づかれるからだろう。
 完璧に消しながらも、本当は今にも殺し引き裂いてやりたいという想いが確かに心の奥にはあった。

 あのことだけを引き合いにすれば。

「だが ――― 」

 ふと、ルシファーは言いかけて、自分を訝るように見ているセラとミカエルの視線に慌てて口を噤む。

「いや、まぁいいさ」

 ひらひらと小さく手を振る。
 追求しようとしたミカエルは、けれど下から響く声に遮られた。

「言い訳もなし、か……。水の守護天使、ガブリエル! 罪状を申し渡す! 天使の証である翼の処分と560年の牢への封印とするっ!!」

 アレクシエルの言葉に、周囲にいる天使たちがざわめき始める。
 言い渡された罰に、ミカエルは息を呑んだ。

「…………翼の処分……」

 セラが呻く様に言う。

 一度だけ、見たことがある。天使の翼をもぎ取られるその姿 ――― 。
 脳裏に浮かぶ。
 それは苦しみにもがき、行く果ては狂気と絶望……。
 天上球裁判の中で、もっとも重い罰。

「尚、翼の処分は今ここで行う。処刑執行者、ここへ!」

 更に続くアレクシエルの声。

 すでに用意をされてあったのか、彼の声を合図に仮面をつけた天使たちがガブリエルの傍に歩み寄り背後に回る。

 セラはその様子を呆然と見ていた。

 ガブリエルの笑顔が鮮やかに脳裏に蘇る。
 いつも自分を見守ってくれた心優しい天使。親友という言葉でさえ、足りないくらいの ――― 。

 セラの瞳に、項垂れたままぴくりとも動くことがないガブリエルの白い翼に手がかかるのが見えた。その瞬間、セラは無意識に声を上げていた。

「ちょっと待ちなさいよっ!!!」

 そんな言葉とともに、2階の手摺を飛び越えて、ガブリエルの傍に駆け寄る。
 彼女の行動に、ミカエルとルシファーはそろってため息をついた。

「「あのばか……」」

 そうは呟いてみるものの、あのままではガブリエルの翼が奪われていた。

 仕方ないといえば、仕方ないのかもしれないが。それにしても止めるなら、別の方法があったかもしれないのに……。彼女らしいというか、……まったく。とばかりに、ルシファーは肩を竦めた。

「天上球裁判を汚す者! 衛兵、捕らえろっ!」

 ガブリエルの翼に手をかけていた者たちが口々に騒ぐ。
 周囲にいた衛兵たちが彼女に向かって走り寄った。

「おい! それ以上、そいつに近づくんじゃねえよ!」

 衛兵たちを牽制するように、そんな声を発しながら、ミカエルが彼女と同じように2階から飛び降りる。
 セラの横に並ぶと、剣呑な光を浮かべた。

 戦いの天使と呼ばれるミカエル。

 ――― いくら衛兵でも彼に手を出すのは無理がある。
 衛兵たちは、アレクシエルに救いを求めるようにそれぞれ視線を向けた。

「ほう、この神聖な裁判を邪魔しようというのか? ミカエルよ」

 そう彼に問いかけながらも、アレクシエルの視線はフードを被った者に向けられていた。

「なにが神聖よ! 裁判よ! こんなのは茶番じゃないっ! ガブリエルは何もしてないわっ!」

 セラはその瞳で彼を睨み付ける。
 ぞくり、と背中からわきあがってくるなにかをアレクシエルは感じた。

「何もしていない、とは……。彼女は自らの領域をその手で滅ぼし、数多くの同胞の命を奪ったのだよ」

 首座の言葉に賛同するように、いきなりの彼らの出現に沈黙を守っていた天使たちが騒ぎ始める。

 けれど、セラは凛とした声で続けた。

「それはアレクシエル ――― 、貴方に操られてたからだわっ! ガブリエルは何も悪くない!」

 セラの言葉に、騒がしさがぴたり、と止んだ。

 睨み付ける視線をそのままに、セラは不意に口を閉ざしたアレクシエルを訝る。とたん、彼はいきなり笑い出した。

「くっ、、ははっ…! 誰がそんなことを信じるんだ? 証拠でもあるのか? まさか推測だけでそんなことを口にしているわけではないだろう?」

 ぎくり、セラは掌を強く握り締めた。
 アレクシエルはそんな彼女に瞳を細める。

「まさかそんな戯言を口にするために、戻ってきたわけではないだろう? ―――― セラ」

 ふわっ、と彼の言葉とともに一瞬、風が吹く。
 同時にセラの被っていたフードが外れた。


 冷たい汗が背中を伝う。
 アレクシエルの言葉に、天使たちは目を瞠り驚きに声を上げる。

 (……ちっ、なにが目的なんだ?)

 ミカエルは周囲に視線を巡らせながら、訝った。

 セラをおびき寄せるための裁判だということも、彼女の姿をこの場に現せるためにガブリエルに最も重い罰を与えたのも。
 全てはセラという性格を把握しているアレクシエルの罠だったはずだ。

 もちろん、それがわかってて来たのも事実。だがまだ彼の本意が見えなかった。

「姿がずいぶんとお変わりになった。記憶を取り戻したんですか?」

 不意にアレクシエルの口調ががらり、と変わった。

 冷たさが消え、まるで愛しいものに声をかけるように……。
 セラは息を呑んだ。

 そんな彼女に苦笑し、アレクシエルはゆっくりと傍に歩み寄る。

「堕天使ルシファーの手から逃れてきたんでしょう? 可哀想に、騙されて人間にされ、記憶を奪われた。時間はかかってしまいましたが、貴女の記憶を取り戻すために、こんな芝居を打った私をどうかお許し下さい」

 流れるように彼の口からついて出る言葉に、セラは混乱していた。

 (……なに? なにを言ってるの? 芝居?)

 不安そうに視線をミカエルにやれば、彼もわけがわからないというように 首を横に振った。
 慌てて、ルシファーの姿を探そうとしたが、どこにも見当たらない。

「聞くがいい、天使たちよ。我らが愛しき神の娘、セラ様が戻った。今はまだ混乱しているが、神の力で本来の姿を取り戻すだろう。彼女を導くために、今回のことは仕方がなかったのだ」

 アレクシエルの瞳が罪悪に揺らめく。

 呆然としているセラの手を優雅な仕草で彼は取る。
 彼の手の冷たさに、セラは我に返り慌ててその手を振り払おうとしたが、逆に強く握られる。

「ミカエル、彼女の道案内をわざわざすまなかったね」

 同じく混乱しているミカエルに視線を向けて、それが真実であるように彼は言った。

 アレクシエルの言葉が脳裏に染み込んでいった天使たちは、セラの帰還に喜びの声を上げる。

「……なにを言ってるの?」

 呟くセラに、くすりと笑みをもらすとアレクシエルは極上の笑顔を向けた。

「私の部屋で説明してあげるさ、ゆっくりとね」

 彼女だけに聞こえるように、アレクシエルが言う。

 セラの脳裏に警告が響き渡る。
 だが、セラはその警告を振り切るように激しく頭を横に振った。
 ここで逃げたら、何のために罠だとわかって来たのかわからない。

「ミカちゃん! ガブリエルをっ!」
「手出しはさせない!」

 セラの言葉に、アレクシエルは彼女を抱きすくめる。
 途端、建物に大きな衝撃が走った。

「!」

 (この気配は ――― ルシファー?!)

 アレクシエルも気づいたのか、彼女を抱きかかえたまま外に移動する。

 裁判所のちょうど頭上に、ルシファーが黒い翼を羽ばたかせながら、力を放っていた。

「ルシファー! ここを壊す気?!」
「お前が言うこと聞かずに無茶するからこれしか方法がなくなったんだよ!」

 言葉とともに、ルシファーは建物に向けていた力の波動をアレクシエルへと投げつけた。

「そのようなもの!」

 アレクシエルはセラを懐に抱きしめたまま、結界を張る。
 自分の力がそれに阻まれるのを見て、ルシファーは目を見開いた。

「なにッ?!」

 前に地球で相対していたときとは違う。
 本来の力を取り戻してるルシファーにとって、結界など簡単に破れるはずだった。
 アレクシエルに傷ひとつ負わすことができないなど、信じられない。

「おまえ……まさか……」
 ひとつの思いが浮かんで、ルシファーの視線がアレクシエルから彼女に動いた。

「……ッ」

 セラがアレクシエルの腕の中で苦しそうに眉を顰めていた。
 そんな彼女を更に強く抱き寄せて、アレクシエルは薄い笑みを浮かべる。

「そう、セラの力は神に封印されている。けれど、彼女と繋がったことのある天使なら、セラ様を通じてその力を思うままに操ることが ―――― 」

「……やッ!」

 アレクシエルの言葉に思い出したくもない過去が浮かんで、セラは耳を塞いで悲鳴を上げた。

「ルシファー、おまえも知ってるだろう? あのとき、私がセラ様を」

『抱いたことを。』
 唇だけ動かして、声には出さずアレクシエルが言った。

「 ―――― ああ」

 低い声で、ルシファーは頷いた。
 闇が漂う風が彼の周囲に生まれる。

「てめぇが最も汚い奴だと認識した瞬間だったさ」

 ルシファーの掌に漆黒の剣が現れた。
 ぎり、力を込めて彼はその柄を握り締める。

「勘違いするな。アレは聖なる儀式だった。セラ様も泣いて喜ばれ……」
「やめてっ!」

 セラは言葉を遮るように言うと、ルシファーに向かって叫んだ。
「ルシファー! ミカちゃんとガブリエル連れていって! アレクの近衛兵が来る前に! 早く!」
 今にもアレクシエルに飛び掛りそうだったルシファーが驚いたように彼女を見る。
「なに言ってるんだ! お前も一緒だろうが!」
「早く戻ってガブリエルを治療してもらって! 皆捕まったら彼女を救えないの!」

 ルシファーは必死に訴えてくるセラの瞳を見つめる。

「遅いよ。もうすぐ近衛兵が完全に取り囲む。逃げられはしない」
 アレクシエルが勝利を確信したように笑って言った。

「ルシファー!」

 セラが切羽詰った声でもういちど彼の名前を呼んだ。

 目の端にミカエルがガブリエルを連れ出しながら、裁判所から出てくるのがうつる。衛兵たちに攻撃を掛けられ、それを交わしながらの姿はガブリエルを抱えているせいか、ぼろぼろだ。

 ……クソッ。
 彼はそう毒づいて、剣を構えたままミカエルの元へ踵を返して降りて行った。

「逃がさない!」
「だめよ! 貴方の思うようにはさせないわ!」

 セラはそう叫ぶと、目を閉じた。

「なにができる、能力のない貴女に?」

 アレクシエルの言葉に、セラは答えなかった。

 ここに来る前に、ラファエルがキスを通して与えてくれた風の守護の力と、ガブリエルの水の守護の力。

 そのふたつをセラは身体の中で爆発させた。

 目を焼き尽くすような光がセラを包み込んで溢れる。
 アレクシエルは思わず目を閉じた。

 眩い光に侵されそうになりながら、それでもアレクシエルはけして彼女の腕を離そうとしなかった。

 一瞬の光はすぐに収まりをみせる。

 ぐらり、とセラは意識を失いアレクシエルの腕の中に落ちていった。

 彼女を優しく抱えながら、アレクシエルはルシファーたちの姿を探す。
 けれど、その気配はもうどこにも感じられなかった。

「逃がしたか……。まあ、セラ……。貴女さえ手に入れられれば他など」

 どうでもいいことだ。

 そう呟きながら、アレクシエルは腕の中で意識を失っているセラを愛しそうな瞳で見つめた。




◆――◆


「い……ってー!」
 不意に身体を吹き飛ばされたミカエルは頭を地面に打ち付けた。

 痛む頭を押さえて、状況を把握しようと立ち上がる。

「おい、へいきか?」

 頭上から声がかかって、見上げればルシファーが黒い翼を広げて浮かんでいた。
 腕の中にガブリエルを抱えながら。

「てめぇな! 瞬間移動するならそー言えよ! いきなりすっから頭打っただろうが!」

「俺に言うなよ。ここに俺たちを飛ばしたのは、セラだ。ラファエルとガブリエルの力を使ってな」

 肩を竦めてルシファーは応えると、不満そうな表情をしているミカエルにほい、とガブリエルを渡した。

 ぐったりと横たわっているガブリエルには血の気がなかった。
 遠目からは気づかなかった裂傷が幾箇所に見受けられる。

「とにかく早くラファエルに診せねーと……」

 ミカエルは眉を顰めて呟いた。

「ああ、時間的に見て何事もなければそろそろここに戻ってくるはずだが……」
「ここ?」

 それを聞いて、ミカエルは今自分たちがいるところが天地球と天上球の入り口がある場所だと気づく。

 ―――― !

 何かしらの気配を感じて、ミカエルとルシファーは構えた。
 目を凝らして視線を向ければ、天地球との扉の役目をしている柱に2つの影がうつった。

「……ミカちゃん? なに、お出迎え?」

 影のひとつがミカエル達に気づいたのか、片手を挙げて、そう言いながら近づいてきた。

「ラファエル……?」

「ひどいなー。少し離れてただけなのに、もう僕のこと忘れたわけ?」

 呆然としているミカエルに拗ねた口調でラファエルが言った。

「おや、そちらの方が早かったようですね。心配して来て下さったんですか?」
 ラファエルに続いて結界から出てきたウリエルが、不思議そうな表情を浮かべていた。

 気配は確かにラファエルとウリエルのものだ。
 そう確信すると、ミカエルは構えをといて思い出したように腕の中のガブリエルを差し出した。

「おいっ、ンな悠長なこと言ってる場合じゃねぇんだ。ラファエル! ガブリエルを診てくれっ」

 切羽詰ったようにミカエルから言われて、ラファエルは彼女の傍に座ると、真剣な顔つきで脈と目を調べはじめた。体中の裂傷を探す。

「……これはまずいね。僕の医療室で緊急手術だっ! 早く連れて行こう!」
「おい、俺たちは先に行ってるからな!」

 何事かを話し込んでいるウリエルとルシファーにそう声をかけて、二人は返事も待たずに瞬間移動を行った。

 ミカエルたちが姿を消すと、ルシファーは視線をかえて怪訝そうに扉である柱を見つめた。

「もしも記憶を取り戻せたのなら、セルはここへ聖くんを戻すでしょう。けれど……」
 ウリエルは言葉にするのを躊躇った。

 記憶が戻ることに恐れや怯えを感じたら、セルは上手く作動せずに、聖をどこか異空間へ吐き出してしまうことになる。

「まっ、あいつは運のいいヤツだ。そのうちここに」

 戻ってくんだろ。

 そう続けようとしたルシファーの言葉を遮るように、どんっ、と激しい光の塊が地面に降り立った。
 すぅ…と光は空気に溶け込むように消えていく。

 そこに現れたのは、聖だった。

「……ほらな。まったく、ホントに運のいいヤツだぜ」
 苦笑いを浮かべながら、ルシファーは肩を竦めて言った。
「とりあえず、セラ様に顔向けはできますね」
 クスリ、と笑みを零してウリエルも応じる。

 聖は呆然とした顔つきで、目の前に佇む二人を見ていた。ルシファーは彼に近寄り、その頬をぱしぱしと手の甲で叩く。

「おーい、しっかりしろよ。大丈夫か?」

 その呼びかけに、聖は目を瞬かせた。

「……せ、先輩?」
「意識はあるみてーだな。……んで、記憶は?」

 おちゃらけた態度で聞くルシファーに、半ば無意識に聖は頷いた。

「あ…う、ん。戻ったよ。……おかげさまで」

 短く呟かれた言葉に、ルシファーとウリエルは驚いた瞳を向ける。
 あまりに感情のこもっていないその口調を訝った。

「それより先輩。……世羅は?」

 二人の視線を無視して聖は周囲を見回した。
 一番に自分を迎えてくれるだろう少女の姿がないことに首を傾ける。

 その姿に、ルシファーはハッ、と我に返って忌々しそうに口を開いた。

「アレクシエルに捕まった……」
「なっ! 貴方がついていながらッ!」
 ウリエルが声を荒げてルシファーの襟元を掴んだ。

「仕方ねえだろっ! あいつは自分のことよりガブリエルを優先しやがったんだ!」

 乱暴に告げると、ルシファーはウリエルの手を跳ね除けた。
 ルシファー自身、苛立っていた。自分がどんなに他の天使たちより ―― いや、アレクシエルよりも強い力を持っていようとも、神の力に敵うわけがない。
 それでも救うためなら、命だってかけたというのに……。

 無意識に掌に力がこもる。

 ウリエルは珍しく感情を露にするルシファーの姿に息を呑んだ。
 いつも飄々としている彼がこんなにも強い激情にかられているところを初めて見たような気がした。

 そんな二人の耳に信じられない言葉が届く。

「……まぁ、捕まったものは仕方がないさ。早く救い出せに行けばいいんだよ」

 どこか他人事のような口調に、ウリエルは言葉を失った。

「おい、聖……。おまえ……」

 明らかに違う雰囲気を纏う聖に、ルシファーは戸惑った。不意に聖の瞳が銀色に煌いていることに気づく。

「行かないわけ? まぁ、俺一人でも十分だけどね」
 クスッ、そう笑みを零して、聖は姿を消した。

「待て! 聖ッ!」

 慌ててルシファーは彼の気配を頼りに、後を追いかける。
 瞬間、ウリエルに言葉を残していく。
「ガブリエル達のことはお前に任せたぜっ!」

 残像のように耳元で告げられた言葉に、ウリエルは肩を竦めた。
「わかりました、気をつけて」
 そう応えながら、ウリエルはせめてこれ以上何も起こらないことを、ただ願うしかなかった。
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