『……これは何の真似です、アレクシエル』
椅子に座らせられている女性が厳しい表情で、目の前に立つ男を睨みつけた。
彼は可笑しそうな瞳で彼女を見ると、背を向けて視線を窓の外へ向ける。
『君がセラ様の居場所を吐かないから、少々強引にいかせてもらおうと思ってね』
『知らないと言っているでしょう!』
仮に知っていても、言う気はないけれど。
ガブリエルは何かに縛り付けられているように動かない身体でもがきながら、そう答えた。
そんな彼女を一瞥して、アレクシエルはまた瞳を外へと戻す。
『君たちはね、あまりに知らなさ過ぎるのだよ。それ故に愚かなことをする。その所為で逆に彼女を傷つける結果になるとわかっていない』
どこか遠くを見つめているような瞳で言うアレクシエルの真意を探るように、ガブリエルは訊いた。
『セラ様を傷つける……?』
『……そう、このまま彼女を放って置いてもし全てを知ることになれば、気が狂ってしまうだろう』
彼女の気が狂う?
嘘です。そんなこと……。
ガブリエルは揺らめく光を瞳に浮かべながらアレクシエルの背中を見つめた。
『私は彼女を愛してる。たとえ、それが……』
そこまで言ってアレクシエルは苦しそうに呻いた。その姿を訝るようにガブリエルの眉が顰められる。
『いや、君は知る必要のないことだ』
そう言うと、アレクシエルは彼女の方を振り向いて、視線をガブリエルに合わせた。目が合った瞬間、ガブリエルは彼の瞳に浮かんでいる狂気を見たような気がした。
「……んっ、」
セラは重く感じる瞼をゆっくりと開いた。
自分を覗き込むように見つめている瞳と目が合って、息を呑む。
「アレクシエル!」
驚いて上半身を起こそうとしたセラは、なぜか意思に反して動かない身体に戸惑った。
「ああ、無理はダメだよ。君の身体はもう二度と自由には動かないから」
まるで歌でも唄うような口調で告げられた言葉に、セラは言葉を失う。
「 ――――― !」
「鳥篭から出なければ、翼はつけたままでも構わなかった。けれど、出ようとあがくなら、奪わないとね」
くすり、と笑みを浮かべてアレクシエルが言う。
どうして……?
セラの頬に涙が伝う。
アレクシエルはその頬に手を伸ばし、涙を拭った。
「……昔、貴方はあんなに優しかったのに。首座としてだれよりも敬愛されていたのに。どうして……」
「こんなふうに変わってしまったのか、ですか?」
嗚咽で言葉を紡げないセラのかわりに、アレクシエルが続けた。
「もともと今の私の方が本質だ。首座としての私は作られたものにしか過ぎなかったのだよ。前の首座。ロシエルの代わりとして……」
「……ロシエル?」
聞き慣れない名前に、セラは首を傾けた。
それには答えず、アレクシエルはそっとセラの頬を両手で優しく包み込んだ。
「私が……、どんなに貴女に会いたかったかわかるか?」
優しい仕草とは裏腹に、アレクシエルの言葉に恐ろしいものを感じてセラは彼から身を引こうとしたが、ぴくりとも身体は動かなかった。
「セラ、今の私は貴女さえ傍にいてくれるのなら他には何も望まない。邪魔だというなら、私たち以外の天使を全て殺そう。天界に住むのは私たち二人だけで」
そう言いながら、顔を近づけて口付けようとするアレクシエルから顔を背けてセラは叫んだ。
「やめて!」
「……セラ?」
訝るようにアレクシエルが名を呼ぶ。
「私は……、私にはできない! アレクシエル、お願いだからわかって!」
「わかってないのは貴女の方だっ!」
叩きつけるようにアレクシエルが言った。
「……アレク?」
驚いた表情でセラは彼を見つめる。
その瞳には狂気に孕んだ光ではなく、苦しそうな想いが宿っていた。
「貴女にこれ以上はっ……!」
何かを言いかけて、アレクシエルは口を閉ざした。
途端、強く抱き締められる。
「アレ……ッ!」
「なぜ?! あいつなんだっ! 貴女が愛したのがなぜ……。よりにもよって……」
声を絞り出すように言われて、セラはアレクシエルが震えていることに気づいた。
「泣いてるの?」
セラの言葉には返さずに、アレクシエルはスッ、と抱き締めている腕を解いた。
ほっ、と安堵に息をつくと同時に、セラは押し倒された。
「アレク?!」
抵抗できるのは声だけで、動かない体はアレクシエルを止められない。
「貴女は私のものだ。そう…、私の……」
「……やっ!」
アレクシエルの唇が首筋へと落とされる。
感触の冷たさに、セラは声をあげた。
脳裏には、過去にアレクシエルに抱かれたときのことが浮かぶ。
どんなに抵抗しても、嫌がっても止めてくれなかった……。苦しくて、怖くて……。
「お願い……。アレクシエル……、やめて……」
セラは必死に懇願する。
瞳から溢れてくる涙を唇で吸い取りながらアレクシエルは優しい口調で言った。
「もう、諦めなさい」
その言葉に呆然とするセラに、微笑を向けるとアレクシエルはその唇に深い口付けを落とした。
『なぜだ、ロシエル!』
ふわり、と光り輝く髪を持つ女性が振り返る。
『もう決まったこと。これは天使にとって最も喜ぶべきことよ、』
『……首座を捨てるのか?!』
私を捨てるのか……。
本当はそう言いたくて、けれど素直に口にすることは誇りが許さなかった。
それを見透かすように、ロシエルは笑顔を浮かべる。
『ちがう。神にはもう、次代の神を生みだす力がない。このままだと、この天界さえ壊れてしまう』
そっと伸ばされた手が頬に触れた。
『私はおまえに生きていてほしい。全ての天使たちを導いてやってくれ。そうして、次代の神を頼む』
優しい光をその瞳に宿して言うと、ロシエルは目を閉じる。
次には何かを振り切るように、背を向けて歩いていった。
『……勝手だ』
なにが生きていてほしいだ。
おまえがいない世界で私にどうしろというんだ。私は……私は……っ!
セラは我に返った。
「アレク……、私はロシエルの代わり……?」
小さく呟かれた言葉に、アレクシエルは顔をあげた。
「なっ…、なぜ貴女がロシエルを!」
知るはずのない名前を口にされたことに、明らかな動揺を浮かべる。
その瞬間、アレクシエルの術が解けたのか自由を取り戻したセラは上半身を起こしてズルズルと、彼から距離をとった。
ハッ、!
アレクシエルは思わず自分の唇に触れた。
「まさか、口付けから過去を視たのか?!」
驚きに染まった瞳がセラを見つめる。そこには真っ青な顔で恐ろしさに怯える姿があった。
アレクシエルの胸に痛みが突き刺さる。
「……すまない」
俯いて言われた言葉に、セラは息を飲んだ。
スッ、とベッドから降り離れようとしたアレクシエルの服の裾を掴む。
このまま、彼を行かせてはいけないような気がした。
「セラ?」
訝るような声がかかる。
それは昔、優しかった頃のアレクシエルの口調だった。
セラの瞳から恐怖とは違う涙が零れだす。
「お願い…アレクシエル。貴方が抱えてるものをぜんぶ話して。もう……ひとりで苦しまないで」
過去の記憶に苦しみを抱えていたとき、聖やルシファーが傍にいてくれた。
ひとりだったら、きっと耐え切れなかった。
苦しくて、苦しくて……。
アレクシエルは長い間、ずっと首座という立場からたくさんのものを抱えてきて自分をコントロールできなくなってしまったのかもしれない。
セラは自分からアレクシエルに抱きついた。優しく抱き締める。
「……セラ様」
ふわり、と包み込むようなぬくもりに、アレクシエルは苦しそうに目を閉じた。
「私は…私は……ッ、寂しかったんだ」
抱えていたもの全てを吐き出すように、かすれた声で言う。
閉じられている瞳には、涙が溢れ出していた。
「寂しかったんだ……!」
「うん、……うん」
何も言わずに、セラは彼を抱き締めたまま、頷いていた。
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