私とロシエルは双子だった。
姉の彼女は優しく明るい女性で、意志の強い瞳をしていた。
私たちは互いに首座となるため、競い合っていた。
けれど、あるとき、神から力がやがて弱まる時期がくることを知らされた。
もしも神の力が失われたら天界はおろか、神が生み出された全ての命が消えるという事態に陥ってしまう。
そこで神は次代の神を生み出すことにした。
だが、神は一度失敗をしていて、新たな神を作り出すことはできなかった。
次代に神としての全てを教える時間とそれまで均衡を保つ力が必要なために全ての力を注ぐことはできない。
それを補うために、私たち天使に白羽の矢が立った。
特に満ち溢れた力を持っていたロシエルに……。
神はロシエルの力を自らに取り戻し、次代の神を生み出すことにしたんだ。
ロシエルはそれで均衡が保たれ他の命が守れるのなら構わない、と。
『もともと命は神に与えられたもの。私は還るだけだ』
そう言って、ロシエルは神の元に行った。
彼女がいなくなって私は初めて思い知らされたよ。
私の中の彼女の存在の大きさに……。
だが、ロシエルは神へと還りセラ……、貴女が生まれた。
「初めは彼女の願いどおり貴女を神として立派に育てるつもりだった……。けれど……」
貴女はあまりにもロシエルに似ていたんだ。
光り輝く髪も、瞳も。意志の強いところも、優しく明るい性格も全てね。いつのまにか、私は彼女の姿を重ねて見ていたのかもしれない。それだけならまだ自分を制御できただろう。
「でも貴女が……。セイを見つけて愛してしまったから。私はもう自分を止めることができなかった……」
「セイを愛してしまったから……?」
セラは眉を顰めて聞き返す。途端、アレクシエルは苦しそうに顔を背けた。
「苦しませたくなかった……。貴女に私と同じ苦しみを与えたくはなかった。だから、仲を引き裂いた。たとえ恨まれても、貴女を……守りたかった」
「同じ苦しみ……?」
アレクシエルの言葉の真意がつかめずに、セラは困惑した表情を浮かべる。
ふと、脳裏にセイの姿がよぎった。
鎖に繋がれ、封印された部屋にいたセイ……。
ずっと気になっていたことがあった。
教えてくれる者がいなかったから、今まで気にしなかったけれど、喉の奥が焼け付くような感覚に陥る。
それでもセラは今にも消え入るような声で聞いた。
「……セイは、いったい……何者なの?」
アレクシエルがゆっくりと視線をセラに戻す。
その瞳は悲しみに染められていた。
嫌な予感がセラの身体中を駆け抜けていく。
頭がひどく痛んだ。
「彼は ―――――― っ!」
「アレクシエル?!」
アレクシエルが口を開きかけた瞬間、彼の身体を剣が貫いていた。
「茶番はここまでだよ」
そう言って笑う声が聞こえたような気がした。
アレクシエルがゆっくりと崩れ落ちる。
その背後にいる姿を見て、セラは言葉を失った。
「…………っ!」
「よかった、セラ。無事だったんだね」
にっこりと笑顔を浮かべて声をかけてくるのは、姿こそ銀の髪と瞳に変わってはいたが、セラには間違えようもなく聖、――― セイだとわかった。
「アレクシエル!」
がくりと、力を失って倒れかける身体をセラは慌てて抱き止めた。
驚きに染まった瞳で、セイを見上げる。
「せ…、セイ! どうしていきなり……!」
非難めいた声をあげるセラに、楽しそうな笑みを浮かべて彼はゆっくりとした動作でアレクシエルの血に染まった剣を布切れで拭き取りながら口を開いた。
「ひどいな、僕はセラ。君を助けにきたんだよ」
「だからって……!」
「……き、記憶が戻ったのか……」
アレクシエルが呟くように言う。
セラの腕の中で苦しそうに息を吐く彼に、セイはその瞳に冷たい光を宿して一瞥した。
「ああ、全てのね。お前や神が僕になにをしたのか。僕がなにをしたかったのか、思い出させてもらったよ」
「セイ……?」
雰囲気の違う彼に戸惑うセラは、不意に腕を強く掴まれた。
「アレクシエル……?」
「セラ、忘れないでくれ。私は狂気ゆえに貴女を傷つけ、ガブリエルに取り返しのつかないことをしてしまった。仲間たちの命を奪ったことも……。それでも、……それでも、貴女を愛する心だけは、本物だった」
たとえば、それは親愛だったかもしれない。
恋人としての愛ではなかったのかもしれない。
それでも……、ただロシエルを重ねていただけの存在ではなかった。
貴女を愛した気持ちは本物だった……。
まっすぐ見つめ返される瞳に浮かぶ真剣な光に、セラは息を呑んだ。
アレクシエルを慕っていた頃のことが思い浮かぶ。
なによりも心配してくれていた。なにがあっても信じてくれていた。……大好きだった。
知らず、頬に熱いものが伝う。
「……アレクシエル、聖とは違う形だったけど、でも確かに私は貴方を愛していたわ!」
白かった翼がそこを貫かれて赤く染まっていく。
それは天使の消滅を意味していて……。
アレクシエルを強く抱き締めてセラは言った。
「だからっ、だから……消えないで! 貴方はまだガブリエルや他の天使たちにも謝罪しなきゃ! 自分で……そうでしょ?!」
セラの瞳から流れる涙を、そっとアレクシエルは手を伸ばして拭いた。
「ガブリエルには……すまなかった、と……。セラ…、私は……貴女の笑顔がなによりも……好きだった……」
「いや! アレクッ! やっと……、やっと仲直りできたのに……消えるなんてひどいっ! ダメよ、アレク! アレクシエル!」
腕の中で薄れていく存在にセラは必死に呼びかける。
けれど、アレクシエルは最後に微笑むと空気の中へととけていくように消滅した。
「アレクシエル?!」
軽くなった自分の腕を信じられないものを見るような目で見つめて、セラは叫んだ。
泣くことはない……。
私はやっと、彼女の元に還れるのだから……。
ふわり、と微笑むロシエルの姿が現れる。
そっと差し伸べてくれるその手に、アレクシエルは自らの手を重ねた。
『どこにいても ―― 、なにがあっても、私は貴女を愛してる』
届かない声で、アレクシエルはセラに向けて告げると、ロシエルとともに消えていった。
――― バンッ!
突然、扉が開く。
「アレクシエル様ッ??!」
入ってきたのはバービエルだった。
部屋の中を見回すが、探してる姿が見当たらない。
完璧に消えた、彼の気配に気づいて来てみれば!
「セラ……ッ、アレクシエル様をどうしたんだっ?!」
涙を流しているセラに剣を向ける。
「バービエル……」
「おまえが殺したのか! あの方をっ! おまえがっ!!」
切っ先を向けて飛びかかろうとしたバービエルを、セイが受け止めた。
「そんなにさ、あいつの傍に行きたいんだったら、望むとおりにしてあげるよ」
「お前は……ッ!」
見たこともない姿に、バービエルが息を呑む。その隙を見逃さずに、セイは彼女の剣を跳ね返した。そのまま、背後に回りバービエルの急所に剣を突き刺そうとしたとき。
「やめて!」
セラの声が響いた。
ぴくり、とセイは寸前で動きを止める。
「やめて、これ以上、だれも傷つけないで!」
まっすぐと見つめてくる視線をバービエルの背後から見つめて、セイはフッ、と皮肉めいた笑みを浮かべた。
「……セイ?」
今まで見たことのない彼の表情にセラは戸惑う。
「君はね、相変わらず偽善者だ。アレクシエルのことも同情などせずに、君がさっさと殺してくれれば僕の剣が天使なんかの血で穢れることなかったんだ」
肩をすくめながら、告げられる言葉にセラは愕然とした。
「貴様がアレクシエル様を殺したのか?!」
「うるさいよ」
ぎりっ、と上唇をかみ締めて悔しそうに言うバービエルに冷たい光が宿った瞳を向けると、セイは剣の切っ先を突き立てた。
「あなた……本当にセイなの?」
「まぁ、驚くのも無理はないね。過去の僕も君の前では演技していたから」
「……演技?」
わけがわからなかった。
明らかにわかるのは、いま目の前にいる彼がいつも傍にいてくれた聖とは雰囲気がまったく違うということ。
困惑しているセラに、楽しそうな表情でセイは口を開いた。
「僕はね、神とアレクシエル、ロシエルを恨んでた。僕を封印した ――― 僕の大切なものを奪った彼らを」
恨んでいた……。
とてもそんな言葉がセイの口から出るとは思えずに。
これから聞かされることが不吉なものだ、とセラの心が警告の鐘を鳴らし始める。
「だから、彼らが大切にしている君。セラを、ね。奪ってやろうと思ってたんだ。そしたら見事、神は嘆き苦しんだし、アレクシエルは狂気の果てに消滅したし。ほら、ロシエルの生まれ変わりである君は、今まさに苦しみを与えられようとしている。―― 僕の計画は完璧だったようだね」
そう言って、セイは無邪気な子供のようににっこり、と笑った。
呆然としているセラに、更に話しかける。
「あれ? まだわかってないようだね。つまり、ぜんぶ計画だったんだよ。僕が君を愛したフリをしていたことから」
「!」
僕が君を愛したフリ……?
セイの言葉が頭の中で響く。割れそうなくらい痛かった。
「嘘よ! そんなこと……」
「事実だよ。まあ、多少は惹かれあったかもしれないね」
くすり、と笑みを浮かべて、セイはゆっくりと口を開いた。
「僕たちは同じものから生まれたものだから」
……同じものから。
同じものから?
アレクシエルの言葉がよみがえる。
『神は一度、失敗をしていて ―――― 』
それなら……。セイが……。でも、まさか……。
信じられずに言葉を失っているセラに、フッ、と一瞬だけ遠くを見るような素振りを見せたが、セイはすぐにそれを打ち消し、頷いた。
「そう、僕も神から生み出されたものさ。君より早く、次代の神としてね」
そう言うと、セイは躊躇いもなくバービエルの背中を貫いた。
「バービエルッ??!」
セラが叫ぶ。
「……貴様っ」
バービエルがそう呟いて振り向こうとした瞬間、セイは彼女に向かって掌をかざした。
「ま、力の調整にちょっと付き合ってよ」
言葉とともに、掌に光が集まる。
それはすぐに部屋中を包み込み爆発した。
爆発が消えても、部屋の中は何事もなかったように綺麗なままだった。
ただ、バービエルの姿とセラの姿だけがなく ―――― 。
「あーあ、セラを逃がしちゃったか。ほんと…余計なことをしてくれるね、先輩」
クス、とそれでも楽しそうにセイは笑った。
まあ、いいか。
そう言葉にして、セイは頭の後ろで手を組み可笑しそうに口笛を吹きながら部屋を出て行った。
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