壊れてしまえばよかったんだ…。
あのとき、なにもかも。
彼女を失った僕になにが残されているというんだろう……。

ちがう。
失ったのは彼女。
僕という「記憶」を。僕たちの「過去」を。
失ってしまったのは彼女 ―――― 。

そして
僕は……。


 「……まだ、目覚めないのかい?」
暗闇の中、ひとり椅子に座っている少女を前に、青年は呟いた。

自嘲の笑みを乗せて……。

 「君だけ…、ずるいよね」

鮮やかに色づく桜色の髪を梳きながら、青年は言う。
けれど、少女はぴくりとも動かずにただうつろな瞳で、
前を見つめていた。

 「僕を愛してくれてたんじゃなかったの?」

答えが返らないとわかっていても、青年は語りかける。
わずかな反応でもいい……。
そんな期待が消えることはなくて。

 「ねえ、答えてよ。一言でも構わないから」

何度そう願っただろう。
そう ――― 縋っただろう。

 「確かに、君は生きてる。だから約束どおり、ほら。僕も生きてるよ」

青年は今にも泣き出しそうな表情に笑顔を作って、彼女の膝へと崩れるように
座り込む。

 「でも、ただ…それだけなんだ。君の声も笑顔も失った僕はもう、
  どうすればいいのかわからないんだよ……頼むから」

彼女の膝へと顔をうずめたまま、青年は声を絞り出すように言った。

 「……愛してる、と」
頼むから ――― そう言って。




――――― 約束できる?

少女はにっこりと笑顔を向けて、机をはさんだ向かい側の椅子に座る少年に
問いかけた。

 「……え? なんだって?」

夢中になって読んでいた本から視線をあげて、身を乗り出している
彼女へと向けた。

頬を膨らませて、少女は怒ったように言う。

 「もう! やっぱり聞いてなかったのね!」

そんな彼女の様子はあまりにも可愛らしくて。
少年は苦笑を浮かべながら、謝った。

 「ごめん、ごめん。僕が悪かったよ。もう一度、聞かせてください」

本を閉じて机の上に置き、まっすぐと聞く姿勢になってくれた少年に、機嫌を直して
少女はしょうがないなぁ…と言いつつも、嬉しそうにさっき言った言葉を繰り返した。

 「だからね、ずっと一緒に生きて行こうねって!」

約束できる?
そう続ける少女に、わけがわからず少年は思ったことを口にする。

 「なに、それ…?」

 「だって、こんな時代じゃない? なにが起こるかわからないでしょ? でも私たちは
  なにがあったとしてもずっと一緒に、生きて行こうねって約束!」

呆れたような表情を浮かべる少年に、明るい笑顔を向けて少女は言った。

こんな時代…。確かに、少年は窓の外に視線を巡らした。
今この国は戦争の只中にあった。

いつ侵略されてもおかしくはない…そんな小さな国。
(……争いは悲しみと苦しみしか生まないというのに。)
力ある者がそれを揮い、「罰」として死を受けるならいい。
けれど、いつも犠牲になるのは懸命に生きてる国民たちなんだ。

普通に生きていくことさえ、平和であっても難しいというのに……。

少年はため息をついた。

 「…………まぁーた、物思いにふけってる!」

少年のため息を聞き咎めて、少女はムッ、となった。
その声に我に返って、視線を向ける。

 「ちがうよ。君と一緒に生きていくっていうことについて、悩んでたんだ」

思ってもいないことを口にして、少年は悪戯っ子のような光を瞳に浮かべた。
不意に、少女の表情が不安に染まる。

 「私がこの国の王女だから? で、でも! 私は第3王女だし! お父様は貴方なら
  きっと文句は言わないわっ!」

焦ったように言う彼女の顔はあまりに可愛くて。
少年は愛しそうに瞳を細める。
それに気づかずに、少女は恐る恐るといった風情で少年に聞いた。

 「……いや?」

上目遣いの少女に、クスクスと嫌味のない笑みが零れる。

 「あ ―――っ! もう! 騙したわね!」

楽しそうに笑う少年の胸を激しく叩く。
それを受け止めながら、少年はふと椅子から立ち上がり彼女を強く抱きしめた。

 「ごめん…つい。でも、今更そんなことを約束させる方がおかしいよ。僕たちはずっと
  一緒に生きてきたんだ。これからもそれは変わらない ――― 愛してる」

そう。今更なんだ。僕は君の傍にずっといる。
そのためなら、なんでもするさ。
少年の腕に包まれて、少女はその胸に頬を寄せると、幸せそうに頷いた。

 「……うん、私も愛してる」
でも、と少女は彼を見上げて続けた。

 「約束だよ。私が生きてるのに死んだりしたら、許さないからね!」
 「そのときは後を追ってきてくれるんだろう?」

こともなげに言う少年に、うっ、、と言葉に詰まりながら、恨めしそうに言う。

 「それはそうだけど……、でも!」

必死に言葉を紡ごうとする少女の頭にぽんぽん、と手を置いて、また強く少女を
抱き締める。

 「はいはい、約束するよ。君を一人残して死んだりはしません。だから、君もね?」

そう囁かれて、少女は敵わないなぁ…。と拗ねるように言いながら、素直に頷いた。


それが約束 ―――。
絶対に互いを残して死なない、と。



 「侵略を抑えるために、隣国の王子に第3王女を娶らせるんですか?」
まずい、と思った。

自分でもそう思うほどに、声が硬くなった気がする。
緊張とは違う、別の感情が入り混じったもの。

 「……そうだ」
けれど、国王は気づかなかったように頷いた。

いや、気がついていたとしても返事は変わらなかっただろう。

 「なぜ、第3王女なのですか? こういうときは、上の王女様の方が……」
 「ふむ。私もそう思ったのだが、王子が第3王女をお気に召したのだ。仕方あるまい」

無意識に掌を握り締める。

よりによって……。
こんな小さな国では、隣のような大国に逆らうことなどできるわけがない。

 「……お前から説得してくれんか?」

非情な国王の言葉が発せられる。
否。と言えるだろうか……。

 「頼む、」

まっすぐと頭を下げてくる王に、断ることも、頷くことも出来なかった。

それでもきっとわかっていたんだ。
孤児である自分を引き取って、王女の遊び相手として育ててくれた。
教育も、愛情もわけ隔てなく与えてくれた王に逆らうことなんてできるわけがないと。


神様、僕はただ。
彼女と笑って過ごしたかっただけなんだ。
ずっと一緒にいると交わした約束を守りたかっただけなんだ。