「戦争なんて大ッ嫌いよっ」 青い空を見上げて、少女は叫んだ。 王宮の中庭で、叫んでいい言葉じゃないな、と。 心のどこかで苦笑しながら、それでもこれから彼女に言わなければならないことを思うと、 そんなことどうでもよかった。 むしろ、彼女と同じ気持ちだった。 「 ―――― 王女、」 泣きそうな声だ、と自分でも感じた。 呼びかけに、彼女は振り返らない。びくり、と身体を震わせただけ。 二人っきりでいるときには滅多に敬称で呼ばない。 だから、気づいたのかもしれない。 「王女……」 もういちど呼びかける。それでも彼女は振り向かなかった。 或いは口さがない侍女たちの噂話が彼女の耳に入っていたのだろうか。 「 ――― 言わないで」 「え?」 不意に紡がれた彼女の呟きは聞き取れなかった。 ゆっくりと、彼女が振り向く。 「言わないで。わかってるから」 ふわり、と微笑みを浮かべるその表情は、今にも泣き出しそうな感情を一生懸命に、 堪えていることが見てわかった。 それが悔しくて。 このまま、彼女を失うことが怖くて。 止めていたはずの、心の箍が外れる。 「何も言わせないつもり?」 「えっ?」 今度は彼女が驚いたような表情を浮かべた。 「一緒に逃げようとも? ずっと一緒にいようって誓っただろう」 手を差し伸べる。 上手く笑えてたかどうかはわからない。だけど、目を見開いている彼女の瞳から見えたのは、 やはり泣きそうな自分の顔だった。 彼女は俯いた。 「行こう、僕たちは一緒に生きるんだ。君を誰にも渡さないよ」 抱き締めようと足を彼女のほうへと踏み出す。 けれど、それを避けるように、彼女は一歩足を引いた。 「どうし…」 「ありがとう」 訝る言葉を遮って、顔をあげた。微笑みが浮かんでいる。 さっきまでの泣きそうなものではなく、心から嬉しそうな、そんな笑顔。 嫌な予感が胸を過ぎる。 どうか、それから先の言葉を言わないでくれと、無意識に願っていた。 だけど、願いは聞き入れられずに。彼女は続ける。 「だけど ――― 、私はこの国の王女だもの」 だから行けない。と彼女の瞳が言った。 そう言った姿は、今まで。十数年も一緒にいながら ――― 見たことがないほど、美しくて。 毅然としていて、本当に彼女は王女なんだと。 何も今こんなときに改めて思わされなくても、と胸が痛んだ。 「ずっと、愛して ―― ううん。幸せになってね」 言いかけた言葉に首を振って、それだけが願いだと言うように彼女は言う。 まっすぐ見つめてくる変わらない瞳は、真剣で。 だったら、一緒に逃げよう。という言葉を貫いた。 そう言って、彼女は全てを振り切るかのように、走っていった。 一人残されて、呆然と手の平を握り締める。 心が切り裂かれていく。 彼女の笑顔が。彼女と交わした言葉が。抱き締めたぬくもりが。誓った約束が。 全て。 全て、失われていく。 その瞬間、きっと。 彼女との未来が狂ってしまったように、僕自身もまた ――― 。 三年もかかってしまった。 彼女の国である王の跡継ぎになって、口出しさせないように邪魔なものを始末した。 もちろん、王と王妃には恩があるから離宮に監禁するだけで止めておいたよ。 君の両親でもあるしね。 それから、やっと。君が嫁いだこの国に戦争を仕掛けることが出来た。 「君を奪ったこの国の奴らを皆殺しにしてやったよ」 そうして君を奪い返して、王位なんて厄介なものを捨てて。 僕たちは二人、離れた地へ向かった。 二人だけの世界を取り戻すために。 「戦争を起こして、君を僕から奪って。それでも、君が幸せに笑っていてくれるなら。 幸せになってくれたなら僕だって皆殺しなんてしなかったんだ」 愛しそうに、彼女の髪を撫でながら、話しかける。 だけど届いてきた君の話はどれも耳を塞ぎたくなるほど、残酷なものばかりだった。 正妃とは名ばかりで、扱いは侍女のようなものだと。 夫であるはずの王子には他にもたくさんの側室がいて、飽きられた彼女は軟禁されて、 暴力を振るわれたりして、傷は絶えずに、次第に自我を失くしていったと。 それが事実だったと、彼女を見つけてわかった。 やせ細った身体。やつれた顔。骨ばった手。唯一、変わらないものは桜色の髪だけだった。 そんな風になっても、彼女が命を絶たなかった理由。 二人が交わした約束が脳裏を過ぎる。 『はいはい、約束するよ。君を一人残して死んだりはしません。だから、君もね?』 あのときの約束を守るため。 だけど、今の彼女は。まるで ―――― 。 頬に触れる。 「……もう全て、終わったんだよ。だから僕を思い出して。僕たちの過去を」 これは『罰』ですか? 彼女が大ッ嫌いだと言った。彼女を失う理由になった。 戦争を始めてしまった、僕への。 優しく、彼女を抱き締める。 「ずっと、愛してる」 そう囁いた途端、彼女の手が僕の背中に回ったような気がした。 |