■ Silver01 ■
『…………許して下さい』
彼女の手紙には、ただそれだけが書かれていた。
(僕はそれを見たとき、何を感じたんだろう……?)
憐れみ? 怒り? 悲しみ?
いや、そのどれも浮かばなかったのは確かだ。もし、彼女が生きていたら僕は聞いていただろう。
『君が僕に望むのは、なに?』
愛してなんかない。
二人の間にあったのは、政治的意図だけだったから。少なくとも、僕はそう思っていた。だから僕は、彼女が自殺したと聞いたとき、ただ婚約を嫌がった果てなのだ、と。少女が夢見るような“愛”のある結婚ではないから ―――― 。
そう、思っていた。
別に、嫌いなわけではない。
地下射撃場に向かう途中、不意に統帥の言葉が脳裏に浮かんで、そう否定する。
『君は“リーダー”が嫌いかい?』
思わぬ言葉をかけられて、戸惑う気持ちを隠しながら、それでもいつもより低い声で答えてしまっていた。
『そんなこと、考えたこともありません』 と ――――。
統帥のことは、『Z』創立以来、20歳未満でその任につき、冷静な判断力と決断力で『Z』を纏めている人として、心から尊敬している。もちろん、同じように『Z』創立以来の若い“リーダー”のことも尊敬していた。だが、改めて統帥の言葉を思い出したときには別の答えが出ていた。
嫌いなわけではない。ただ……そう。苦手、だった。なにが、というわけではなく。他人に対して、あまり特別な感情を持ったことがないのに、なぜか“リーダー”に会うと心が騒ついた。
不快感と、なぜか覚えてしまう恐怖に支配されて。なぜ恐怖を覚えるのか、それはわからなかったがなぜ不快感に支配されるのか、だけは解っていた。
“リーダー”が彼女に似ていたから。
意思の強そうな光を宿した瞳以外は ――――――
物思いにふけりながら、射撃場に通じる階段を降りて行くと、銃声の音が響いてくる。我に返って、銃声の方に視線を向けると一人の少女が、的を狙って銃の引き金を引いていた。
「“シルバー”、銃を撃つときどんなことを考える?」
彼の気配に気づいていた“リーダー”は、振り向くこともせずに銃に新しい弾を込めながら聞く。
「なにも考えていませんよ。何を考えるっていうんです?」
不意にかけられた言葉に首を傾げながらも、そう答える。
ふぅんと、あいまいな相づちを返して、“リーダー”はまた銃を撃ち始めた。
全ての弾が急所を直撃する。
「完璧ですね」
撃ち終えた“リーダー”に声をかけると、彼女は苦笑しながら言った。
「私は、あの的を統帥って考えてるからね」
「それは……どういう意味です?」
問い返す言葉に、銃をホルダーの中に収めて“リーダー”は肩をすくめた。
「幼いうちから、苦労してるってこと」
いまいち話のかみ合わない“リーダー”を不思議な思いで見つめていると、彼女は射撃場の出口に足を向けた。
「さて、どうせ統帥が呼んでるんでしょ?」
「僕たちと同じ任務らしいですよ」
簡潔に答えを返すと、片手を挙げてひらひらさせながら、「じゃあ、会議室で待機ね」と答えてから、出て行った。
静まり返った射撃場で、自分の銃を出す。
まずはお手並み拝見か……。構えたあと、急所をめがけて引き金を引いた。
――― ・・・ ―――
統帥の執務室に足を入れた途端、机で書類を読んでいたらしい彼はからかうような口調で言った。
「めずらしいね。ユウが自分から任務をやりたがるなんて」
「じゃあ、今回は前から頼んでおいた例の……?」
彼女に手にしていた書類を渡して、統帥は頷いた。
「驚いたよ。“シルバー”の婚約者が君に似てたとはね」
知っていたのか ――――― ?
言外に聞いてくる統帥に肩をすくめてユウは答えた。
「まあね。写真は見たことあったけど……」
統帥は、書類に視線を落としたままのユウにチラッと視線を向けると、机に頬杖をついた。
「それで? どうして君が写真しか見たことのない人間のために動こうと思ったんだ?」
穏やかな声ではあったが、統帥の瞳が剣呑に光っているのを見つけて、ユウは思わず息を呑む。それを見て、統帥は確信を得たのかため息とともに、彼女の唯一の親友である少女の名前を出す。
「……リランのためか?」
口をかたく結んでいたユウは、やがて統帥の威圧に負けたのか諦めて言葉を紡いだ。
「……“シルバー”の婚約者は、リランの知り合いだったの」
「なるほど。優しい君の親友は、知り合いの自殺の原因を君に調べてほしいとお願いしたわけだ」
ユウの言葉を聞いた彼は、皮肉な笑みを浮かべて言った。
「統帥!」
非難するような視線を受けて、統帥は軽く両手を上げて謝罪する。
「悪かった、悪かった。もう言わないよ。君の好きにするといい」
「 ―――― では、失礼しました!」
たたきつけるように言葉を投げつけると、ユウは統帥の執務室から足早に出て行った。
ユウが出て行くと統帥はひとり、椅子に深くもたれて呟いた。
「私以外の者のために動いてほしくはないが……。まあ、それで『Z』がより優秀になるなら、仕方ないな」
『Z』が名を挙げるたび、彼女はこの組織から ―――― 私から、逃げ出せなくなるだろう。
統帥の言葉は静かに部屋の中へ消えていった。
――― 称号、“シルバー”。年齢15才。ツール財閥の次男。成績優秀、スポーツ万能。容姿も整っている。髪は銀色。瞳は淡いグリーン。幼い頃より英才教育を学んでいた。人をまとめる能力は有望だが、他人を信用しないところがある。
今年、資産家メレル氏の長女、ローリア=メレルとの婚約が決まっていた。しかしローリア嬢は自殺。原因は、不明。
「原因は、不明ね……」
廊下を歩きながら、ユウは読んでいた書類に書かれてある最後の一行を声に出した。
「ホントはそのままの方が、いいと思うけど」
だが、ユウの脳裏には親友のリランの姿が浮かんでいた。
『彼女が自殺するなんて、よほどのことがあったのよ! お願い、ユウ。調べてッ!』
あまり頼みごとのしない親友の願いを、断れるわけがなかった。まして、彼女に頼られることが嬉ければ尚更。それに断れば、自分で動きかねない。大切な幼なじみをそんな危険なことに巻き込むわけにはいかないし……。
「……リランに教える前に、片をつけとけば彼女の悲しみも減るよね」
他の誰が傷ついても、リランだけはあまり傷ついてほしくない。
そんな思いがユウの心をかすめる。
「“リーダー”?」
会議室のドアの前で立ち止まっていたユウに、背後から“シルバー”が声をかけてきた。
「どうかしたんですか? そんなところで立ち止まって」
「今回の任務についてちょっとね、考えごと」
“シルバー”が次になにか口にする前に、ユウはさっさとドアを開けて中へ入って行った。
彼は首を傾げながらも、後に続く。
「……えっ?」
会議室の中へ入った“シルバー”は驚きに目を見張った。
そこにいるはずの銀の騎士団員たちが、誰一人として来ていなかったからだ。
「連絡はしておいたはずでしたが……」
思わず腕にはめている時計を見る。時間も正確に伝えておいたはず、だ。
「ああ、ごめん。今回は私と“シルバー”だけでやるから、団員たちには待機しておくように言っておいたの」
「……なにを企んでるんです?」
警戒するように“シルバー”が言う。
「んー? 別に、今回は二人だけで十分な任務ってだけよ。企むなんて人聞きの悪い」
探るような視線を送ってくる“シルバー”を無視して、ユウは任務の手順を話しだした。