■ Black angel01 ■
とんとん。
机の上を軽く指で叩きながら、統帥は書類に目を通していた。
「学科全て、運動能力ともにオールA。それぞれの教官による見解も全員A、問題はないようだな」
嬉しそうな含みをこめて言うと、『ユウ=クレイス』という名前の書かれたそれを前に立っているゴールドに渡した。
王室守護隊「Z」の教官は一癖も二癖もあるものたちが多く、授業内容ともにAをひとつもらうことさえ、奇跡だといわれている。歴代の「Z」の団員、統帥を初めとして、全てにおいてAを取れたことがある人物は一人だけだった。
「最年少で、というところも同じですね。まったく、貴方にしてもユウにしても末恐ろしいですよ」
「Z」団始まって以来の最年少でオールA取得者、統帥は呆れたように肩を竦めるゴールドにふっ、と笑みを浮かべる。
「上が優秀なら、君たちも働きやすいだろう?」
「それはそうですけど ――― って、まさか!」
頷きかけて、統帥の含みのある言葉に気づくとゴールドは弾かれたように統帥の顔を見た。
彼の言いたい言葉がわかっていた統帥は口の端を上げる。
「彼女を例の候補にあげようと思ってるんだが、どうだ?」
ゴールドは驚いた顔つきをしていたが、すぐに苦笑を零した。
「気のせいですか? 問いかけでありながら断定されているように聞こえるのは」
恐らく、ユウが入団したときから考えていたのだろう。もっといえばそのために入団させたともいえる。
統帥の思惑が読めて、ゴールドは呆れながらも、賛成の意を示すように笑顔で頷いた。
「きっと今までにない活躍をしてくれるでしょうね。これでZも風通しがよくなりますよ。ですが、」
統帥はふと途切れたゴールドに訝るような視線を向ける。
「優秀なことはおいて、貴方が候補にあげる理由は他にもあるんじゃないですか?」
他の団員たちよりは統帥に接する機会の多いゴールドは、それ以外にも理由があるような気がした。
統帥は「決まってるじゃないか」と、当然のような表情を浮かべながら隠すことなく堂々と言い放つ。
「 ――――― 傍にいたいからだよ」
事実か嘘か掴み取れないその言葉に、ゴールドは思わずため息をついた。
それにかまわず統帥は腕にはめている時計で時間を確認する。
「そろそろ昼だな。ユウと一緒に食べにでも行くか」
彼女の予定を確かめることもせずにそう決めて、椅子から立ち上がろうとする統帥に、「すみません」とゴールドが申し訳なさそうに言う。
「残念ですが、実はユウは昼から2時間ほど外出届けを出しています」
ぴくり、と統帥の眉が動く。
「…………受理したのか?」
先ほどまでの上機嫌が一転、不機嫌なものに変わる。
(統帥はユウの怒った顔がなお美しい、と言うけど、この人も怒った顔は綺麗なんだよな)
最もその不機嫌さに気づかず、近づいたら最後だが。
飛び火がくる前にゴールドは先回りをして言った。
「次回からは気をつけるように言っておきます」
「頼むよ」
椅子に座り直して、統帥がそう言うのを聞いてからゴールドは一礼をして部屋を出て行った。
扉が閉まると、統帥は椅子に深くもたれる。綺麗な長い指を組むと、息をついた。
(暫らく訓練所にこもっているかと思えば、こんなことを企んでいたとはね。)
帰ってきたら身の程を思い知らせておくべきか。
統帥は思案するように目を閉じた。
シリア王国は歩行、自転車は勿論、自動車、国内電車、馬とあらゆる移動手段が使われている。それぞれの専用道路があり、自動車と馬は免許を持っていないと乗ることができない。
最も一般の道路を馬で横行できる資格を持てる者は少なく、100人受けても1人通るかどうかというほど難しい。
自動車にしても、テロリストがいるこの国では資格を取得できる年齢17歳になったからといって乗れるものでもない。まず書類審査から始まって、厳しい訓練校の授業内容を終え、試験に合格してようやくもらえる。
免許証は鍵となっていて、車の指定された場所にはめ込み本人のものと照合し、乗ることができるという仕組みになっている。暴走行為を行った場合、すぐに免許は剥奪され二度と取れなくなる。このシステムのため、現在の国内の事故率はほとんど0%だった。
ユウは一般道路を愛馬である白い毛並みの美しい『リファード』に乗って進んでいた。
白馬に跨るユウのまるで女神のようなその凛々しい姿に、行き交う人々は感嘆の息をついて、暫らくその場に立ち止まり眺めていた。
そんな注目にもまったく気がついていないユウは、腕にはめている時計を見て白馬に話しかける。
「リファード、ちょっと急ごう。リランとの約束に遅れそうだから」
主のその言葉に頷くように、リファードは足を速めた。
王宮のある首都から馬で1時間はかかる郊外にユウの目指している屋敷はあった。
騒がしいことを嫌う「伯爵」の位を持つこの屋敷の主人を始め、その奥方、子どもたちとユウは、まるで本当の家族のように接していた。本当の家族よりもいつも暖かく、家族そのものとして迎えてくれる彼らをユウは心から愛している。
玄関口で馬を降りて、玄関に向かいドアを叩く。
「いらっしゃい、ユウ」
ドアはすぐに開いて、幼馴染のリランが姿を見せた。
抱擁を交わしてから頬にキスを送る。
「ユウ ―――――― ッ!! いらっしゃぁ ―――――― いっ!」
途端、ユウとリランより6才下の双子が待ち構えていたかのように走ってくる勢いのまま、
抱きついた。
ユウは二人の目線に合わせるために、座って二人にキスを送る。くすぐったそうに二人はそれを受け止めて、嬉しそうに笑顔を見せた。女の子であるシャイラが、好奇心いっぱいに目を輝かせて言う。
「ねっ、リファードと遊んできてもいい?」
「いいだろう? お願いだよ」
同じように続けて、男の子のカイラも無邪気な目を向けて聞く。
ユウはその微笑ましい姿に苦笑を浮かべた。
「いいよ、気をつけてね」
二人はユウの了承を取ると、すぐにリファードのほうへと駆け寄って行った。
その後ろ姿にリランが声をかける。
「外の道路はダメよっ、庭だけだからね!」
「リラン。心配しなくても、リファードは庭から出ないよ」
リファードは訓練された馬でもあるが、主人に似たのか、もとから頭がとてもよく、ユウ以外の人間を乗せようとはしないし、懐くこともしない。唯一、ユウが心を許すリランやその家族たちと遊ぶときには一緒に駆け回ったり触れさせたりするが、乗せてもゆっくりとした歩調で庭内をぐるぐると回るだけだった。
「それもそうね。じゃあ、ユウ。2階のベランダの方にお昼を用意したから、一緒に食べよう」
ユウに向かい直ったリランはその手を引いて、2階へと誘う。
「おじさんとおばさんは?」
階段を上りながらユウが訊くと、リランは呆れたように肩を竦めた。
「パパは王宮に急な仕事。ママは侍女たちを引き連れて街の方に買い物に行ったわ」
「残念、会いたかったのになぁ」
がっかりした声で言いながら、温かい手料理が所狭しと並んでいるテーブルと対になっている椅子に座る。
「そうよ、とーっても久しぶりにユウが顔を見せにきたっていうのに」
笑顔で「久しぶり」という言葉を強調されて、ユウは苦笑する。
「ごめん、なかなか抜け出せなくて……」
「でも、おかしいわよ。Zの規則では外出届けさえ出せば、一日に2時間は訓練所から出られるって聞いたわよ。それに手紙っ! ぜんぜん返事を書いてくれないなんて!」
一週間に一回は近況を書いた手紙を送っていたリランとしては、同じようにとは言わないけれど、せめて1、2回くらいは返事を書いてくれても、と思っていた。
手紙が来ていないか、学校が終わってすぐ帰ってきてポストを覗いてはがっかりしていたから。まして、返事を書くと約束をしていれば尚更。
「……え? 手紙?」
呆然とした顔つきでリランを見るユウは確かめるように問いかける。
「そう、手紙」
繰り返して頷くリランを見てユウは言葉を失った。見る見るうちに顔が青ざめていく。それを見て、リランは不安そうに訊く。
「 ――― 書いたの?」
「書いたよ、手紙っ、ほんとに届いてないの?!」
リランを疑うわけではなかったが、ユウもどんなに忙しくても徹夜してでも書いていたときがあって。外出は無理だったから、寮の人に頼んで送ってもらったはずなのに、お互いが手紙を出して、届いていないという。
「……あっ!」
可能性に気づいて、ユウはため息とともにそれを口にした。
「統帥……」
リランの眉がピクリと跳ね上がる。
テーブルを挟んで座っている向かい側からユウのほうへ身を乗り出して、リランが言った。
「ユウッ! いったい訓練所でどういうことになってるの?!」
家族同然の存在であるリランに心配はかけたくなくて、ユウは逡巡するように視線を逸らそうとしたが、まっすぐと見つめてくる目と厳しいその表情に嘘はつけず、正直に口を開いた。
「外出届けを出すには寮長と教官の誰かの印が必要なんだけど、統帥に命令されてるのか、私が出そうとすると、必ずどちらかが忙しくしてて押してくれないの」
「今回は?」
ユウは肩を竦めて悪気ない表情で言った。
「隙を見て印鑑を持ち出して勝手に押してきた」
――― それしか方法がなかった。他の見習い生は運がよければほとんど毎日でも許可がもらえるのに。
今日、あの場所から外に出られずリランに会えなかったら、自分でも限界だった。
「電話もね。寮の各部屋についてるはずなのに、私の部屋だけついてないし。全員が統帥の味方で、絶対に貸してくれないから」
だからせめて、手紙くらい ――― 。そう思っていたのに。
そこまで手が回っていたとは。
「なんて男なの、統帥って! それって犯罪 ――― 」
「リランっ!」
リランの言葉をユウは遮った。
「でも!」
不満そうに続けようとするリランに、ふっとユウは微笑んだ。
「親の承諾のもと私の身柄は統帥に預けられてるの。どう足掻いても、その事実がある限り、どうすることもできないから」
ユウの目の奥に悲しげな光が宿っていることを見つけて、リランはそれ以上何も言うことができなかった。
「……ユウ」
ユウは、気遣うように名前を呼ぶリランに振り切るような笑顔を見せる。
「いいから。私は今日、リランに会えただけで十分。だからね、統帥のことなんて忘れて、楽しもうよ」
リラン以外にはけして見せることのない ――― 統帥が見たら襲ってしまうこと間違いなし ―― の極上の蕩けるような笑顔を広げてユウは言った。
まだ納得はいかなかったが、リランも大切な二人の時間を楽しもうと頷いて、別の話題へと切り替えた。
つかの間の休息をユウは大好きな親友と心から楽しんだ。