■ Dark song01 ■
引き金から手を外して、銃を置くとユウは奮える手を握り締めた。
静まり返った空間で、嗚咽が響き渡る。
「………っ」
感触が消えない。
握り締めた手から赤黒い液体が零れ落ちてくるような気がして、
吐きたくなった。
立っていられずにうずくまる。
許されるのなら、大声で泣き喚きたかった。
自分と同じくらいの年代の子供なら、傷つけば親や身内の誰かに縋りついて、
泣いて慰めてもらうだろう。
だが、いつだって。そんな存在はいなかった。
愛し守ってくれるはずの親も、抱き締めてくれる誰かも、物心ついたときから。
独りだった。
それでも、今まで気にしてきたことはなかったというのに。
ぎゅっ、と身体を自らの腕で抱き締める。
「……けて、」
知ってしまったからだろうか。
なにがあっても、変わらない笑顔を向けてくれる存在を。
何も聞かずに悲しみにあるときは抱き締めてくれて、嬉しいときは一緒に喜んでくれる
そんな存在を ―――― 。
だけど、自らの命より大切となってしまったその存在を闇の中に堕とすわけにはいかなくて。
憐れみの瞳を向けられるのも。同情されるのも、慰められるのもイヤだった。
他の誰かなら、受け流すことはできる。だが、彼女にそんなことをされたら全てが
壊れてしまうだろう。
だからこそ、今はこの暗闇に支配された地下でひとり、苦しみに耐えるしかなかった。
それでも……――― それでも。
「助けて……っ!」
ひとり耐えるにはあまりにも重すぎて。
記憶にある中でけして、口にしたことのない言葉をユウは掠れるような声でもらした。
――― ・・・ ―――
今にも降りだしてきそうな灰色に染まっている空を見上げて、彼は舌打ちした。
「こりゃー、今夜は酷い雨になりそうだ」
ため息交じりに呟く。
「おや、ラムダじゃないかい。今日は早いねえ」
ふと、通りで果物屋を開いている恰幅のいいおばさんから声をかけられた。
人のよさそうな笑みを浮かべている。
「ああ、昨日。徹夜だったからな、今日は早く帰してもらったんだ」
「そうかい、あんまり無理するんじゃないよ。これはサービスだ」
そう言って、数個の果物が入った袋を押し付けられた。
「よく言うぜ。傷物であまってるだけだろ?」
呆れたように返すと、彼女は苦笑した。
「なんだ、いらないのかい?」
「せっかくだから貰っとくさ。サンキュ!」
ラムダはふっ、と柔らかい笑みを零して片目を瞑ると、足早にその場を後にした。
「……憎めない子だねえ」
その後ろ姿を優しい瞳で見送りながら、彼女は呟いた。
「おーい、いるかぁ?」
トントンッ、とリズムよく扉を叩く。
間を置かずに開いて、一人の少女が姿を見せる。
黒色の髪に、同色の瞳が埋め込まれているその顔は幼いながらも美少女と呼ぶにふさわしく、
整っていた。
「……間違いがなければ、あなたの部屋は隣なんだけど?」
とても十三歳という年齢が紡ぐものとは思えないほどの、冷たく響く声が迎える。
だが、気にせずにほとんど日課となっている言葉を続けた。
「いーじゃねえかよ。一人より二人のほうが楽しいだろ」
呑気な口調で言えば、それ以上の言葉を呆れ返ったため息に変えて、彼女は部屋の中に
戻っていく。それが了承であることを半ば勝手に思っている彼も後へと続いた。
「ほら、そこの通りのおばさんがくれたんだ。食うか?」
勝手知ったる他人の家とばかりに、果物の入った袋をテーブルに置いて、
上に乗っかっていたリンゴを取り、窓辺に立つ少女に投げる。
彼女は落とすことなく受け取ると、ためらいなくかじった。
「うまいだろう?」
得意げに声をかける。
少女はそんな彼を一瞥しただけで、すぐに視線を外へ戻した。
やれやれ、と肩をすくめて自分もりんごを片手にかじりながら彼女の傍に
歩み寄る。
「なんか面白いものでもあるのか?」
ひょい、と少女の身体越しに外を見る。
「……面白いものね」
小さく呟かれた彼女の声は、それでも彼の耳にしっかりと届いた。
揶揄するような響きがあるその口調に眉を顰める。
「なんだよ?」
問いかけながら、彼女が見ている方向に視線を向けるが、それらしいものは
見当たらない。
もうすぐ雨が降り始める気配があるせいか、前の通りには人の姿はなかった。
「これをくれた果物屋さん、もう閉めちゃったみたいね」
ふと、少女が口を開いた。
言われて店があった方を見れば、確かにシャッターが下りている。
「まあ、こんな天気だと人も外に出ねえし。儲からないんじゃねえか」
どうでもよさそうに言うと同時に、ぽつぽつと雫が窓にあたり始めた。
最初はまばらに。
だが、次第に強く。激しくなっていく。
「なあ、そろそろ飯にしようぜ。腹減ったんだ」
「……だから、貴方の部屋は隣でしょ?」
ふたたび繰り返す少女に、優しく微笑むと同じ答えを返す。
「一人より、二人のほうが楽しいだろ?」
苦笑を刻んで、少女はいつものように「勝手にすれば、」と肩をすくめた。
なぜ気になるのかは、自分でもわからなかった。
突然、隣に引っ越してきた少女。
まだ十三歳という本来なら、保護者が必要な年齢でありながら
身内らしいものがいるわけでもなく。
大人びた少女の姿に興味を引かれた。
今まで他人に対してそんなものをもったことがなかったのに。
十も下でありながら、それを感じさせない少女の魅力に捕らわれた。
誰かに執着を持つのは危険なんだが……、それにしても。
スープを口に含みつつ、彼は頬杖をついて深いため息を漏らした。
「……俺、ロリコンじゃないんだけどな」
「なに、それ?」
即座に問われた声にハッ、と我に返る。
「ああ、いや……、なんでもない。っておまえ、またそれだけで済まそうとする!」
自分の目の前に置かれているパンやサラダ。パスタには一切、手をつけようとせず、
量の少ないスープにだけ口をつけている彼女に目ざとく気づいて声をあげた。
「だって……、さっきりんごを食べたし」
「あのなっ! 成長期だろうが! あれだけで立派に育つと思ったら大間違いだぞ?!」
声を荒げて言うと、彼女は聞こえよがしに大きなため息を吐いた。
「…………余計なお世話」
そう言って、またスープに口をつける。
「お兄さんは悲しい。せっかく新鮮な野菜を購入して豪華料理作って『お兄ちゃん、嬉しいわっ!
私こんなに美味しい料理を食べたの初めてよッ! お礼にチュウしちゃう』って
言われるのを……ブッ!」
いきなり固いフランスパンを顔面にぶつけられた。
ずきずきと額が痛む。
「いつから私たちが兄妹になったって?」
「……しくしく。丹精込めて、想いを込めて、祈りを込めて、作ったってのに……」
さめざめと手で顔を覆って、泣く真似をする彼に制止がかかった。
焦ったように少女が言う。
「わかったわよ! 食べる、食べるからもう見苦しいマネはしないで」
「 ―――― 本当か??!」
即座に顔をあげてきらきらと期待を込められた瞳で見つめられて、少女は呆れたように
ため息をつくと置かれているパスタの皿に手を伸ばした。
「…………でも美味しくてもチュウはしないわよ」
念のために刺された釘に、彼は机の上に突っ伏した。