目の前の重厚な扉を前に、ユウはため息をつきそうになった。
この先の部屋がどういう目的で作られたものか知ったときから、出来れば
足を踏み入れたくないと思っていた。
幸いにも、ユウがリーダーになって使われることはほとんどなかった。
――― そう、ほとんどなかったはずなのに。
気分が重い。
統帥と同じ屋敷に住むことになったあの時以上の暗く重い嫌な予感が心を支配していた。
(このまま逃げ出したい……。)
この扉の前に来るまで、何度そう思っただろう。
けれど、同時に統帥の言葉が気にかかった。
『ラムダ=ジュールのことで話しがある』
ラムダの顔が脳裏に浮かぶ。
自分がリーダだとわかったときのあの、驚いた表情が忘れられない。
他人が何をどう思おうとかまわなかった。傷つくのは慣れていたし、それ以上に
傷つきたくなかったから。
だけど、どうしてだろう。ラムダに「裏切り者」と言われることが悲しい。その姿を思うだけで、
胸が痛むほど苦しんだ。
それでもどうしたって、自分は統帥の命令を跳ね除ける方法を持っていない。
扉を開けるために取っ手に手をかける。
重厚なその扉は開けるのに力が必要で、両手で押すとギィと嫌な音が響いた。
「失礼します」
短く言って中に足を踏み入れた。
瞬間、ユウは息を呑む。最初に目に入ってきた人の姿に ―――― 。
「ラムダっ?!」
部屋の中央に、電気ではなくロウソクの明かりに照らされたラムダが、椅子に拘束されていた。
手は椅子の背もたれに回され、手錠をかけてある。足も椅子の脚に縛られている。
薄暗い部屋を灯すのは、壁に飾られているロウソクとラムダの側に置かれている
ロウソクの明かりだけ。
ラムダは項垂れていた顔を上げた。
「…………ユウ?」
いつもの彼特有の明るい呼び方ではなかった。それでも名前を呼ばれたことに、ユウは
泣きそうになった。側に近寄ろうとして、二人の間に影が立った。
「来たね、ユウ。では始めようか」
統帥が嬉しそうな口調で言った。
始めようか ――― 。
その言葉にユウは絶望にも似た感情を抱く。
主語のない言葉でも、そう言われた瞬間にラムダの姿を見て忘れていた事実を
思い出したからだ。
ここが『処刑室』だということを。
「…………っ?!」
驚いて目を見開いたユウに、言い聞かせるような口調で統帥は言った。
「処刑だよ、ユウ。わかるだろう、その意味は」
「てめぇっ、なに考えてんだよっ?!」
椅子に縛られたままで、ラムダは叫んだ。
けれど、かち合った統帥の視線に身体が竦む。氷のような冷たさを宿した眼差しが
突き刺すように貫く。
「罪人の処刑はときとして、リーダーの役目になることもある。当然だろう、リーダーは全ての
役目を担っているのだから」
わかってる。
実際にこの手を汚したことは、ないわけじゃない。
それでもユウの手は震える。
『できない』
縋るような視線をユウは統帥に向けた。
それに気づいて、統帥は苦笑を浮かべる。それは我侭な子どもを宥めるような表情で。
ぞくり、とユウの背中に悪寒が過ぎった。
(――― そうだ。一度言った言葉をこの人が取り消すわけがないのに。)
ユウは視線をラムダに向けた。
それに気づいて、ラムダは口を閉ざす。
重なり合う視線。互いの心を探りあうかのように、見つめ合う。
けれど、探し出す前に統帥の声が遮った。
「ユウ、私は二度は言わないよ?」
その口調は低く、言いながら統帥は銃を握らせた。
ユウの背後に回って、両手で引き金を持たせると、狙いをラムダにつけさせる。
そのまま、自分は身を引いた。
壁際により、背中を預ける。統帥にはわかっていた。ユウは逆らうことがない、と。
統帥の思惑を他所に、ユウは自らが握る銃の感触に吐き気がこみ上げてくるのがわかった。
これほど、この銃を重いものだと感じることは今までなかった。
「……ユウ」
静かに名前を呼ばれて、ハッと我に返る。ラムダを見ると、彼の目にもまた苦しそうな光が
宿っていた。迷うように視線を彷徨わせていたけれど、ゆっくりと瞼を伏せる。
(……言わないで)
何を言われるのか、わかったような気がした。
その予感を振り払うように、頭を振る。
( ――――― 言わないで!)
ラムダは目を開けると、意を決したように告げた。
「俺、おまえに会えてよかった。だからさ、おまえも後悔してんじゃねえよ、ばーか」
視界が歪んだ。
いつもの、変わらないラムダの口調。そのままで、告げられる。
「撃てよ。俺はお前の楔になんてなりたくねえんだ。撃て、撃つんだっ!」
その言葉にユウの心の何かが壊れていくような気がした。
銃を構えていた手を下ろして、静かに首を横に振る。呟くように言った。
「…………撃てない」
とん、と肩に手を置かれた。
恐る恐る視線を向けると、統帥がうっすらと笑っていた。
仕方ないな、という表情で。
思わず身を引きかけたユウの身体を後ろから押さえて、もういちど銃を構えさせた。
「統帥! やめてっ! イヤ、イヤっ!」
抵抗しようと思っても、できなかった。
引き金にかかる指が重なる。
「リランをこうされるより、マシだろう?」
耳元で囁かれる言葉。
ひたすら首を横に振って、拒絶していたユウの動きが止まった。
信じられないものを見るように統帥の顔を見る。
青い瞳にはどこまでも冷たい光が浮かんでいて、ユウはそれに引きずられるかのように
小さく息を呑んだ。
『リランをこうされるより ―――― 』
統帥の言葉が頭の中で繰り返される。
まだ形になっていないもの、と。
何よりも大切だと自覚しているもの、と。
ユウがどちらを選ぶかは統帥には手に取るようにわかっていた。
「……知らなかったよ、全ての者から敬愛されてる統帥サマがここまで狂ったヤツとはね」
ラムダが睨むように統帥を見て、言った。
「それはそうだろうね、知った者は死ぬのさ」
その言葉にラムダはハッとなってユウに視線を向けた。
もう、そこには覚悟を決めた光を浮かべる姿があった。
きっかけは「リラン」と言った統帥の言葉。
もっと時間があれば、―――― こんな出会い方でなければ。
ユウの気持ちを簡単に決めることが出来るその存在に会わせてもらうことが出来ただろうか。
そうして3人で、楽しく過ごせる日が来ただろうか。
そう考えて、ラムダは思い出した。
一瞬で捕らわれた、あの時計台で何かを思い出し、微笑んでいたユウの姿を。
きっとあれは ―――― 。
ラムダは笑みを浮かべて、まっすぐにユウの目を見つめた。
「俺さ。お前の、本当の笑顔が ――――― 好きだ」
もういちど、見たかった。
バァ ――――――――― ンッ!!!!
最後の言葉は紡ぎだされる前に、銃声にかき消された。
引き金をひいたのが統帥か、自分か。
ユウはわからなかった。
動かないユウから身体を離して、統帥は壁際にあるボタンを押した。
項垂れて呼吸をしていないラムダが椅子に縛られたまま、床の下が空いて落ちていった。
たちまち塞がる。
「30分の猶予をやろう。それまでに硝煙の匂いを落として、私の部屋までおいで」
そう言うと、統帥はまるで何もなかったようにユウに背を向けて部屋から出て行った。
『 一人より二人のほうが楽しいだろ? 』
『 なんだ、そんな表情もできるんだな 』
『 ちょっくらデートでもするか 』
『 美味しいだろ? 』
『連れてってやるよ ―― 、桜見に』
『 後悔してんじゃねえよ、ばーか 』
『 お前の、本当の笑顔が』
『 ―――― 好きだ 』