雨のち晴れ。ときどき、嘘つき。
雨のち晴れ。ときどき、嘘つき。(5)
ほんの少しの沈黙のあと、睦兄は握っていた手をそっと抜いた。離れていく温もりの意味を言葉で告げられるよりも理解して、胸に鋭く痛みが走る。愕然とした。やっぱり、受け入れられなかった。諦めるしかないのはわかっているけれど、不思議と告白したことに対する後悔の気持ちはわきあがらない。むしろ、心はとてもスッキリしていて晴れやかだった。
困らせてゴメンね。でも言っておきたかった、そう最後に告げようと顔をあげる。意外にも睦兄のキレイな顔が間近にあってびっくりした。
「……っ、むつ、」
「郁斗に言われたんだ……。無様でも本音を伝えろって。僕にその資格があるのかはまだ、わからないけど」
一瞬強い力に引き寄せられて、気がついたときには、睦兄に抱き締められていた。背中に回る腕と頬に温かい胸を感じて心臓がこれ以上ないほど速度をあげる。いつも優しい睦兄とは違う、男の人という感覚を実感させられた。
「僕も、佳澄を愛してる」
耳元で囁かれた真剣な声と言葉に、たちまち頬が熱くなるのを感じる。喉まで出かかった、嘘だという言葉も、家族としてなの、という疑問も、口に出せずに飲み込む。それを言うには、睦兄の声はあまりにも熱がこもっていて。
恥ずかしさを誤魔化すように、睦兄の胸元の服をぎゅっと握って拗ねるように言う。
「 ―― っ、取り消させない」
「取り消さないよ。佳澄が幸せになるためなら手放せると思った。だけど結局は手放せないであがいてた。その瞬間から、もうおまえを家族としてじゃなくて、愛する女性として想っていることに気づいたんだ。罪が消えることがないのはわかってる。それでも、おまえが……佳澄が許してくれるなら、傍にいてくれるなら」
――― 愛してくれるなら。
優しく入り込んでくる声は、とても甘くて、心にゆっくりと、沁み込んでくる。
「この手を、ずっと繋いでいたいんだ」
私がさっき包み込んでいた手を今度は睦兄が握った。重なり合う手の平から、温もりとお互いの想いが伝わってくるようで、それは胸を熱く焦がしていく。
「……心から、そう望んでくれてるの?」
睦兄の言葉に嘘があるとは思えない。だけど、ずっと不安だった。私が望むなら、いつもそう口にしていたから。じゃあ、睦兄の気持ちはって、心の中で問いかけてた。今までは声に出せなかったけど、この瞬間、自然と零れ落ちていた。
どんな表情も見逃したくなくて、不安に苛まれながら、じっと顔を見上げる。見つめ返してくる睦兄は、なぜか頬を緩めて、笑った。
「ずっと、……僕はもうずっと長い間それだけを望んでいたよ」
「睦兄……」
心のこもった返事に、想いが喉にこみあげてくる。堪えきれずに、涙が溢れてくるのを感じた。視界が歪んでいくなかで、睦兄が困ったような顔をする。手を伸ばし、そっと涙を拭ってくれた。
「ここで、誓うよ。僕は必ず佳澄を幸せにするって」
「……義務じゃなくて?」
照れ隠しもあって思わず発した言葉に、睦兄は驚いたように目を見張った。
しまった。慌てて自分の口を手の平で覆う。
恐る恐る睦兄の顔を見ていると、以前お墓で話を聞いていたことを悟ったのか、納得したような表情を浮かべて、すぐに勿論、と頷いてくれた。
「家族としての義務じゃなく、ひとりの男として、ひとりの女の子を幸せにするという権利を得たんだ。だから、これは約束だよ」
「じゃあ、私も約束する。睦兄を幸せにするって」
にっこりと笑うと、睦兄は苦笑した。その目には嬉しさに煌く光があって、私も嬉しくなる。まっすぐ見つめて微笑むと、睦兄の手の平が頬に触れた。近づいてくる顔に、そっと目を閉じる。
最初は戸惑うように触れた唇は、これまで抱えてきた切なさを含んでいて、それだけで離れてしまうことが怖くてぎゅっと睦兄の首に抱きついた。自分から深く、重ねる。観念したのか、それとも。わからないけれど、抱き締めてくる睦兄の腕に力がこもって、更に口づけが深まった。
「……佳澄には敵わないな」
唇を離して、睦兄が諦め混じりの口調とは裏腹に、頬を緩めて言う。私はそれに得意げな笑みを返した。それから、睦兄の手をつかんで握る。
「睦兄……一緒に帰ろう」
私達の、家に。ふたりの居場所に。
想いを込めて見つめると、安心したように、嬉しそうに笑って、そうだなと頷いてくれた。
「帰ろう、ふたりで」
そう言って、私の手を強く握り返してくれた。
◆
あれから、私と睦兄は家に帰って、いつものように暮らしている。
睦兄は仕事があるし、私は学校。ふたりの間で取り決めた約束もなにも変わらない。睦兄は夜中までには帰ってくるし、朝は必ず見送ってくれる。私も門限は守るようにしている。それに、やっぱり。
―― 雨の日は嫌いだし。
だけど、ほんの少し、変化もあった。
たとえば雨の日。
「かーすみー。起きないと遅刻しますよー」
外に聞こえる雨音に気分が重くなるのを感じて枕に顔を埋めていたら、耳元でそんな声がした。ばっと顔をあげると、いつのまにかベッドに座って見つめてきている睦兄の姿があった。
「睦兄っ! 不法侵入っ!」
恥ずかしさを怒りで誤魔化して鋭く指摘すると、そんなことお見通しとばかりに睦兄は肩を竦めた。
「油断する佳澄が悪いんだよ」
しれっと言って、さっと顔を近づけてきた。
我に返る前に、ベッドから立ち上がって、さっさとドアへと踵を返す。まるで羽が触れたような一瞬の感触に、思わず唇に触れる。実感するよりも先に、睦兄がドアのところで振り返った。
「これで少しは気分も軽くなるだろう?」
悪戯っぽく笑う睦兄に咄嗟に枕を投げつけた。それはすぐに閉まったドアに遮られて、ぽすんと床に落ちていく。
もう、雨音を聴いても。雨の日でも、あの夢を見ることはなくなった。見なくなったからといって、過去が消えるわけじゃないけれど、私も睦兄も前に進んでる。これからだって、一緒に生きていく。
ベッドから起きて、カーテンを一気に開ける。
薄暗い雲。窓を流れていく、水滴。見下ろす景色に降り注ぐ雨。その光景は、ほんの少し優しくて、悲しみも含んでいる。だけど、ベールに覆われていた心は今の景色とは裏腹に、とても晴れやかなもの。だって、晴れの日も、雨の日も、私は変わりなく、睦兄との日々を刻んでいくんだから。
「佳澄! 朝御飯食べるよー!」
ドア越しに睦兄の明るい声が聞こえてくる。
はーいっ、と返事をしながら、ほんの少し変わった関係に浮き足立った気持ちになって、部屋を後にした。
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