「よーやくお戻りくださったか、偉大なる精霊使いサマよー」
一番に自分を出迎えてきた男の言葉に、アルベルトは眉を顰めた。ムッとした不機嫌な顔をそのままに、応じる。
「俺はもうここの者じゃないと何度言えばわかるんだ? いちいち呼び出すのはやめろ」
乗ってきた馬からひらり、と地面に降り立つ。身なりを整えると、載せていた荷物を手に取った。
アルベルトの不機嫌を受け止めて、男はからかってる場合ではないと気づいたのか、情けなさそうに表情を歪めた。顔の前で両手を合わせる。
「悪かった! 悪かったって!」
「そう思うなら、頼むから俺のことは忘れてくれ。仕事はきちんとしてるんだからな」
呆れ顔で言って、目の前の建物を見上げる。威圧感を重厚に醸し出すその姿にため息がもれた。
「……わかってるけどよー」
しょうがないだろ、と言いたげな男はふと気がついたように言う。
「で、今回はどんだけいてくれるんだ? 二週間? 三週間? 一ヶ月とかいてくれちゃうと、俺が助かるんだけどなー」
にまにまと嬉しそうな顔をする男をちらり、と一瞥して。アルベルトは門に向かいながら、短く言い捨てた。
「1日だ。それ以上いるつもりはない」
男の顔が驚きに染まる。
「なっ、なんだよっ! それっ! 冗談じゃないぞ?!」
そんな言葉を背中に浴びながら、立ち止まることなくアルベルトは先を急ぐ。
「もちろん、本気だ」
確かな意思と決意を込めて自分に誓う。
着いた早々でも、アルベルトの頭の中は早く帰ることでいっぱいだった。
建物の中へ足を踏み入れて、慣れた足取りで、アルベルトは一つの部屋へ向かった。
いくつもある部屋の中で一際、重厚な扉に守られている。珍しく、結界まで張られていることに気づいて、アルベルトは訝った。だが、時間が惜しく、躊躇いなく「アルベルトです」と言い切ると同時に扉を開けた。
「……おぬし。結界が張られておるのだぞ。壊すのではなく、解くべきではないか」
部屋の奥で分厚い本を机に広げて読んでいたらしい丸眼鏡をかけて、白い髭を豊かに蓄えた老人が眉を顰めて不満そうに言った。
「面倒でしたから。嫌なら、俺が来たときに解いておけばよかったんですよ」
小さく肩を竦めて受け流すと、アルベルトは悪気のない口調で言った。
やれやれ、と。老人は読んでいた本を閉じると、ため息をついた。
「まさかこんな早く来るとは思わんかったよ。返事が来ていつも3日はかかる距離を1日で、とはの。長距離の瞬間移動でも生み出したか、それとも、普段は怠けておったか……」
「リングル老!」
ぴしゃり、とアルベルトは遮った。
「……お嬢ちゃんになにかあったかの?」
珍しく、いつもの無表情を崩して、冷静な態度とは言い難いアルベルトに、ふと真剣な表情になってリングル老は問いかけた。
ハッ、とアルベルトは我に返る。
「いえ。それより、さっさと用件を言ってください。紙切れ一枚に急用といった筆跡で呼びつけたんだ。重要なことでしょうね?」
そうでなければ、今すぐに帰る。
そんな雰囲気を隠すことないアルベルトの態度に、些か訝りながら、リングル老は「もちろんじゃ」、と頷いた。
「最悪なことが起こった。召還士一族の残党にお嬢ちゃんのことがバレた」
「 ―――― !!?」
告げられた言葉に、アルベルトは絶句する。
『……お嬢ちゃんになにかあったかの?』
さっきの言葉はそういう意味か。
すぐに冷静さを取り戻して、アルベルトは訊いた。
「居場所も?」
いや、と。リングル老は首を横に振る。
「だが、時間の問題じゃ。まだあの森から出なければ大丈夫じゃろうが、向こうも必死だろうて」
その言葉に、アルベルトは舌打ちする。無意識に。
あれほどの嫌な予感はここにあったのだ。
「だったら、俺を呼び寄せるな。傍を離れたら危ないだろう?!」
苛立ちをぶつけるように言うと、アルベルトは即座に踵を返した。
その背中に制止がかかる。
「おぬしを呼んだのはこれを渡したかったのと、確認をとるためじゃ」
幾分か、リングル老の口調に威厳がこもる。
ぎくりと、アルベルトは身を強張らせた。手の平を強く握り締める。
リングル老は細身の鞘に入った一本の長剣を手にし、アルベルトの傍まで歩み寄ると、目の前に差し出した。
「誓ったはずじゃ。最悪なことが起こった場合 ――― この剣で、お嬢ちゃん、」
「リングル老!」
「アルセリアを殺すと、」
長年付き合ってきて、見たことがないアルベルトの感情に燃えた瞳を向けられながら、それでもリングル老は言い切った。
「アルベルト。これは契約でもあったのだぞ。それでも、望んだのはそなた ―― そなたたちじゃ」
アルベルトはその言葉に、ふっと笑った。自嘲的に。
切なげに金の瞳が揺れる。
『 ―――― アルベルト!』
脳裏に浮かぶアルセリアの笑顔。
「わかってるさ、」
アルベルトは自嘲するように笑って、呟いた。リングル老に、というよりは独り言のように。
差し出されている剣を受け取る。
「……わかっていたんだ」
そう言ったアルベルトの表情を見たリングル老は息を呑んだ。
アルベルトは入ってきたときとは違って、静かに部屋を出て行った。
独りになったリングル老は年をとって久しく流していなかった涙が頬を伝っていることに気づいた。
幼い頃より、アルベルトには感情というものが欠けていたということはわかっていた。まるで、その代わりとでもいうように。精霊と話すことができた彼はやがて、この大陸一の精霊使いとなったが、滅多にその力を使うことなく、ただ研究に打ち込んでいた。
アルセリアとの出会いが。
彼の環境だけでなく。まさか、欠けていた感情の全てを、引き出すことになっていたとは。
初めて見た。辛く、切なく。苦しげな表情に浮かんだアルベルトの感情を。
「 ――― ティセリア。あの子らを会わせたおぬしを恨むぞ」
こんな運命でなければ、どんなに幸せな気持ちで祝福できたか。
どさり、と。疲れたように椅子に座って、リングル老は机に肘を突くと、その手で顔を覆った。