ForestLond

森を夢見る恋人たち (4)

 森へと帰って来たその日。
 アルベルトは、慌てていた。

 バタバタ、と音を立てながら、館中を走り回る。その表情には、焦燥が現れていた。

「アルセリア! アルセリア!!」

 どんなに必死になって呼んでも、返事はなかった。
 いつもなら、すぐに明るい声で答えが返るのに……。

 精霊たちが伝えてくれた通りだ。それでもアルベルトは自分の目で確認するまで、信じたくはなかった。精霊たちが嘘をつくわけがないとわかっていても。

 ダンッ!
 アルベルトは拳を壁に叩きつける。

「くそっ! あいつ!」

 許せない。彼女を連れ去るなんて……。それも意思に反して、だ。こんなことになるなら、ここを留守にするんじゃなかった。
 だが、どんなに後悔しても遅い。

「わかってるのか。今、アルセリアを勝手に連れていけばどんなことになるか……」
 苦虫を潰したような表情で、アルベルトは怒りあらわに口にした。



 どけ、

 短い言葉だけで、抑えこんでいる怒りを伝えるかのように、アルベルトは前を立ち塞がる衛兵たちに告げた。

 衛兵たちは自分らの役目を忘れて、反射的にさっと身を引く。
 王子が一度、百人もの人間に襲わせた、その結果を。伝説ともいえるその話しを、この国の者はもちろん、王宮に勤めている彼らも知っていた。

 王宮に足を踏み入れたアルベルトは森を出たときより、不安は消えていた。
 アルセリアの気配を感じられるから。
 普段から力を押さえ込んでいるアルベルトにとって、ある範囲以内でないと望む人の気配を感じることはできない。森の中にいた時だって、屋敷内がその範疇だった。
 気配を感じられない。それだけが、アルベルトにとって不安と苛立ちの原因だった。
 会えたときにこそ、その全ては解消されるが。

 どちらにしても、気配があるということは、確かにアルセリアはここにいるということだ。自分で戻ってこないのは、それなりの理由があるに決まってる。

 アルベルトは目を閉じた。

 ―――― アルセリア。森へ帰ろう。
 心の中で呼びかけて、彼女の気配を確かに掴むと、一気に空間を移動した。


『行ってらっしゃい』

 アルセリアと一緒に暮らすようになって、それでも時々、「精霊使い」としての雑務を手伝っていたアルベルトが何日か留守をするとき、出かける前にアルセリアは必ずそう言った。

 初めて、それを聞いたとき。慣れていなかったアルベルトが「照れるな」と苦笑を零すと、嬉しそうにアルセリアは教えてくれた。

『これはね、ちゃんとアルベルトが帰ってきてくれるおまじない。ただいま、ってアルベルトが帰ってこれる場所があることを忘れないためにあるの。そして、私はお帰りなさいって迎えるのよ』

 その言葉に、胸が暖かくなった。
 アルセリアにもらった失えない温もりの、ひとつ。
 かけがえのない、思い出のひとつ。

 だから、いつも忘れずに言う。
 アルセリアのところへ戻ってきたときに。
 懐かしい二人の約束が脳裏に浮かんだ。

 同時に、アルベルトの目の前にアルセリアが現れた。正確には瞬間移動で、アルベルトが彼女の前に現れたのだが。驚いた顔をするのは想像したとおりだった。

 まさか、こんなに早く帰ってくるとは思っていなかっただろう。
 本当に3日で帰るとは。
 自分の身体に相当の負担がかかってることは自覚していた。それでも ――― 。そんなものは苦にならない。

 アルベルトは久しぶりに見る愛しい少女に微笑んだ。
 腕を差し伸べる。

「アルセリア ―――― 」

 ――― ただいま。

 そう言おうとして、アルベルトはアルセリアの表情が驚きから恐怖に染まっていることに気づいた。怯えたような瞳をして、身体が震えている。

「アルセリア?」
 訝りながら彼女の名前を呼んで、一歩近づく。

「 ――― っ?!」

 息を呑んで、アルセリアは一歩、足を引いた。

 もしかしてアルセリアを攫ったこの王宮の奴らに対しての怒りを纏ったままだったろうか。或いは、勝手に森を抜け出したことに怒っているととられたか。
 怖がらせてしまったか、と。
 滅多にアルセリアに向かって本気の怒りを見せたことがないアルベルトは苦笑を零した。

 それでも、いつものアルセリアなら構わず彼を見た途端に、その腕の中へ躊躇うことなく抱きついてくるだろうと。そう、いつもなら。
 そのことにアルベルトは気づくべきだった。

「怒ってないよ、アルセリ……」

「キャアァ ――――――――――― ッ??! 誰か、助けて ――― っ!!!!!!」

 王宮中に響くかのようなアルセリアの悲鳴が、アルベルトの言葉を遮った。

 怖がるように。
 怯えるように。
 床にへたり込んで、頭を抱えて、涙を流して。

 アルセリアは全身でアルベルトを拒否していた。


『ただいま』

 たったひとつの、言葉をアルベルトは見失った。



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