―――― いやよ。
アルセリアはキッパリと返事をした。
あまりに即答だったので、提案したゼムタの思考は一瞬、止まってしまった。
すぐに我に返って、焦った様子で言う。
「なんでさ? 自信がない? 好条件だよ?」
ゼムタの出した条件。
アルベルトの記憶を忘れて、期限内に自分で思い出したらアルセリアの勝ち。すぐ、アルセリアの力を戻して森に帰し、二度と二人の邪魔はしない。
でも、できなかったら。記憶は戻すけど、アルセリアは一年のうち半年はここで暮らすこと。勿論、アルベルトと一緒でも構わない。
不思議そうな顔をするゼムタに、じっと澄んだブルーの目を向ける。アルセリアは「だって、」と。まるで、アルベルトに話しかけるように言う。
「思い出は私だけのものじゃないもの。アルベルトと二人で重ねてきたの。大切な宝物よ。いくら好条件だからって、例え一瞬でもそんなに簡単に自分から手放したくない」
例え一瞬でも ――― 。
その言葉は、たとえアルベルトのことを忘れてもすぐに思い出すことが前提に言われていた。
ゼムタは思わず深いため息をついた。
(わかっているのだ ――― 。)
アルセリアとアルベルトの間に入り込む余地がないことくらい。
それでも、そんなに簡単に諦めることなどできない。だから諦めるために提案したのに、断られてしまった。
知らず、ゼムタは苦笑する。髪をかきあげて、ため息混じりに言った。
「ほんとに ――― 貴女は我侭な人だ」
その言葉に、つん、と。横を向いていた顔でゼムタを見て、アルセリアは嬉しそうに訊いた。
「わかってくれたの? じゃあ、いい加減に力を戻してよ。早く、森に帰りたいの」
あの場所で、アルベルトの帰りを待っていると約束したのだから。
アルセリアが言うと、ゼムタは小さく肩を竦めた。
もともと邪魔者は自分だ。見たいのはアルセリアの悲しい表情じゃなくて、笑顔。
それなら答えはでている。
「仕方ないね。まあ、ムタやラミーアにも散々、反対されたし。ここは諦めるよ」
涙目で詰め寄ってきた兄と、呆れた顔と口調で「やめとけ」と忠告してきた弟、二人の従者 ―― 乳兄弟の姿を思い出した。
「……あんた、もしかしてすっごく暇で、退屈してるとか?」
ゼムタの表情を見たアルセリアが何かに気づいたように、問いかけると、ぽりぽりと彼は頬をかいた。
「失礼だね。まあ、そういうはっきりしたところも好きだけど。――― すっごくヒマ、というのは違うさ。これでも跡継ぎの王子だし。学ばなきゃいけないことはたくさんある。でも、まあ。今のところ、おやじ様はぴんぴんしてるし。することと言ったら、書類整理や他国へのご機嫌伺い。重要じゃないとは言わないけど、毎日そればっかりだと流石にうんざりする」
だから、たまーに。乳兄弟をからかってストレス発散するために、こういう我侭なことをしたくなるんだ。
くすり、と悪戯っぽい笑みを浮かべてゼムタは言った。それを聞いた途端、アルセリアは深いため息をついた。
やっぱり、と。
アルベルトを愛しているからこそわかる。或いは愛されているから。ゼムタが自分を愛しているというのは、どこか真剣に言っているようには思えなかった。
それを言えば、否定されるかもしれないけれど。
きっとゼムタの愛は寂しさや退屈を埋めるためのもの。
だから、言えるのよ。
アルベルトと一緒でも構わない ―――― 。
アルセリアなら言えない。
好きなヒトに。誰かと一緒でも構わない、なんて。
我侭だと言われても。『アルセリア』だけを見てほしい。傍にいてほしい。愛していて、ほしい ―――― 。
でも、ゼムタの言葉が嬉しくないわけじゃない。
好意をもたれることは、アルベルト以外に初めてだったから。
はっきりと拒絶しているのは、曖昧な態度を取れば二人を傷つけることになるし、それは自分が許せない。
だけど、
「 ――― たまになら」
「え?」
ふと、発した声にゼムタは顔をあげた。
「いいよ。そんな勝負しなくても、時々でいいなら遊びに来るから。美味しいお茶を用意していてくれれば私がお菓子作って持っていくわよ。ね?」
息抜きに付き合うわ、と。微笑むアルセリアに、嬉しそうな笑みを浮かべてゼムタは「ありがとう」と頷いた。
踵を返して、ゼムタはどこか吹っ切れたように言う。
「アルセリアの力を封印した呪使いを呼んでくるから、待っててよ」
その言葉に、アルセリアは頷いた。
ゼムタが出て行くと、アルセリアは座っていたベットから立ち上がって、窓辺の方に足を向けた。
王宮の前に流れる細長い河。その遙か先に、目を眇めてようやく見える森。
アルベルトが出掛けてから、今日で三日目は終わる。2,3日中には帰ると、言ったから。もしかしたら、もう帰ってるかもしれない。
有言実行なアルベルトのことだから。
(早く、帰りたい ―――― 。)
焦がれるほどの想い。
約束を破って、館を出てしまった後悔がアルセリアの胸を痛める。
館にいなかったことを怒られるだろう、と。アルベルトの怒った顔を想像して、アルセリアはそれでも自然に笑顔が浮かぶ。
余計に早く会いたい、という焦燥にかられる。
ふと、窓に映ったヒトに気づいて、アルセリアはハッと息を呑んだ。
フードを深く被っていて、顔が見えない。けれど、その中から蒼い瞳が窓に映るアルセリアの顔をじっと見つめていた。
唐突に背後に現れたその姿に、アルセリアの身体が震える。
フードを被った、そのヒトが纏う雰囲気に ――― 。あまりに恐ろしくて。
背筋にぞくり、と悪寒が走った。
「王子から話しはお聞きした。王子の提案を断ると、」
その低い声で、男だとわかる。
心が不安に包まれていくのを感じながら、アルセリアはいちど目を閉じて、勇気を振り絞るように手の平を握り締めるとキッと、力強い瞳を向けて言った。
「納得されたのよ。いいから、早く封印した力を解いて」
その言葉に、男はクスリ、と面白そうに笑みを零した。
「封印した力?」
そうよ、と頷こうとしたアルセリアを遮って、どこか愉悦のこもった含みのある口調で男は続けて言った。
「ああ。精霊使いの与えた力、か。そんなものなくても、おまえには偉大なる力がある」
「…………まさか、」
アルセリアは何かに気づいたように、ハッと声をあげる。
男はすっ、と。アルセリアに近寄った。
怯えた光を瞳に宿すその頬に、手の平をあてる。
「 ―――― 忘れてしまえ」
アルセリアを見つめる蒼い目がきらり、と。煌く。
誘うような声 ―――― 。
「鍵を奪い返し、目覚めよ。―――― 我らが光」
アルセリアはふっと。意識を閉ざした。