ForestLond

森を夢見る恋人たち (6)

 じろり、と。
 三人の男たちに睨まれて、王子はぽりぽりと頬をかいた。

 居心地が悪そうに身を竦ませる。

 無言の抗議に居たたまれなくなって、「だから、」と諦めたようにため息をついた。

「僕はちゃんと解くように命令したんだって」

 その言葉に、いちばん身近にいたムタが今にも泣きそうな顔で詰め寄った。

「だったら、どうして! 彼女はっ! 記憶を失くしてるんですかっ?!」

 知るか、と思わずゼムタは言いかけた。
 状況はいい加減、何度も説明した。流石に責任の半分 ――― 以上は自分にあると思ったから、こと細かく。
 条件を提案したことを口にしたところで、今でも幾分か離れたところで壁にもたれて殺気を飛ばしている青年 ―― アルベルトに殺されかけたが。
 それでも、きちんと説明した。

 涙目で詰め寄ってくるムタにため息が零れる。救いを求めるようにラミーアの方を見たが視線が合うと、彼はすい、と逸らした。

「 ――― 日頃の行いってほんとに大事だよな」
 言い捨てられるように呟かれた言葉がぐさり、と胸に突き刺さった。

「だから言ったんですよ! 身元もわからない呪使いなんて信用しないで下さいって! いいですかっ! 少なくとも貴方はこの国の跡継ぎなんですよ?! 危険なことをするのはやめてくださいっ!!」

 『少なくとも』、という言葉に引っ掛かりを覚えながらも、数刻前に怒りを纏うアルベルトに剣を突きつけられて、喉元を絞められたときのことを思い出して口をつぐんだ。

 あの一瞬は本気で死ぬと、覚悟した。ラミーアが「せめて状況聞いてからのほうが良くないか?」と、救いになるともならないとも言葉を言ってくれなければ、兄から見ても今はまだ幼く、気の弱い第2王子がこの国の跡継ぎになっていたこと、間違いない。

 それが王子に言うことか、と思わないでもなかったが、とりあえずそれで命は助かったため、聞かなかったことにした。

「どちらにしても、」

 今まで沈黙を守っていたアルベルトが、鋭い光を宿した目を向けて口を挟んだ。

「その呪使いが姿を消した以上、アルセリアの記憶を取り戻す方法は、わからないわけだ」

 一言一言に押し殺された怒りが含まれている。

 ラミーアは深いため息をついて、さっきまで兄に詰め寄られていた王子の傍まで行くと、その後ろ襟を掴んだ。

「ラミーア? 王子に何を?」
 訝る兄を無視して、グイッと王子をアルベルトの方に押し出した。

「…………思う存分、やってくれ」
「ラミーアっ?!」

 ムタが非難の声をあげる。いくら王子自身の責任とはいえ、従者 ―― まして、乳兄弟である彼が言うことではない。

「ラミーア! いくらなんでもそれはないじゃないかっ! 僕たちは一心同体! まだよちよち歩きの幼い頃から一緒だったろう?! 悪くも善くも過ごしてきた僕を救うならともかく、殺ってくれなんて酷すぎないかっ?!」

 殺気だったアルベルトの視線から目を逸らして、王子はじたばたとラミーアの手から逃れようと暴れる。だが、しっかりと掴まれていてできなかった。

 アルベルトは厳しい目つきでそれを見ていたが、ふっと張り詰めていた緊張を解くかのように息をついた。小さく肩を竦める。

「……おまえらの茶番にこれ以上、付き合う暇はない」
 そう言って、ゆらりと。壁から身を起こすと、扉の方へ足を向けた。

「どこに行くんだ?」

 王子が真剣な面持ちで問いかける。

 足を止めて、アルベルトは彼に答えるというよりも、自分に言い聞かせるように口を開いた。

「俺のいるべきところはいつだって、アルセリアの傍なんだ」

 慌ててムタが言う。

「けれど、彼女はいまっ、」
「トルムータ!!」

 略称ではなく、名前を呼ばれて驚いたムタは王子の顔を見た。静かに首を横に振る王子に、口をつぐんだ。

 アルベルトは彼らに構うことなく、扉の向こうへ姿を消した。

 部屋の中を沈黙が支配する。それを先に破ったのは、王子だった。

「……ラミーア」
「なんだ?」

 ラミーアが不思議そうな顔をする。
 年齢は自分より遙かに下なのに、背だけは同じ彼に王子は恨めしそうに言った。

「いい加減、手を離すんだ」

 その言葉で「ああ、」と気づいたように、ラミーアは掴んでいた彼の後ろ襟を離した。
 まったく、と呆れながら服装を正す。

「……悪かった。嫌な役をさせて」
 不意に王子は申し訳なさそうに言った。

 ラミーアはちらり、と。隣に佇むムタを見て、苦笑を零す。

「ムタ兄貴には向かないからな」

 王子もムタの方を見る。「そうだね」と、同じように苦笑を零した。
 二人のやりとりに、ムタは不思議そうな顔をする。

「ああでもしなければ、アルベルトは納得しなかっただろう。僕がまだ何か隠してると疑ってね」
 王子がそう言うと、ようやくムタは気づいて頷いた。

「そういうことだったんですか」

 とりあえず弟が王子を見捨ててやったわけではないということに安堵する。それでも、一抹の不安がムタの中にあった。

「……本当に隠してることはないんですよね?」

 確認をとるようなムタの言葉に、王子は「命までかけたのに、あるわけないだろう!」と叱責を返した。ラミーアはため息混じりに呟いた。

「やっぱり、日頃の行ないって大事だな」



 ベットの上に横たわるアルセリアの傍に椅子を持ってきて、アルベルトは座った。
 ―――― いつもなら。

 こうしてアルセリアの寝顔を見ていられるその幸せを。
 いつだって感謝していたのに。
 そっと、頬に手を伸ばす。

 伝わる温もりも。柔らかさも、何ひとつ。触れられるモノは変わらないのに。ただ、アルセリアの中に自分の記憶がないというだけで。
 こんなにも胸が痛む。

「…………俺を、怖がらないでくれ」

 声が掠れる。
 顔を見せた瞬間、アルセリアの瞳に怯える光が浮かんだ。
 触れようとして、振り払われた手。
 その衝撃が今もなお、アルベルトを苦しめていた。全身でアルベルトを拒絶したアルセリアの姿が瞼の裏に焼きついている。

(最悪なことが起こった場合 ―――― )

 思い出したくもない言葉が、脳裏に浮かぶ。
 やめてくれ、と。その幻聴を消すために、アルベルトは頭を横に振り、かすかに呻いた。

(お嬢ちゃん、アルセリアを ―――― 殺す、と)

 それでも、刻まれた言葉は簡単に消えてはくれなかった。
 アルベルトの顔が今にも泣き出すかのように歪んだ。
 胃の中にある全てのものが、押し上げられてくるような感覚。気持ち悪い。吐き気がする。
 自分の身体が思うようにならない。

(それでも、望んだのは…………。)

 ハッ、と。アルベルトは彼女の頬に触れていた手を離した。
 気配がした。
 ゆっくりと、閉ざされていたアルセリアの瞼が持ち上げられていく。
 澄んだブルーの瞳が現れて、思わずアルベルトはため息混じりにその名前を呼んだ。

「アルセリア……。よかった……」

 目覚めたことに胸を撫で下ろしながら、アルベルトはふと、その瞳に映る自分が、自分ではないような気さえしていた。



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