…………遅かった。
後悔に、アルベルトは怒りを覚える。
もう少し早く、駆けつけていれば ――― っ!
悔しさに握り締めた拳がぎりっ、と音を立てる。
「もう手遅れだっ…。召還されし我らが神よ。今ここにその姿を現すがよい!」
祭壇の下から高らかな声が響き、アルベルトは怒りを宿した目を向ける。怒りを纏ったまま、精霊の力を呼び寄せようとして、背筋にぞわりと悪寒を感じた。
圧迫される空気を感じ取って、アルベルトは息苦しさを覚えた。
(……なんだ?)
振り向くと、ゆらりと。
ティセリアを重苦しい空気が包み込むのが見えた。
「……だめだ」
無意識にアルベルトはそう呟いていた。
「ティセリア、だめだ……。それはだめだ……」
悪い予感がする。
まるでアルベルトを何かから守ろうとするかのように、精霊たちがざわりと動き始めた。アルベルトが横たわるティセリアに触れようとするのを遮る。邪魔だ、と振り払おうとして、精霊は更に強くアルベルトを包み込んだ。咽が圧迫されて引きつり、声がうまく出てこない。
「くっ…!」
せめてと、アルベルトは傍にいたアルセリアを抱き込んで守る。
「そうか、おまえは精霊使いの者か……。ちょうどいい。召喚士一族の力の復活の生贄になるがよいっ!」
高らかに笑う男の声が耳障りだったが、アルベルトはティセリアの身体から溢れ出す、周囲を圧迫するような異様な気配からアルセリアを守るのが精一杯だった。
ぎゅっと、アルセリアの身体を抱きしめる。
その瞬間、ティセリアの身体から眩い光があふれ出して、周囲を包み込んだ。
目を開けていられずに、アルベルトはアルセリアの身体をかばいながら強く目を閉じる。
だが、不意にふわりと。空気が揺れたことに気づいた。
温かいぬくもりを感じる。
『 ――― アルベルト』
そう呼ばれて、アルベルトはハッと目を開けた。
目の前で、微笑むティセリアの姿を見つけて、息を呑む。知らず、アルセリアを抱きしめる腕に力がこもる。
『大丈夫よ。まだ、……私だけではあの男の望みは叶わないの』
どこか悲しげに、ティセリアが言う。
「それは……」
ティセリアの言葉が引っかかった。『私だけでは』――― それが意味するところを、アルベルトはすぐに察することができた。
ティセリアは口を開こうとするアルベルトを遮って、微笑みながら言う。
『私は幸せになって欲しいの』
その視線が、アルセリアに向かっていることに気づいて、願うような口調に、アルベルトはしっかりと頷いた。
「約束する。アルセリアは必ず、俺が守る」
嬉しそうな光が、ティセリアの瞳に浮かんだ。そっと、アルベルトの頬に手が伸ばされる。
淡く透けているその手の感触はないけれど、それでも優しいぬくもりを感じたような気がして、アルベルトは目を閉じた。
『 ――― 貴方が望んでいるもの全てあげる』
ふと、そうティセリアが言う。
アルベルトは目を開けて、眉を顰めた。
「俺は何も望んでなんていない」
だが、ティセリアはそれには何も答えずに、優しく笑って続けた。
『だから、約束よ。私の二の舞を踏ませないで。真実を隠さないで』
ゆっくりと、ティセリアの身体が光の中に溶け込んでいく。
「ティセリア!」
引き止めたくて、アルベルトは叫んだ。
『貴方が望んでいるもの。全ては ――― その先に、あるから』
最後にそうアルセリアの声が聞こえた瞬間、周囲に溢れていた光が収まっていく。
気づいたときには、目の前にあったティセリアの身体は消えていた。
周囲を圧迫していた空気も消えて、ざわついていた精霊の動きも止まっていた。
「なっ…なんでだっ??! 巫女の血は確かに捧げられたのにっ!」
「なぜ神はっ!」
いつのまにか祭壇の下に集まっていた人々が、驚きに声を上げる。
アルベルトはそっと、アルセリアを地面に横たえた。
ティセリアの姿が見つからなければ、きっと彼女は泣くだろう。
( ――― 寂しい、と。悲しいと。)
そんな思いをさせる原因を作った人間がアルベルトには許せなかった。
大切なものを傷つけて、なお自分たちのことしか考えていない人間が。
ぎっ、と強く拳を握る。ぽたり ―― 一筋の赤い血が流れ落ちた。
――― 滅びてしまえばいい。
アルベルトの頭の中は、ただそれだけが浮かんでいた。
目の前の惨状に、リングル老は息を呑んだ。
周囲を漂う血の匂いに気分が悪くなりそうだった。
そのなかで、呆然と立ち尽くしているアルベルトを見つけて声をかける。
「アルベルト……。おまえは……」
話しかけようとするリングル老を無視して、アルベルトは祭壇に踵を返した。
「待たんか、アルベルト!」
階段を上り、精霊によって優しく守られて横たわっているアルセリアの小さな身体をそっと、抱き上げる。
「アルセリアを守りたいんだ……」
ぼそり、と願うようにアルベルトはそう零す。
「だが、アルセリアは召喚士一族の巫女 ―― ティセリアの娘」
「だから? だからなんだっていうんだ。アルセリアは、アルセリアだ」
静かな口調で言うアルベルトは譲らないという決意を表している。
深いため息をついて、とん、と持っていた杖で地面に叩く。困ったときの癖だ。
「……わかった」
折れるのはいつも、師匠であるはずの自分だ。
頑固な弟子を持つと困る。
ため息交じりのリングル老の声を聞きながら、アルベルトはふと腕の中のアルセリアの胸元に首飾りがかけられているのに気づいた。
嫌な予感がして、アルベルトはそれを外す。
ひんやりとした冷たい感触にぞっとする。アルベルトはそれを無造作に自分のポケットに突っ込んだ。
「約束する。必ず、守る」
アルベルトは、優しくアルセリアの額に口付けた。
「それから、アルセリアは暫く精霊使いたちが通う学校に保護することになった」
長い話を終えて息をつくリングル老に複雑な光の宿る目をゼムタは向けた。
保護 ―― 結局は監視するためだと察することができるが、アルセリアを想うならばそれは容易に非難できることでもない。
「だが、成長して自らのことを理解できるようになったとき、アルベルトが連れ出して、森の中で二人暮らすことにしたんじゃよ」
「ってことは、アルセリアは自分が召喚士一族の巫女ということも、その意味もわかってるってこと?」
ぴくり、と不快げにゼムタは片眉を跳ね上げた。
召喚士の力を取り戻すための生贄などと、そんな残酷な事実を話したというのか。
責めるようなゼムタの視線をリングル老は戸惑うことなくまっすぐに受け止める。
「それがティセリアの望みだとアルベルトが言ったんじゃ。真実を隠さないこと」
「アルセリアは…………」
ゼムタの言葉を遮って、リングル老は先を続けた。
「あの娘は受け止めたよ。もし、ティセリアと同じように自分が召喚士一族に利用されることになったら、殺してほしい、と。だからそれまでは、アルベルトと共にいたいと、傍にいさせてほしい…そう言って我ら精霊使いと契約した」
その言葉に、ゼムタは愕然となった。
アルセリアの、アルベルトへの深い想いをこれまでにないほど突きつけられた気がする。
自分の運命を知っていてなお、アルベルトの傍を望むその想いに。もしかしたら、いつか自らの手で殺さなければならないと知っていて ―― それでも、アルセリアの傍にいたアルベルトの強い意志に、最初から勝てるはずはなかったんだ。
これ以上ないほどに打ち負かされた気がして、逆に未練が残らないほどゼムタの心はすっきりとなってしまった。とても晴れやかな気持ちだ。
「それで、僕たちはあの二人が幸せになるために何かできることがあるわけ?」
幸せになるために、と強調する王子に、ムタは柔らかく微笑み、ラミーアは軽く口の端を吊り上げた。
リングル老は苦笑を零して、悪戯っぽい光を目に宿してまるで子どものような笑みを顔に刻んで言った。
「なあに、かんたんなことじゃよ。あの二人の帰る場所を取り戻すんじゃ」
リングル老の言葉に、三人は顔を見合わせて笑った。