ForestLond

森に還る恋人たち (5)

 風が、動く。
 ざわりと、アルベルトの深い黒髪を揺らしていく精霊たちの気配を感じながら、腕にはめたブレスレットにそっと触れた。熱が伝わってくる。

「……私が憎いか?」
 目の前に対峙する男は、ふっと皮肉めいた笑みを浮かべて口を開いた。

 男の問いに構わず、アルベルトは鋭い視線を向けたまま問う。
「アルセリアはどこだ?」
 殺気を纏う姿に、男はやはり愉しげに笑う。
 何がおかしいんだ、とアルベルトは冷たい光を宿す。ひんやりとした空気は二人の間に流れる異様な空気を深めていった。

「おまえにアルセリアの心配をする権利があると思うか?」
「どういう意味だ?」

 アルベルトは逸らされる会話に苛立ちを感じていた。聞きたいのはひとつだけ。
 それ以外には何の興味もないというのに、男はアルベルトのその苛立ちを見透かして、愉しんでいるかのように、答えない。

「アルセリアの一族を殺しておいて、よくもあの娘の傍にいれたものだ」
 笑っていた表情を一瞬で真顔に戻し剣呑な光を宿して、男は言った。

「あのとき、我らが一族の血にまみれたおまえは愉しそうに笑っていた」

 続ける男の言葉に、空気が動く。
 精霊たちが怯えるように、騒ぎ始める。

「 ――― だまれ」

「精霊一族にだっておまえのようなものがいるんだ。何も変わらないではないか。なのになぜ、我ら召喚士一族が忌み嫌われなくてはならない? 力を奪わなければならない?」

 男はアルベルトの怒りを煽るかのように、言葉を紡ぐ。

 アルベルトの心が冷たくなっていく。
 ずっと、――― 今までずっと、アルセリアと暮らしていた中で忘れていたことが思い出される。
 あのとき、確かにティセリアを殺されて、憎しみに支配されたアルベルトは召喚士一族を滅ぼしていた。それを愉しんでいなかった ――― と言えるか。
 アルベルトが心のどこかでいつも持っていた疑問 ―――― 。

「 ――― アルベルト」

 ふと、懐かしい声に名前を呼ばれて、アルベルトは我に返った。
 視界の中に、アルセリアの姿を捉える。

「アルセリア!」
 走り出そうとするアルベルトに警告を与えるのように精霊が動いた。

 それに気づいて、足を止めてじっと、その姿を見つめる。ぼやけるようにうっすらとしているそれは、本物ではなく、幻影だと気づいた。

 ――― いや、幻影にしてはやけにリアルだ。

「本物は違う場所にいる。おまえが鍵を渡さなければ、即座に彼女は自ら命を絶つように暗示が掛かっていてね」

 今すぐ殺せるものなら、そうしたいとアルベルトはこれまでにない殺意を覚えた。
 それに呼応するかのように、精霊たちが力を溜めていく。周囲を取り囲む精霊たちの力に押されながら、男はふっ、と笑いを零す。

「 ――― そういえば」
 ふと男ははぐらかすように、話題を変えた。

「あの森は見事だった。鍵を中心に、アルセリアの巫女の力を使って、森を召喚し、更に媒介として、結界を張った。なるほど、ああいう使い方もあるのだと感心したくらいだ」

 だからこそ、あの森の中にはアルベルトとアルセリア ―― そして精霊たちくらいしか入り込めない。
 とても安全で、絶対に見つからない場所。

 嬉しそうに言う男は、「だけど」と皮肉めいた口調で続ける。

「その力は既にアルセリアに還元させてもらった。もう少しで鍵も手に入るところだったんだがな」
 まあ、いいさ。
 これで手に入る、と男はすっと伸ばした手を広げた。

「渡してもらおうか」

 男の言葉に、アルベルトはぎっと握った拳に力をこめる。
 それを見てやれやれ、と男は肩を竦めた。アルセリアに視線を向ける。

「 ―― アルベルト、鍵を渡して」
 すっと、アルセリアは自らの右手に持っている短剣を首に向けた。

「やめろっ、アルセリア!」

 慌ててアルベルトは叫ぶ。すかさず、男が言った。
「アルセリアの声はここに聞こえても、おまえの声はアルセリアには聞こえない」

 その言葉にアルベルトは愕然となった。
 少しでも声が聞こえているなら、彼女を元に戻せる可能性はあった。だが、声が届いていないと言うなら、たとえ男を今すぐ殺したとしても、何か一瞬でも男が合図を送ってしまえばアルセリアは躊躇わずに、命を絶ってしまうということだ。
( ――― 冗談じゃない。)
 ティセリアの二の舞にはしないと誓った。
 ちり、と。アルベルトの腕にはめていた腕輪が熱を持つ。

 冷静さを失ったアルベルトを抑えるかのように ―――― 。

「…………わかった」
 アルベルトは仕方なく息をつくと、拳を前に突き出した。

「投げろ」

 男の言葉に、アルベルトは手にしていたそれを放り投げる。弧を描いて、それは男のもとに届いた。受け止めて、目の前に掲げる。

 召喚士一族の象徴である赤い太陽のシンボルが描かれている黒曜石の首飾り。
 満足そうにそれを眺めて、男は言った。

「確かに、これだ。間違いない」
「鍵は渡したんだ。アルセリアを返せ!」

 叫ぶアルベルトに視線をやって、男はニヤリと口の端を吊り上げた。

 ――― ぞわり。
 嫌な予感がアルベルトの背筋を走りぬける。

「返すわけないだろう。必要なものは揃ったんだ」

 男はそう言うと、ほんの少しその声に喜びの感情を滲ませて、ゆっくりと口を開いた。

『アーシャ・ラフェタ ドヴィル ケル アーシャ・ラフェタ ドヴィル ケル……』
(注:アルセリア ―― 巫女よ。一族の願いを叶えたまえ。アルセリア ―― 巫女よ。一族の願いを叶えたまえ……)

 男が手にもつ黒曜石が黒い光を帯び始める。

「やめろっ! アルセリアっ!!」

 短剣を首もとにあてがうアルセリアを目にして、アルベルトは叫んだ。
 その一瞬、精霊がアルベルトに呼びかける。
 アルセリアの居場所を掴んで、報せてきたそれに、アルベルトはすぐに空間を跳んだ。

 それに気づいて、男は驚き目を瞠る。

「ほう。こちらは囮だったのか。最初から精霊にアルセリアの居場所を探させていたとは……」

 追うこともせず、そう呟いて、光を纏う黒曜石に視線を向けたまま言う。
「まあ、もう手遅れだがな」
 その言葉を合図に、目の前のアルセリアが手に力をこめた。

 真っ赤な血が吹き出て、同時にその幻影も消えた。

「ときはきたれり ――― 」

 男がそう言うと、黒曜石を包んでいた黒い光が溢れ出し、周囲に広がり始めた。


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